磁石の原理

『……』



何だろう、この如何にもな展開は。内心では酷く狼狽えているというのに、表情は相変わらず眉一つ動かない鉄仮面ばりの無表情。そんな私の態度に相手の方が懸念を隠せずに困っていた。



《 彼はシンドリアの王様で、シンドバット王。凄くお酒と女の人にだらしない人なんだ。そして、その隣にいる人は政務官のジャーファル。元暗殺者らしいよ、怖いね。それで、左隣の人は君を運んでくれたファナリスのマスルール。彼は信頼しても良さそうだね 》

『……』



隣で説明してくれるユニは、どこか楽しそうにはりきっている。でも誰も彼の姿に気がつかない、というか、視えていないため。実際問題。この声を聴けるのも私だけ。こんな静寂しきっている場所でユニに相槌を打てなくて歯がゆい。いっそのこと答えてしまおうか。とか必死に思考回路を堰止めた。色々と考えたくもない。目の前に居る長髪の人とかそばかすの人とか…。だが、その王様シンドバットさんが私に視線を合わせて声をかけてくる。だけど、私は視線が合う事を恐れて、俯きながら彼の顔を視界に入れないよう、彼の胸元ばかり見つめていた。



「体調は大丈夫かな、リノン」
『…はい。御心配をおかけしました。助けて下さりありがとうございます』



一気に捲し立てるように言い放ち、有無を言わせずに土下座する。額を床に擦りつけると顔をあげてくれ、と言われる。暫くの間、躊躇と葛藤を繰り広げながらしぶしぶ彼の言う通りに顔をあげる。すると、既に膝をついて至近距離に彼の顔があった。顎を掴まれてもっとと上を向かされてしまう。そんな大胆な行動に驚きを隠せずにいる内心。今にも突き飛ばして逃げ出したい衝動に身体が震えるが、ユニが眉を寄せて心配そうに見つめるから何とか耐えた。彼は、違う。そう自身に言い聞かせて、平常心を保ちながら彼の視線を真っ直ぐと受け止めた。綺麗なその瞳に、喉が上下に動く。どうしよう、仮面が崩れてしまいそうだ……。乾いた喉が火傷しようなほど熱くなる。そんなに、見つめないで。唇を噛みしめ力を入れたため、下唇から血が滲んだ。すると、距離を更に近づけられて鼻先を掠める距離に詰められ口を薄く開けてしまう。すると視界に一杯、彼で埋め尽くされた。



「そんなに強く噛むな。血が滲んでしまっている…」
『ッ、』



薄く開けられた下唇に彼の舌が這う。少しだけ痛みが走り、眉を寄せてしまうが、それよりも戸惑いの方が勝った。重なってしまう。短い息を吐き出す私の吐息に、彼の手が反応して頬に手を添え、角度を変えさせられる。思わず瞳を瞑ってしまう。そんな私の傍ではユニがシンドバットさんに向かって《 離れて! 》と引き剥がそうと動いているがそんなもの無意味だ。だって彼はこの世に存在しているわけではないのだから…。彼は周囲の唖然とする空気の中、実行する。でもそっと唇を触れさせた所で背後から厳しい口調と彼の肩に置かれる白い手によって掴まれていた顎を離され、私は大きく息を吐き出した。ユニに顔をあげてと言われて顔をあげると王にむかって口答えをしたのは、彼の側近であるジャーファル政務官だった。



「シン。彼女は初対面の女性ですよ。もう少し距離感を考えてください」
「……、すまなかったなお嬢さん」
『い、いえ……』



悪びれもなく穏やかな表情で謝罪をするシンドバットさんに、私は意地悪い人だと心の中でぼやいた。自然と心臓の所へ手を置き、息を一つつくとジャーファルさんが屈んで目線を合わせて来る。重なると、彼はどこか清冽を含む様なそんな瞳を宿していた。



「すみません、我主の無礼を謝罪いたします」
『いえ、大丈夫です。気にしないでください』



その瞳のおかげで私は正気を取り戻す。酷く狼狽していたことが嘘のように、心中には風が凪いでいた。まあ、きっと表情は眉や口元しか動いてはいないのだろう。ユニへちらりと視線を送ると、ユニは困ったように笑っていた。すると、シンドバットさんは少しだけ距離を置き、鋭い視線が私を貫く。



「君は、……不思議な人だな。ソミリとは正反対だ」



ソミリとは誰だ?ふと、彼の口から注がれた言葉に秘かな苛立ちと蟠りが残る胸襟の最中耳に届いたのはシャラン、と涼やかな鈴の音が響いた。軽やかなのに、とても華やかな芳しい匂いと共に、長い髪を携えた絶世の美女がカナリアのような可愛らしい声で王を呼んだ。



「シン。彼女はこの世の者じゃないよ」
「ソミリ」



シンドバットさんが呟いたソミリの名をもう一度囁く。それと同時に顔を上げた。視線は彼女の綺麗な容姿に釘付けとなる。彼女の傍まで歩み寄り、額に口づけを送っていた彼の背中に思わず冷めた視線を送る。これが俗に言う、美男美女ということか。相変わらず面食いな所は変わらないのだろう、この人もあの人も。豊満な胸の持ち主ソミリさんの腰に手を回して彼は問う。「 それはどういうことなのかと 」すると彼女は、私に視線を合わせて口元にシーと人差し指を携えた。その仕草に女ながも色気を感じた。



「私と同じ。別世界からやってきた来訪者…そうですよね?」



こちらに歩み寄ってきて、冷たい大理石に腰を下ろしている私に手を伸ばして指先で私の頬に触れる。その滑らかな指通りに気恥ずかしくなるが、表情筋は一切動かない。だけど、何故だろうか。彼女の雰囲気は有無も言わせぬ圧巻が存在していた。防衛本能に従い、頷いた。すると、満足げに微笑むと再び王へ振り返る。



「だから、シン。そんな風に彼女を見定めない方が…とても脅えているように見えるから」
「それはすまなかった。ジャーファル」



シンドバットさんの声に倣って今まで私の傍らに立っていたジャーファルさんが恨みがましい視線を彼に向けた。



「何故私だけ名指しなんです?シン」
「お前が一番怖いからだ」
「いきなり女性を口説きにかかるあなたには敵いませんよ」



口元を裾で隠しながら優雅な動作で笑うジャーファルさんは、どこか懐かしい。シンドバットさんはソミリさんの眼があって焦っている。二人は恋仲なのだろうか。雰囲気からそんなことをぼんやり思い浮かべていると、先程から静かなユニに疑問が生じる。だから、小さな声でユニと囁くように呼び掛けるとユニは何故か私の背中に隠れてソミリさん達を見つめていた。



『ユニ?』



もう一度呼びかけても彼の視線は止まなかった。それどころか、彼は何かに脅えるように私の服をその小さな掌で掴んで離さなかった。そんなユニに気を取られていたからなのか、話はトントン拍子に進んでおり、気がつけばジャーファルさんがもう一度目の前で屈んで居た。



「大丈夫ですか?」



心配の声をかけられ、焦ったが、私の顔は相変わらずの無表情。



『すみません』



そう一言言えば、彼は億劫な態度一つせずに再び説明をしてくれた。



「あなたはソマリのように何か特別な能力が備わっているのですか?」
『……いえ、私は何の取柄もないただの一般市民です』



ユニの怯え様とソミリさんの視線の意味に板挟みにされながらも、それだけは伝えた。そしてもう一度姿勢を正して再び頭を垂れた。



『ここで働かせて下さい』



頭上から小さく笑う誰かの声が聴こえた。多分、私だけが視えているカレだろう……。
それからはあっという間に就職先が決まり、今は、仕事先の同僚兼先輩に相当する女性と御対面していた。



「わたしはリーザ。よろしくね」



朗らかに微笑む優しそうな女性の手が、何だか悔しかった。
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