無惨と名前が最初に言葉を交わしたのは名前の父が診療所として使っていた離れの出入り口でのことだった。
「これ、忘れ物です」
 名前はそう言って一つの包みを差し出した。無惨は無言でそれを受け取る。そのままじっと名前を見つめて動かない無惨をどう思ったのか、名前は照れたように笑って口を開いた。
「あなた、随分前からうちにいらしてますよね。どうぞお大事に」
 名前の言葉を受けてもなお、無惨は何も言わぬまま身動きもせずに名前を見ていた。しかし数秒経つと、無惨は名前に背を向けて地面を見た。
「私は二十になる前に死ぬ命だ。どうして私に優しくする?」
 無惨は赤子の頃から弱い子供として生まれた。ここまで生きているのが奇跡だと言われたほどだ。今の――名前の医師にかかってからは以前よりいくらかはましに思えるが、それでも短い寿命を延ばしているにすぎない。無惨が明日死んだところで、医師は驚きもしないだろう。ましてやただの医師の娘など、無惨が死んだことなど気にも留めないだろう。無惨が呆然と立っていると、後ろから思いもよらない優しい声が聞こえた。
「それでも、知ってる人が死ぬっていうのは……悲しいものですよ」
 無惨は振り返らないまま目を見開いた。誰もが諦めたこの命を、ただの医師の助手の娘が、なくなったら悲しいと言うのか。無惨は別に他人に哀れに思ってほしかったり縋られたいわけではない。それなのに、今この瞬間生まれて初めての感情を味わっている。この感情に名前を付けるならば、何と言うのだろう。
 無惨は考え事に没頭していた自分に気付くと、包みを持ち直して歩き出した。別れの言葉は言わない。まだ気安く挨拶をするような仲ではないからだ。では挨拶はしないのに死なれたら悲しいと言われる仲とは何なのだろうと、頭の隅で考えた。
 
 あの出来事以降、名前は無惨との距離感を縮めてきたように思えた。目が合うと微笑んできたり、今まで診察中は無言だったくせに話しかけてきたりするのだ。名前に馴れ馴れしくされるのが無惨は不快だった。余命幾ばくも無いと聞いて同情されているなら鬱陶しいし、そうでなくともあの程度で仲良くなったなどと思われているなら気に障る。所詮無惨と名前の仲は医師とその患者でしかないのだ。
「お前はどうしてそう私に構う」
 ある時、無惨が名前に聞いた。名前は父の医療道具を片付けているところで、名前の父は既に別の患者の元へ行ってしまった。
「構うのに理由なんかないですよ。私が話したいから話す、それだけです」
 名前は左肩に垂れた髪を後ろへやりながら、「敬語って面倒くさいですね。やめてもいいですか?」と言った。無惨としてはさらに距離を縮められるようで腹立たしいのだが、一方で必ず敬語で話せと言うほど名前にこだわるつもりもなかった。ぞんざいな口調が嫌ならば、そもそも名前と話さなければいいのだ。
「……勝手にしろ」
 無惨の言葉を聞いて、名前は嬉しいとでも言うように顔を緩めた。「それじゃあこれからもよろしく、鬼舞辻さん」そう言う名前に少し違和感を覚える。ぞんざいな口調を使う者達は、皆下の名前で呼ぶのではないか。少なくとも無惨が見てきた同年代の者達はそうだった。だが、今回は医師助手と患者という仕事の関係でもあるため上の名前にしたのかもしれない。どちらにしろ、無惨は名前と深く関わるつもりはない。名前の声を無視する無惨を見てクスリと笑った後、名前は部屋を出て行った。
 
 名前とはなるべく関わらないつもりであったが、予定が狂ってしまった。無惨の容態が悪化し、医師の家に入院するはめになってしまったのだ。医師の家とは当然名前の家であるし、今入院患者は無惨だけである。当然、何をするにも名前がついて回るようになる。というより、無惨は体の自由が効かないので名前がいなければ何もできない。無力な無惨を名前が仕方ないとでも言いたげな表情で助けてやるたびに、無惨には屈辱が走るのだった。何故名前ごときに、無惨は借りを作らなければいけないのだ。無惨をさらに腹立たせるのは、名前がそれを「借り」だと思っていなさそうなところだった。名前はきっと誰にでも、何の見返りもなくとも世話を焼いて回るのだろう。
「……私が死んだ後も、そうやって誰にでも媚びへつらうのか」
 聞くつもりのなかった言葉が、気付いたら口から出ていた。名前の態度が不快だったのは確かだ。だがこれでは、まるで無惨以外の者を看病するなと言っているようではないか。名前は少し考え込んだ後、「そうだなぁ」と口を開いた。
「仕事だから、患者の世話はする。でも、鬼舞辻さんみたいに寄り添ったり、くだらない話をしたりすることはないかもしれない」
「もういい……」
 そう言って無惨は庭の方を向いた。無惨の危惧した通り、完全に無惨を特別扱いしろと言っているように受け取られてしまった。名前のそういう所が腹立たしいのだ。いつも名前が一方的に話しているだけで無惨が返事をしたことは一度もないと訂正する気にもなれなかった。無惨は名前に背を向け、全く眠くないのに目を閉じた。
 
 無惨は患者として、自分を一番に優先してほしいと思っている。無惨の一番の望みは死なないことであり、そのためには医師の協力が不可欠だ。だから医師には従うようにしているが、名前はまた別だ。いや、医師に優先してもらうために医師に贔屓してもらう必要があるとすれば、名前に贔屓されている今の状況は吉なのかもしれない。名前は無惨以外の患者とくだらない話をしたりはしないと言っていた。名前が誰とどんな話をしようがどうでもいいが、それが巡り巡って自分の体調に響くかもしれない。
「鬼舞辻さん、今日のお薬は少しまずいかも」
「そうか」
 返事をした無惨を、名前は信じられないものを見る目で見た。薬を皿に移す手すら止まっている。これでは医師助手の名が泣く。
「どうした、早く私に飲ませろ」
「あ、ああ……」
 名前は覚束ない手つきで無惨に薬を飲ませた。そのせいか薬の一部が無惨の口からこぼれてしまっている。無惨は飲み込んでから、至近距離にある名前の顔を見た。
「下手だな」
「悪かったな!」
 こうして名前と無惨は、無駄話をするようになったのだった。
 
 名前がする話は、大抵つまらない。今日の天気の話だとか、病気が治ったら何がしたいとか、そんなものばかりだ。碌に外へも出ず父の手伝いばかりしていては話題も尽きるのかもしれない。名前のつまらない話を、無惨は無視することなく、「つまらない」と言いながら聞いていた。
「酷いな。鬼舞辻さん絶対に友達いないだろう」
 花瓶の花を替えながら言った名前に、無惨は真っ直ぐ前を見ながら言った。
「友人はいない。生まれてからいたことがない。他の人間関係も知らない」
 同情されるか、馬鹿にされるかと思ったが、名前は意外にもしたり顔で言った。
「じゃあ、私が初めての友達だな」
「人間関係を知らないと言っているだろう。どういう仲が友達に該当して、どういう仲が友達以外なのか分からない」
「細かい事は考えるな」
 名前が出て行ってしまった扉を見ながら、無惨は人間関係とは随分雑なのだと思った。今の所友達は名前しかいないし、友達以外にも人脈と呼べるようなものはない。だから無惨にとっては名前が一番の存在となってしまうのだが、それが無惨にとって少し癪だった。無惨にとって名前は一番でも、名前は無惨以外にも沢山友達がいることだろう。そんな仲は対等とは言えない。
「おい、私をお前の一番にしろ」
 そう言うと、名前は呆然とした後何が可笑しいのか笑い出した。相変わらず失礼な女だ。人間関係においては名前の方が先輩なので、無惨は何が可笑しいのか分からない。
「それじゃあ友達じゃないみたいだ」
「一番にしたら友達ではなくなるのか?」
「ああ。もっと親密な仲にね」
 友達以下になるのではなく、友達以上になるらしい。巷で聞いた親友というものだろうか? 生まれてからの殆どを闘病に費やしてきた無惨には分からない。だが名前は分かっているようで、今も小さく笑いながら無惨の布団を掛け直している。名前のことをもっと知りたいと思うようになったのは、この時からだった。
 
 あれから、名前の一番になれたかは分からない。名前には他の友達もいるだろうし、無惨も名前と仲良くなる努力をしていたわけではない。ただ、名前に対して心を開いていただけなのだ。しかし名前との距離は近付くのに対して、無惨の病状はなかなか良くならなかった。医師は何をやっているのだという焦りだけが積もってゆく。次第に無惨の焦りは頂点に達し、遂に医師をこの手で殺害した。
 医師を殺したことについては何も思わなかった。ただ、医師は名前の父親だから、もしかしたら名前の一番は医師だったのかもしれないと思った。そうすると名前の一番を殺したことで自分がそこに転がり込める。もう医師はいないのだから名前と近付いても何の得もないのに、何故無惨は名前の一番になりたがるのだろう。この時はまだ、答えが出なかった。
 不意に背後から、軽い足音がした。振り返ると、それは名前が医師の死体を見て後ずさる音だった。見られていたことはどうでもいい。むしろ父の最後を見られて、名前は幸せだったのではないか。
「名前、私と一緒に次の医者を探そう」
「何を言ってる……!? 来ないで!」
 無惨の頭に衝撃が走った。名前は、あれだけしつこく無惨を構ったではないか。友達だと言ったではないか。なのに何故名前が無惨を拒否するのだろう?
「残念だ」
 無惨は手にしていた刃物で名前の体を刺した。名前の体に触れた途端、今まで自分は名前に触れたかったのだと気付いた。恐らくこれが恋慕の情で、名前が言っていた「もっと親密な仲」なのだろう。名前が死体となった今では、もうなることはできないが。無惨は血の中に立ち尽くし、名前の亡骸を見た。
 
 悪い夢から目覚め、名前は肩で呼吸した。今のは一体何だったのだろう? 夢の内容はよく覚えていないが、最近全く同じ夢を見ていることは分かる。何か具合が悪いのだろうかと医者の元へ行ったが、原因は分からずじまいだった。一体名前の体は何を伝えたがっているのだろうか。名前は水を一杯飲むと、隊服に着替えて外へ出た。最近浅草に鬼が出るのだという。なので名前が浅草まで来ているというわけだ。時刻は深夜、もうそろそろ名前の担当の時間だ。日輪刀を携えて外へ出ると、夜だというのに活気のある町が広がっていた。この中で鬼など出たら一大事だろう。名前は人の多い所を中心に入念に見回りをする。異変が起きたのは、人の中である人物とすれ違った時だった。
「久しぶりだな……名前」
 その言葉と共に首の裏に軽い衝撃がした。遠のく意識の中で、名前は綺麗な顔の男性を見た。
 次に意識が浮上したのは、立体的に部屋が入り組んでいる不思議な建物の中だった。咄嗟に体勢を立て直し刀を構えようとした名前は、そこで日輪刀がないことに気が付いた。
「起きたか」
 見上げると、目の前に先ほど見た男性がいる。後ずさる名前に構わず、男は名前の上に覆い被さった。
「どけ!」
「名前。私だ。鬼舞辻無惨だ」
 その言葉に体中の血が沸き上がるのが分かる。今名前が相手しているのは、あの鬼舞辻無惨なのだ。日輪刀はないが、奪い返せばいい。このチャンスを逃すわけにはいかない。もがく名前に構わず、鬼舞辻は名前の体を撫でた。
「ずっと触れたかった……」
「何気色の悪いことを言っている……!」
 名前が抵抗しようとも、鬼舞辻はびくともしない。それどころか、「早く鬼殺隊の隊服など脱いでしまえ」と服を脱がしにかかっている。
「やめろ!」
 名前の抵抗も虚しく、名前は下着のみになった。その姿を鬼舞辻が恍惚とした表情で見下ろしている。今から名前は刀すら持たせてもらえず敵の首領に犯されるのか。そう思うと名前は屈辱でしかなかった。鬼舞辻は名前に構わず下着を脱がせ、乳房を間近で眺めたり撫でたりしている。その行動の一つ一つが気持ち悪くてたまらない。性行為をするのなら、早く済ましてくれとすら思っていた。
「名前は私のものだ」
 その言葉を皮切りに、鬼舞辻は名前の乳房の先端を口に含んだ。ぬるい感触に、名前の体の奥が反応するのが分かる。強姦なら手荒く、さっさと進めてしまえばいいのに鬼舞辻はそれをしない。名前の感触を一つ一つ味わうかのように、名前の体を舐め尽くしている。
 鬼舞辻が舐めるのは乳首だけではなく、名前の体全てだった。腕も、肩も、腹も、鬼舞辻が舌でなぞった唾液の跡がついている。そんな自分が酷く汚いと思うのに、下半身に近付くと期待してしまう自分がいる。鬼舞辻がわざと陰部を避けて足を舐め出した時、名前はとうとう泣いてしまった。
「そんなに触れてほしかったか?」
 鬼舞辻が名前の脚を開き、その中心に顔を埋める。陰部を下から上へ舐め上げられた時、名前はとうとう声を出してしまった。相手は憎い鬼なのに、自分は鬼殺隊なのに、こんな所で快感に甘んじてしまっている。鬼舞辻は丁寧に、何度も何度も名前のそこを舐めた。名前の陰部は鬼舞辻の唾液と名前の愛液でぐっしょり濡れていた。
 鬼舞辻は顔を離すと、指を名前の中に入れる。痛みと異物感に名前が小さく声を上げると、鬼舞辻は手を止めることはなく「初めてか?」と聞いた。
「だったらどうなる……」
「私の都合だ」
 鬼舞辻は丁寧に、まるで恋人にするように名前の中を解した。名前が抵抗しなかったのは、未知の感覚に動けなかったのと快感で脱力していたからだった。全身液体まみれになった名前から体を離し、鬼舞辻は遂に自身の男根を取り出す。
「嫌だ……」
 逃げようとする名前を捕まえて、鬼舞辻は至って穏やかな表情で腰を沈めた。
「大丈夫だ。名前は何も怖がることなんてない」
 律動が始まって、名前は口から息と嬌声を順に吐いた。色々なものが限界を通り越していて目を閉じていたが、名前は揺られながらふと目を開けた。するとそこにあったのは、鬼舞辻が名前に欲情している姿だった。その光景に、また膣が収縮するのが分かる。それに乗じて最奥を突かれ、名前は弓なりになって達した。果てた後でもう動けない名前の体を掴み、鬼舞辻が目を閉じながら腰を振っていた。
 今までの事を整理する気力もなく、名前は脱力して畳に横たわる。その横で鬼舞辻が立ち上がり、全裸の名前を見下ろして聞いた。
「今のお前の一番は誰だ?」
「一番殺したいのはお前だよ……」
 紛れもない本心である。しかし鬼舞辻を見ると、満足したように笑っているのだった。名前は体に震えが走るのを感じた。


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