二ヶ月前、応援席の奥に派手なうちわを見つけた。目に止まってしまったのは井闥山にそういうファンがいるのが珍しいだけだろう。すぐに目を逸らしたが佐久早は間も無くしてその人物と出会うことになる。
「あの、佐久早先輩が大好きです!」
 好きなのは佐久早のプレーではなく佐久早自体なのかと思ったが、よくいるミーハーな女子だろうと思い佐久早は適当に流した。
「どうも」
「また見に来てもいいですか!?」
「ご自由に」
「佐久早先輩好きです!」
「そう」
 まるで熱量の違うやり取りを古森が笑って見ていた。どうせすぐ佐久早やバレーにも飽きて来なくなるだろう。その思いに反して、名前は試合に何度も来た。名前を覚えてしまったのは名前が何度も名乗るからだ。今では男子バレー部の中で名前は「名前ちゃん」などと呼ばれている。佐久早だけは絶対にそうは呼びたくはないが。
「今日の佐久早先輩も、凄い格好よかったです!」
 いつもと変わらない文句に返事をすることはやめ、佐久早はふと名前の持っているうちわを見る。やはりいつの試合でも、名前はうちわを掲げている。試合ごとに変わる文字や柄を見ているのは、正直面白い。佐久早がじっと見ていると、名前がそれに気付いたようで目を輝かせた。
「……お前、毎回うちわなんか作って面倒じゃないの」
「面倒じゃないです! 私アイドルオタクなので!」
「そう……」
 てっきり佐久早の試合の日は気合を入れてうちわを作っているのかと思ったが、そうではなかったようだ。なんだか佐久早の方が期待していたみたいで恥ずかしくなってくる。名前が佐久早を好きだというだけで、佐久早は別に名前を好きではないというのに。名前があまりにも好きだ好きだと言うせいで、意識しすぎてしまった。思わず目を細めて名前を見ると、名前は「何ですか!?」と期待したような顔を向けた。
「今、苗字のこと睨んでたんだけど」
「名前覚えててくれたんですね! 嬉しいです!」
 嫌味を言ったつもりが、名前を喜ばせてしまったようだ。名前のこういう所が苦手だ。いつも調子を狂わされる。佐久早は大きな溜息を吐いてから、耳にマスクを掛けた。
「好きなら見れてよかったな。ほら行った行った」
 別に名前は男子バレー部の邪魔をしていたわけではないのだが、名前と一緒にいるところを男子バレー部の面々に見られたら恥ずかしいので佐久早は名前を体育館脇から追い出した。特に古森などに見られたらからかわれるに決まっている。名前と同じクラスの後輩だっているだろうし、あらぬ噂を立てられるのは御免だ。
「絶対また来ますから〜!」
 名前はそんな言葉を残して小股でぱたぱたと駆けていった。別に、名前がまた試合を観に来るのは楽しみではない。でも嫌だとも思わない自分がいる。

 佐久早は今まで、挨拶代わりに告白する人物など会ったことがない。強豪のエースとして女子に人気が出た時期もあったが、どれも指定場所に呼び出して恥ずかしそうに好きだと告げるのみだった。しかし名前はどうだろう。会ったそばから、毎度飽きずに好きだと伝えてくる。最初はからかわれるからやめてほしいと思っていたが、あれだけ大声で叫んでいれば嫌でも知れ渡る。「佐久早、名前ちゃん来てるぞ」とチームメイトから言われてしまう始末である。だからもう周りに知れ渡ることへの拒絶はないはずなのに、何故か佐久早は名前に告白されることに不快感を覚えていた。
 名前が嫌いになったのだろうか? そうであれば名前が試合後佐久早の元へ来ること自体拒んでいるはずだ。からかわれることにだって、もう慣れた。ならば何故好きだと言われることが嫌なのだろうと考えた末に、佐久早は答えを出した。
 名前の告白が、あまりにも軽々しすぎたのだ。通常告白とはそれなりの覚悟を持ってするものだ。あれだけ毎度のようにされては、名前は本気ではないのかと思ってしまう。ただの遊びに付き合わされるのは御免だ。つまるところ佐久早は、名前の思いが本気であってほしいと思っているのである。最初は自分でも驚いたが、自覚すると腑に落ちた。佐久早は大分、名前に惹かれている。
 通常の告白ならば好きだと言われた後に交際の申し込みがあるので付き合うことができる。だが名前はどうだろう。毎度無責任に好きだと言うばかりで、付き合ってほしいなど言われたことがない。名前は佐久早を好きなだけで別に付き合わなくてもいいと思っているのだろうか。それはそれでなんだか腹立たしい。
 要は、付き合うためには交際の申し込みをされなくてはならないということである。名前はまるで言う気配はない。ならば佐久早の方からすればいいのだが、それには抵抗がある。あれほど佐久早を好きだと言って追いかけ回しているのは名前なのに、告白は佐久早の方からしなくてはならないのだろうか。それは佐久早のプライドが許さない。なんとしても名前に好きだと言わせ、交際の申し込みをさせたい。それを佐久早が仕方ないと受け入れる。佐久早が思い描いているのはそんなストーリーだ。問題は、どう名前に好きだと言わせるかなのだけど。
 佐久早は試合後また佐久早の元へとやってきた名前を見下ろした。幸い周りにチームメイトはおらず、名前と佐久早の二人きりになっている。告白するなら今だと心の中で名前に語りかけるのだが、名前は満員の体育館の中でも佐久早に告白する奴だった。
「苗字、なんか俺に言うことないの」
「え? 好きです」
 また簡単に告白をする。佐久早は頭に血が上るのを感じながら、「で?」と言った。好きですの後に来る言葉は一つしかないだろう。
「今度の試合も観に来ます!」
 名前が拳を握って言った言葉に佐久早は思わず舌打ちしそうになった。そうじゃない。そうじゃないだろう。
「お前は俺のファンかよ」
 佐久早が思わず突っ込むと、名前は不思議そうな顔をした。
「ファンですけど、佐久早先輩は何だと思ってたんですか……?」
 佐久早は自分が墓穴を掘ったことを悟った。名前は最初から佐久早を恋愛対象としてではなく、ファンとして好きだったのだ。あくまで自分の学校だから応援している、好きなスポーツ選手。恋だのと浮かれ上がっていた佐久早が馬鹿みたいだ。佐久早は首の辺りを掻きながら、「俺のこと好きだって言ってたのは本気じゃなかったのかよ」と言った。なんだか別れ話で女に縋る男みたいだ。いつの間に佐久早はこんな情けない立ち位置になってしまったのだろう。
「え? 本気ですよ?」
 名前の言葉に佐久早は思わず目を見開いた。名前は、恋愛対象として佐久早のことが好きだったのだ。ならばあと少しではないか。
「本気なら尚更言うことがあんだろ」
「何ですか?」
 とぼけている名前に佐久早は苛立つ。こいつは、あくまで俺に言わせるつもりか。いつも好きだ好きだとくっついてくるのは名前のくせに、こういう時だけ優位に立つのはずるい。
「だから、付き合うとかそういう話はねえのかってことだよ!」
 佐久早はやけになって言った。これではますます佐久早が必死な男みたいだ。佐久早がプライドを折っていることなど知らず、名前はきょとんとしている。
「そんな、佐久早先輩と付き合うなんて無理ですよ」
「言ってみなきゃわかんねえだろ」
 告白される本人が、告白を勧めている。この場に第三者がいたならこのちぐはぐな状況に思わず笑い出してしまったことだろう。
「佐久早先輩は年上趣味かも」
「そんなことない。俺は結構後輩が好きだ」
「バレーで今は忙しいって断られた先輩の話を聞きました」
「それはどうでもいい奴に告白された時の断り文句だ」
 普段堂々と告白しているくせに、いざ交際を申し込むとなると名前はこんなにネガティブな奴だったのか。いや、ここはネガティブではなく慎重と言うべきだろうか。次々に言わない言い訳を並べる名前に、佐久早は一つずつ否定してみせた。ここで名前に告白させなくては、一生告白されないままだろう。
「物は試しだと思って、一回言ってみればいいだろうが」
 佐久早はプライドをかなぐり捨て、またもや必死な男のような台詞を言う。普段必死なのは名前のくせに、と思うが思い返してみれば名前はあまり必死ではなかったかもしれない。いつも楽しそうに佐久早にまとわりついていた。要するに、名前は恋愛に器用で佐久早は不器用ということだ。
「佐久早先輩、絶対フるじゃないですか」
「いや、俺はフらない。絶対にフらない。だから大丈夫だ」
「佐久早先輩が意外と意地悪なのは知ってるんですよ」
 頑なな名前に普段の自分の所業を恨んだ。どうせ名前は自分が好きなのだからと、面白がってからかっていたのが今悪いように作用してしまった。
「あれは苗字を好きだからやってたんだ。だから大丈夫だ」
「えっ、佐久早先輩私のことが好きなんですか?」
 咄嗟に顔を上げた名前に、佐久早はまたしても墓穴を掘ったことを悟った。やってしまった。あくまで名前に告白させて自分は仕方ないという体で付き合うはずが、自分から名前を好きだと言ってしまった。どうしたものかと戸惑っている内に、名前は独自に解釈してしまう。
「ほらやっぱり佐久早先輩は私のこと好きじゃないんだ。付き合ってくださいって言っても断られるのが目に見えてます」
 そう言ってそっぽを向いた名前に、佐久早は覚悟を決めた。
「好きだよ」
 諦めて言った佐久早を、名前は信じられないという表情で見る。
「苗字のことが好きだ。もう結構前から好きなのに、隠してて悪かった。それで苗字に言わせようとしてたのも。でももういい。俺はお前が好きだ」
「嘘……」
「嘘じゃない」
 名前は何をすれば信じてくれるだろうか。名前の気持ちが分かっているとはいえ、合意がないままハグやキスをするのはやはり憚られる。そんなに長い間佐久早のことを好きでいたならば、名前も佐久早が意地悪や冗談で告白をしたりしないことくらい分かってくれそうなものだけど。
 名前の驚いた表情を存分に眺めたところで、佐久早は自分が大事なことを言い忘れたことに気付いた。佐久早が名前に言わせようとして言わせられなかったこと。告白の次に来るべきもの。
「苗字、付き合ってほしい」
 佐久早は王子様ではないから跪いたりはしないものの、佐久早なりの誠意は込めたつもりだ。この後は名前が喜んで頷き、ハッピーエンドが訪れるものだと思っていた。
「佐久早先輩と付き合うって、実際どうなんでしょう……? やっぱり彼女よりバレーを優先させたりして揉めたりするんでしょうか?」
「お前な……」
 佐久早の人生最大の勇気をコケにされた気分だ。あれだけ好きだ好きだと言っていたくせに、いざ付き合うとなると躊躇するらしい。佐久早はすっかりロマンスの気分ではなくなりながら口を開いた。
「バレーを優先する時はあるかもしれないけど、できるだけそうならないように努力する。寂しい思いは、させない」
 勢いに任せてクサいことを言ってしまっただろうか。しかしそれは名前には効いたようで、名前はうっとりした瞳で佐久早を見上げていた。
「佐久早先輩、好きです」
「何度も聞いた」
「付き合ってください!」
「だからそう言ってる」
 意図せずして佐久早も自分の気持ちを吐露する形になってしまったが、結果として名前から申し込む形で付き合えたのでいいだろうか。佐久早はため息を吐くと、目の前の小さな恋人を見た。


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