READY STEADY

「ほら、待ってた。」
「待ってたは待ってたけど、すっごい怒ってるよあれ……。」


海岸沿いの通りに差し掛かると、砂浜へ続く階段に見知った後ろ姿を見つけた。
地魚料理店や民宿がちらほらと続く通りの中、他に人通りはない。とうに遅刻ギリギリの時間帯なので当然といえば当然である。
時刻は八時十五分。普段であればとっくに学校に到着しているはずの名前は、むすっと眉根を寄せて二人を睨みつけていた。


「おはよ、名前。」
「おはよう真琴。よくもこの私をこんなところに待たせてくれたわね。」
「ええ!?俺のせい!?なんで!?」
「名前をエサに閉門ダッシュするのを提案したのはお前だからだろ。」
「そういうこと。」
「どうしてそうなるの!?」

真琴がいつもの八の字眉を下げる。
上がった抗議の声が海辺に響いた。
しかし名前は絶対に許さないとでも言いたげに海風に揺れる髪を指先で払う。
それから、ぴしゃりと言い放った。

「真琴も真琴だけど、遙も遙だからね!あんた、私が何でもかんでも言うこと聞くと思ったら大間違いだから!」
「でも実際に待ってた。」
「違う!あんたに一言言ってやろうと思って待ってたの!」

言うが早いか、名前は遙の胸元を掴み上げ、ゆさゆさと締め上げた。
とはいえ、どう考えても遙の体格を持ち上げるほどの筋力はないため、実際の遙はさほど苦しそうな素振りは見せない。
それが余計に癇に障ったらしく、名前は瞳を吊り上げて真琴の方を見た。


「ええ!?俺はやらないよ!?」
「私の代わりに遙をシメてよ!」
「やだよそんなの〜……俺がやったらハルが死んじゃう。」

それは確かに、と遙は思った。
真琴に限ってそんなことをするはずもないが、実際に本気で胸倉をつかまれたら窒息死する恐れがある。
名前の力では窒息どころかこそばゆいだけで何とも思わないけれど。
ふと、ちょうど遙の胸元あたりにある名前の頭を見下げる。
すると名前は、キッと遙を睨み上げながら唇を尖らせた。
こういう顔は、可愛いと思えなくもない。
けれどそれを上回る口煩さと性格のキツさのせいで、七瀬名前という人間は損をしている。と、遙は考えていた。

「なに。」
「……別に。」

いつものことではあるが、遙と名前のこういうやり取りは不穏である。
真琴は瞬時にそれを察知して、無理に明るい声を出した。

「あ、そうだ!ハル、昨日休んでたけど新しいクラスの事は聞いた?」
「……。」
「何も聞いてないみたいだね……。俺とハルと名前はまた同じクラスだよ。今度は一組。」
「ほんっと……。普通、双子ってクラスは分けるもんじゃないの?蓮と蘭、一度も同じクラスになったことないって言ってたよね?」

不服げに名前が言う。
顎元に手をやって、真琴は答えた。

「うーん、蓮と蘭は分かりやすいけど、ハルと名前は分かりにくいから同じクラスにされてるんじゃない?顔見て判断した方が早いから。」
「どういうことだ。」
「顔……?」

二人同時に真琴の方を見上げる。
その顔を見て、真琴はやっぱり顔で判断した方が早いと苦笑いをした。
七瀬遙、七瀬名前。字面だけを見ればどちらが男でどちらが女だか分からない。

「昨日、ホームルームで名前の性別間違えられたでしょ。」
「ああ……。」

真琴の言う通り、昨日のホームルームで出席を取られた際にはっきりと言われたのだ。
「七瀬名前くん」と。
新任だという女性の教員は、おそらくはクラス内に七瀬という双子の男女がいるとだけ情報をもらっていたのだろう。つらつらと出席簿を読み上げる中、遙と名前、どちらが男でどちらが女かを思案して、一瞬の間に名前の方を男だと判断した。
確かに、遙という言葉の音と比べれば名前の名の方が男っぽくは思えるかもしれない。
しかし、これまた毎年恒例のことで、「七瀬名前くん」と呼ばれた瞬間に教室は笑いの渦に包まれた。岩鳶小・岩鳶中と進学してきて、顔見知りの多いクラスでは遙と名前の性別が勘違いされやすいことはお決まりの冗談なのである。

「毎年の事だけど、また真琴が一番に訂正してくれたよね。『名前は女です』って。」
「なんか、条件反射で言っちゃうっていうか……。」

後ろ頭を掻きながら照れている真琴のおかげで、昨日は名前自ら訂正する手間が省けたのだ。別に、遙ほど性別を間違えられることに嫌悪感を抱いてはいないので「七瀬名前くん」と呼ばれたとしても「ややこしくてすみません、名前は私です。」と柔らかく物申すことくらいはできる。しかし、お節介にも口をだしてくれる真琴が昨日は有難かった。


「新任の女の先生、ちょっと頼りないけどいい人そうだったね。」
「そうだね。初日からさっそくあだ名がついてたし。既にみんなから好かれてた。」
「美人だったし、ちょっとズレてて天然っぽかったしね。男子が休み時間騒いでたじゃん。」
「古文担当っていうのもポイント高かったのかも?奥ゆかしい感じがしていいってみんな言ってたよ。」
「うわあ……同じ話を教室でも聞いたけど、真琴がそれを言うとなんかやだ……。」
「なんでだよ〜……もしかして名前、俺のこと嫌いなの……?」


──早く暖かくなって、海で泳ぎたい。
三人の真ん中を歩いていた遙は、真琴と名前の話を全くと言っていいほどに聞いていなかった。
興味のないことにはとことんまで心の余裕を割かないのである。
凪いだ海を思わせる遙の瞳は日本海へと向いている。
その様子に気が付くと、真琴と名前は目を見合わせた。

「早くあったかくなって、泳げるといいね。」
「ほんとハルって水のことしか頭にないんだから。」
「……。」

考えていることをぴたりと当てられて、遙が二人から顔を逸らす。
不満そうにふん、と呟いた遙に、真琴と名前は同じタイミングでくすりと笑ったのだった。















「二人とも、準備はいいわね?」
「うん。」
「……。」

予想通り、というか。
そもそも合流してから急ぐ素振りも見せなかったせいで三人が正門に到着したのはやはり閉門にギリギリで間に合わない時間帯だった。
学校まであと百メートル。生徒指導の教員が既に校門を施錠しようとしている様子を近くの植え込みに身を隠して窺いながら、三人は顔を見合わせた。

「いい?余計なことは言わないで。あんた達は私の言うことに頷いてればいいから。」
「分かったよ。」

真剣な顔で真琴が頷く。
しかし遙はふと真琴の方を見ると、ハッと何かに気が付いたように名前の肩を掴んだ。


「……!名前、」
「なっ、なに!?」
「真琴、身体が全部隠れられてない。」
「……。」

どうでもいい。心底そう思ったが、なるほど確かに遙の言う通り体格が災いしたか真琴は植え込みの陰から微妙に身体がはみ出てしまっていた。

「しょ、しょうがないだろ!?」

遙の言葉に、真琴がやや大きな声で反論する。
即座にシッ!と唇に人差し指を当てて遙が真琴を黙らせるが、名前はあきれ果てて植え込みから抜け出した。髪にひっついた草切れを払いながら。

「どうだっていいわよそんなこと。あの様子じゃ先生からこっちは見えてないだろうし……。」
「じゃあなんで俺たちを隠れさせたんだ。」
「こういうのは気分が大切なんだって。ミッション遂行前の緊張感的な。」
「名前って頭いいのにたまに中学生の男子みたいなこと言うよね。」

植え込みから抜け出すのに手間取りながら真琴が言う。
名前は真琴の言葉を聞かなかったことにして、閉門を終えて校舎へ戻ろうとしている教員の背中を見つめた。

「ほら行くよ。七瀬名前の優等生力、しかとその目に焼きつけておきなさい!」

髪や制服にくっついた草きれを同じく払いながら真琴と遙も正門を見据える。
無意味に指を鳴らした名前は、自信ありげに一歩を踏み出した。











「先生すみません!遅刻してしまいました……。」

真琴と遙と話す時と比べれば、学校での名前の声は二トーンは高い。
この声はいつになっても聞き慣れない。遙はじっとりと名前の背を見ながら寒気に腕を擦った。

「七瀬?……と七瀬と橘か。」

七瀬と七瀬って何だよ。
内心で突っかかりながら遙は真琴と声をそろえて挨拶をした。
愛想がないせいで形式ばかりの挨拶にはなったが。
名前はそんな二人を軽く横目で見ながら、眉を下げて教員に向き直った。

「すみません……三人仲良く遅刻です。生徒指導室で遅刻届を書かせてください。」

ごくり、と真琴が唾を飲む。
遅刻届など書くつもりは毛頭ないのだが、名前は教員に頭を下げてしきりに謝罪をしている。
おい、作戦が違うだろ。そう遙が口を出そうとした時、教員はカギを開けて門を開いた。

「お前のことだから遅刻にも理由があるんだろう。話してみなさい。」
「先生……!」

ぱっと名前の顔が明るくなる。
しきりに謝って遅刻届を書こうとしていたのは同情を買う作戦だったらしい。
真琴も慌てて教員に頭を下げ、ありがとうございますと口にした。

「実は……、通学路を歩いているときに海岸にゴミが多いのが気になって……。三人でゴミ拾いをしていたらうっかり時間を忘れてしまって。」

ぞっとするほど自然に、名前は嘘八百を並べる。
ゴミ拾いなど生まれてこの方、必要に迫られたときにしかやったことがないというのに。
例えば、小学校でのボランティア活動とか中学校での地域清掃の時間とか、そういう機会である。
だというのに、名前は両手を祈るように組んで言葉を続ける。

「最近、岩鳶漁協でも海岸のごみが多いって問題にされているようでしたので……私たちにできることが少しでもあればと……。」
「七瀬……。」

この「七瀬」は自分のことを指してはいないと遙は実感した。
教員は瞳を潤ませる名前の肩をぽんぽんと擦って口角を上げる。

「お前の地域愛にあふれたところは美徳だが、ほどほどにするんだぞ。今回は先生がこっそり入れてやるから早く行きなさい。」
「先生……!はい、ありがとうございます!」

にこりと教員に微笑みかけた名前を見て、真琴は苦笑いを浮かべた。
名前と閉門ダッシュ作戦を提案したのは自分だが、こうまで上手くいくとは思っていなかった。
そしてそれ以上に、名前の優等生力とやらが想像以上に強烈であったことに恐れを抱いた。

「ハルと真琴も、先生にお礼言ってね。」
「あ、ありがとうございます……。」
「……どうも。」

引きつった笑みを浮かべたままに、真琴が口を開く。

「……じゃあ、失礼します……。」

早くこの場を立ち去りたい。
その一心で真琴と遙は校門に背を向けた。
足早に校舎へ向かう中、名前だけが教員の方を振り返る。

「……。」

名前が満面の笑顔で教員の方へ手を振っている。
真琴は思わず口元を抑えた。尻尾の振り方がすごい。というか、男性教員の前での愛想の振りまき方を心得ている。
さすがに優等生でいるためならば努力と犠牲を厭わない名前である。
しかし、遙はむすっと不機嫌そうに口をへの字に曲げていた。
あっと真琴が口を出す余裕もない。
遙は名前の腕を握って、無理やりに手を振る動作を辞めさせた。

「ちょっと、私の腕をへし折るつもり?あんたそれなりにゴリラなんだから力任せに握らないで。」

お手振りを中断させたれた名前が頬を膨らませる。
教員が視界から消えた瞬間に、声のトーンは普段通りに戻っていた。
掴まれた腕を振りほどくと、名前は腕を擦って恨めし気に遙を睨む。
声どころか、表情まで遙にそっくりの仏頂面に戻ってしまっていた。

「優等生力が聞いて呆れる。おっさんに愛想振りまいてるだけかよ。」

機嫌の悪さを隠そうともしない。
遙は名前の肩から何かを払うような動作をして、背後に遠くなった教員の姿を睨みつけた。
先程、教員に肩を触られていたのが気に食わないらしい。
──素直じゃないんだから。
真琴は即座にそれを理解して、肩を竦めた。

「何とでも言えばぁ〜?私のおかげで遅刻一回分消えたんだから感謝してよね。とりあえず帰りにアイス奢って。」

しかし名前はささやかな遙の嫉妬心には気がつく素振りもない。
ここは拗らせると面倒だ。
真琴は敢えて話題を変えようと声を上げた。

「あはは、いいよそれくらい。名前のおかげで命拾いしたしね。」

遙は未だに横を向いて機嫌が悪そうだったが、真琴は笑って快諾した。
真琴の返事に調子に乗って、名前が真琴の背を叩く。
ばしん、と二年生玄関に乾いた音が反射する。真琴は下足箱を開けながら口を開いた。

「さ、早く教室行こう。まだホームルーム始まるまで時間あるから間に合うよ。」
「だね〜。ほらハル、早くしなさいよ。それからあんたもアイス奢るんだからね。」
「……俺はいいとは一言も言ってない。」
「決定事項ってことでよろしくぅ。購買でいわとびっくりパンでもいいよ〜。」

あのワケの分からない高額パンだけは絶対に嫌だ。
一つ480円もするのだから、コンビニアイスの3倍近くの値段である。
遙は眉根を寄せて、廊下を先へ進む名前を追いかけた。






「七瀬遙さん。」

──昨日も同じことしたんじゃなかったのかよ。
盛大な笑い声が上がる教室内、遙は返事もせずに窓へ視線を逃がした。
席が窓際で助かった。煩わしいクラスメイトの顔を見ないで済む。そんなことを思いながら。
すると、すかさず真琴が手を挙げる。

「先生!遙は男です!」

二日連続で幼馴染の性別間違いの世話を焼くとは、ご苦労なことである。
不愉快そうに窓の外を向く遙に、真琴は手を合わせてポージングだけで謝った。
いや、よく考えれば真琴は厚意でやっているので謝る必要などないのだが。
しかし頑固な遙がへそを曲げると、この後に学校からエスケープをする可能性がある。
真琴が謝っている姿を横目に、名前はため息をついた。
遙のあの、はっきり口には出さないくせに不機嫌を醸し出す態度にも困ったものである。

「あらやだ!ごめんなさい七瀬くん。私ったら昨日も七瀬さんと七瀬くんを間違えたばかりなのに……。」

担任の天方は出席簿と遙、名前の顔を交互に見比べながらそう言った。
新学期二日目の今日は、未だ座席は出席番号順。遙の前の席は名字が同じ「七瀬」である名前。
名前は天方の様子に困ったように肩を竦めている。
名前の髪が目の前で揺れる。遙はそれを視界に入れながら担任の顔をちらりと見た。

「七瀬君は昨日はお休みだったわよね。初めまして、担任の天方美帆です。担当は古文。よろしくね。」

真琴と名前が言っていた通り、優しそうな雰囲気だと思った。
それと同時に、真琴と名前が言っていた通り、どこか頼りないとも思った。
華奢な、いかにも若い女性教師といった風貌。別に嫌いではなかったが、クラスメイトの男子が騒ぐほどの情熱は向けられそうにない。

こうして、お決まりの七瀬双子性別違い劇場が幕を閉じる。
出席簿の最後の生徒まで名前を呼び終えると、天方は委員長に号令を呼び掛けた。

「起立、礼。」

案の定、女子のクラス委員は名前が図書委員長と兼任していた。
──学校内でいくつ肩書を持ってるんだ。
呆れた遙は礼もそこそこに、早々と着席した。
天気は雲一つない晴れ。これでもう少し気温が高ければ海で泳げるのに。
そんなことを頭の裏側で考えながら。



(READY STEADY/七瀬遙)
1868 /riz1885/novel/9/?index=1
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