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杖を片手に、自分の食器を持ち上げようとしていれば、気づいた不破がサッと口を挟んでくれる。
「ぼくが片付けとくから、行っておいでよ」
そう言ってくれたので、桜はありがとうございます、と口にしてから、それをお願いすることにした。

できるだけ急いで食堂を出ると、廊下で鉢屋が待っていてくれたので、桜はホッとしながら近づく。
「あの、少しお話しても、いいですか?」
急いでいたら申し訳ないのでそう聞くと、鉢屋が了承してくれたので、二人で移動することにした。
人に聞かれたくない話ではなかったが、立ち話は疲れるからと、鉢屋が気を遣ってくれたのだ。

医務室に抜ける榑縁に桜は腰掛けると、やっと落ち着いて隣の鉢屋に視線を向けた。
そういえば、最近少し元気がない気がするけれど、何かあったのだろうか。
「……それで、話って?」
話があると言ったわけではないが、そんな前ふりだったからそう促され、桜はようやく本題を思い出した。

「勘違いだったら申し訳ないんですが、昨夜、もしかしてあたしを訪ねて下さったんでしょうか?」
野暮なことを聞いてしまったかもしれないとも思うから、桜の質問は躊躇いがちだ。
昨夜、桜が部屋に入る間際に感じたあの気配は鉢屋のもので、あのときはあまり気にしなかったが、よくよく考えてみれば、あそこはくの一長屋の中なのだから、用事がなければ入って来るわけがないのだ。
だから鉢屋が用事だとすれば自分かもとは思うが、もしかすると別の女の子って可能性もあるから、その場合、桜の質問は野暮になるとわかっていた。
しかし、やはり聞いてみてすっきりしたいのも確かで、それでこういう形になったのだった。

鉢屋は気づいてたか、とあまり感情のこもらないつぶやきを落としてから、さも呆れたようなため息を吐いた。
「不粋な真似をする気はなかったからな、声はかけなかったんだが……」
と、鉢屋は言ったけれど、桜にはその意味がよくわからなかった。
誰か別の女の子に会った帰り道に、桜に声をかけるのは不粋だといいたいのだろうかと、とりあえず思いついたことを頭にめぐらせていれば、さらに鉢屋が言う。
「……三反田数馬とは、意外だった」
ここで三反田の名が出て来たことに、桜は面食らう。
確かに昨夜、一緒にいたけれど、このタイミングで言われる理由がわからなかった。

「意外だったとは、どういう意味ですか?」
全く思い当たらずに桜が聞けば、鉢屋は答えてくれないかと思ったが、案外あっさり口を開いた。



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