私はとても残念だと思っているのだけれど、ほっちゃんは昔に比べれば随分と身長が伸びてしまった。
しかも私の知らない間に変声期を迎えていたらしく、まるで男の子のように声が低くなっていたのだ。
男の子なのだから声が低くなるのは当然のことだけれど、幼い頃のほっちゃんは女の子のように可愛かったものだから私は兄の成長をなかなか受け入れることができなかった。
離れて暮らしている間にメッセージのやりとりだけは週に何度かしていたけれど電話の類は一切として交わしていなかったので、空港まで迎えに来てくれたほっちゃんの第一声を聞いて私はひどく驚いた。
「おかえり」の一言が私の知らない男の人の声で発せられて、これは本当に私の双子の兄なのかと、差し伸べられた手を取ることを躊躇いもしたのだ。
身体つきも私の記憶にあった小学生の頃の彼とはまるで違っていて、気が付いたら身長も抜かれていた。
5pヒールのパンプスを履いた私よりも背が高くて、可愛かった顔はきりりと凛としていて、私は反射的に─、これはほっちゃんではないと、そんなことを思ったりもした。
それからなんとなく、私は可愛くなくなったほっちゃんを愛せないでいる。



「それはエゴよぉ。北斗ちゃんだっていつまでも小学生のままなわけないんだから。」

嵐は呆れたと言わんばかりに嘆息して、困った子ねえ、と続けた。
放課後のガーデンテラスは静かだ。
今日は紅茶部の活動がないのか、会長も創くんもりつもいない。
咲き溢れる花の息遣いだけが聞こえるテラスには、嵐と私の二人きりだった。

「だいたいねえ、あんた業界の女らしいイヤなとこが染みついちゃってるわ。」
「なにそれ。業界の女らしいって?」

性格が悪いってことかな、と頭の端っこで考えながらカップに口を付けると、嵐は「それそれ!そーいうとこよ!」と大げさに私を指差した。

「なんでもないフリがうまいっていうか……何にも動じません、みたいなその態度!芸能活動の弊害だわ。あー、やだやだ!心動かされることなんかないって思ってるでしょう。お姉ちゃんそういうの分かるのよ。」
「動じませんって……、そんなことないって。そりゃ現役の時はクールビューティ気取ってたこともあるけど、」
「ほら、そうやってのらりくらりと交わしていく。モデルの女にそういうの多いのよねえ。上辺だけ取り繕うのが上手いの。でもね、それじゃ人生空っぽよ。」

嵐はびしっと人差し指を私の胸のあたりに突き付けて、「自分の胸に聞いてごらんなさい!」と本物のお姉ちゃんみたいに私にお説教を始めた。
こういうのは勘弁だ。話が長いのは副会長だけで十分なのに。
私が話半分に聞き流しているのを目敏く察知したか、彼─彼女、の方がいいのかな?よく分からない─、とにかく嵐は、涼やかな目元をキッと吊り上げて私の手を握った。


「つまりね、認めなさいよ。動揺してるのよ、あんた。”ほっちゃんが可愛くなくなってて残念”なんじゃないわ。北斗ちゃんがかっこよくなってて心乱されちゃってるのよ!」


馬鹿なことを─。
そう言おうとしたものの、喉の奥に何かが詰まって言葉が形にならない。
何度か声を出そうとしてぱくぱくと口を開いたり閉じたりしてみたけれど、すぐに諦めて私はもう一度、カップのカフェオレに助けを求めた。
コーヒーの独特の苦みに舌は慣れてしまっていて、舌先から浸み込む甘くて苦い刺激は心地よさすらも齎してくれる。
ほう、と息をついた時にはすでに落ち着いていて、私はするりと半ば興奮状態の嵐の手を振り解いた。

「変なこと言わないでよ、もう。キョーダイなんだからそんな風に思うワケないじゃん。」
「そうねえ……アブノーマルな恋愛に目覚めてしまった時って、誰しもそうやって自分自身を否定したがるものよ。」
「だから恋愛とかじゃないってば。私はただ本当に……、可愛かったほっちゃんはどこへ行っちゃったんだろうって残念に思ってるってだけなんだから。」


だってさあ、小学生の時のほっちゃん、めちゃくちゃ可愛くて不審者に連れ去られそうになったことあるんだからね。五年生のとき!
ムキになって言い返す私を、嵐はにこにこと嫌な笑顔で見ている。
そうでしょうねえ、そりゃあ可愛かったでしょう。分かるわぁ。
持ち寄ったドライフルーツに手を伸ばして(残り少ないマンゴーだった)、ひょいっと口内に放り込むと、嵐は咀嚼もそこそこに振り払われた手をもう一度握った。
よくハンドクリームの塗り込まれたすべすべの手。
白くて肌理も細かくて、女以上に女らしい美しい手。
隙なくリップクリームの塗られた唇がゆっくりと開く。

「ねえ、小学生だった可愛い北斗ちゃんはもういないのよ。目に見えるものだけが現実。あんたよりずっと背が高くて、声も低くて、力だってずっと強い。そんな彼にドキドキしてるんだわ。だってあんた、」


ずっと顔が赤いのに、気が付いてる?

そのとき不意に呼ばれた自分の名前に後ろを振り返ると、テラスの入り口でほっちゃんが手招きしていた。
いつも同梱パックのように一緒にいるスバルくんやゆうくんや真緒くんはいない。
今日がユニット練習ではなく演劇部の活動日だったことを思い出して、私はちょっとだけ憂鬱になった。
二人きりで帰るのが何となく居心地が悪いと感じるようになったのはいつのことだったろう。
もうきっかけなんて思い出せないけれど、少なくとも今日、ほっちゃんと一緒に帰るのがフクザツなのは嵐のせいだ。


「ほら、お迎えがきたわよ。お姫様は暗くなる前に王子様と一緒にお帰りなさい。」


含みのある笑みで嵐が言う。
途中まで一緒に帰ろうよという言葉は、嵐の大きな手で口ごと遮られてくぐもった音にしかならなかった。


「その可愛いお顔を歪めてあがいてみなさいよ。」


とんでもないことを言う。わたしなんかより、嵐の方がよっぽど業界の女らしい厭らしさが染みついていた。
有無を言わせず私のスクールバックを押し付けて、早く帰れとばかりに手を振られる。
うじうじとその場で足踏みをしている私の背を男の力で押し飛ばして、嵐はちゃっかりとほっちゃんにまで手を振っていた。



「鳴上と何を話していたんだ?」
「……業界の女は嫌な奴ばっかりって話。」
「?」

絶対ゆるさない、こんなの絶対認めない。
私より7pも高くなった背も、じわりと浸食する低音も、広くなった肩幅も、
そして早鐘を打ち始めたこの心臓も。
絶対、全部認めてなんかやらない。




(放課後のポートレイト)


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