北極星の仕事と同じ

「……、返してきなさい!」



リーザさんの第一声に、顔を上げた私とメイリンはポカンと呆然としていた。何を言っているんだこの人。
事情を説明するとリーザさんは安堵の息を吐き出した。



「そうだったのね…私てっきり、誘拐してきたのかと…」
『失敬だなアンタ』

《 まあ。君は子供好きって訳じゃないしね 》



フォローさえしてくれないユニに少しだけ裏切られた気分。仕方ない。私は元の世界でも子供に好かれる要素などないし、それに末っ子だったから、扱い方とか知らない。未知な物には手を出さない主義だったからな。血だらけだった手をリーザさんが手当てをしてくれる。包帯が更に貧弱差に拍車をかけた。威張り気味に鼻を鳴らすと、メイリンが膝の上で「 続き 」と訴えられる。再び棒読みで物語を読み始めるとリーザさんが「 そう言えば 」と言って彼女の背後に隠れていた少年を差し出してきた。



『リーザさんって……美少年コレクターなんですね』
「何その勘違い」



眉目麗しい少年の肩に手を置き反論してくるリーザさんよりも視線は少年へと向けられる。何故なら少年の目線は私の膝の上に乗って我儘言ってくるこのメイリンを離さないのだから。



『リーザさん。その少年探し物してます?』
「ええ。そうなの。妹を探しているって、だから一緒に探して欲しくて連れて来たの」
『へえ…じゃあ、これ返します』



そう言ってメイリンの脇の下に手を入れて持ち上げる。そして少年に向かって差し出せばそれを受け取りお礼を言う少年。頭を下げる少年を見て、リーザさんはらしからず一拍置いてから気がついた。



※※※




『ルシアって言うんだ』
「はい。メイリンがお世話になりました、リノンさん」
『別にいいよ。それよりメイリン。ルシア君を困らせるとは不届きだな』



軽い拳骨を落とすとメイリンは頬を膨らませては、ルシアにごめんなさいと言った。そんな彼女の従順さにルシア君が驚いていた。



「メイリンが僕以外の人に懐くなんて初めてです」
「ルシア君。お礼言わない方がいいわよ。リノは余計なことまで教えてるかもしれないから」
『さっきからアンタは私をどういう風に見てるんだ』
「道化師」
『……』

《 気に入ったんだ 》



満更でもない私の反応にユニがツッコむ。包帯をしている腕に手を添えて歩くメイリンに酷く気に入られたようで、そんな彼女の姿をルシアは穏やかに微笑んでいた。



「ルシア君荷物持ってくれてありがとう。今お茶入れるからちょっと待っててもらえる?」
「お構いなく」
「リノン、これは?」
『本。でもそれ物語じゃないからつまらないよ』



台所に荷物を置くとメイリンに裾を引っ張られて、片づけをリーザさんに頼んで導かれるままに行くとそこは本棚だった。そんなことよりも、と彼女の背を押しながら『 手を洗うよ 』と言えば素直に頷いてルシア君も呼んで三人で手を洗っていた。



『これ、ちゃんと拭きなさい』



しゃがんでメイリンの手をタオルで拭いていると彼女は本棚に再び視線を投げる。



「ねぇ、リノン。わたしにも読める本ってある?」
『興味あるの?』
「うん」
『ちょっと待ってな』



立ち上がると椅子に座るよう言ってから本棚に行き探し始める。



《 何探してるの? 》

『ネコ』

《 君は本当にネコ好きだよね…、あったよ! 》



ユニが指を差す場所へ行き、その背表紙に手をかける。薄い板のような本を手に取り目当ての物だと確認してから、メイリンに渡した。



「これなに?本?」
『それは絵本って言う本。絵を主体とした立派な本だよ。君はまだ字が読めないから取りあえずは絵で何を表現されているかの理解力を学ぶことが大事』
「……リノンは、先生みたいだね」
『せんせい?』



この世で一番自分に不釣り合いな職業として候補が上がるほどの苦手意識満載な先生という役職を言われて、少しだけ眉を潜めた。教え方が決して上手い訳じゃないし、何より先生という類の人種を心底嫌っているため同類に認定されると腹が立つというものだ。



「だって、ちゃんと教えてくれるから」
『……学びたいなら教えてあげるよ?』



俯いたメイリンの顔を上げさせるために囁くと、嬉しそうに顔を上げて「 本当!? 」と言いたい所を遮ったのは、ルシア君だった。



「メイリン。リーザさんの手伝いをしてきてくれるかい?」
「…うん、わかった」



有無を言わせないその声色に、メイリンは反論せずに従った。台所へ彼女が消えるとルシア君が私を射抜くような視線を向けて来た。思わずユニが警戒する。



「リノンさん。あなたはあの子がどういう境遇で育っているか御存知ですか?」
『…だいたい』



壁に寄りかかりながら、ルシア君の睨みつけるような視線を受け止める。



「あの子の父親は犯罪を犯しました。譬えそれが正当防衛だったとしても、決して許されない行為。人を殺したんです。しかもあの子の、母親を」



妙に納得してしまった。あの子の冷めたような言動と立ち振る舞いや食べ方、身なりなどの諸々の各種。視線を思わず下げてしまう。



《 同時に亡くしちゃったんだね 》



ユニの悲痛な声に私も同感だった。ルシア君の瞳にも悲観的なものを窺えた。



「人殺しの娘、としての批判は多かったです。王様の恩恵でここで暮らす事を許されても周囲がそれを許してくれるはずがありません。もし、軽い気持ちで先程の事を進言したのならメイリンに二度と近づかないでください」



線の細い身体。普段からろくにまともな食事が出来ていないのか、それとも病気持ちなのかどちらかはわからないけれど。彼にとってメイリンがどれだけ大事なのかが伝わって来た。それはきっとメイリンも同じこと…不用意に近づいてきた大人に、きっと何度も傷つけられたのだろう、だけど彼女がどうしてそれでも人に近づこうとするのか、それを考えるとここで引き下がるわけにはいかなかった。何でこんなに熱くなってるんだろう。意味わかんない。



『君がメイリンをどれ程大事に思っているかはわかった』
「それでは」
『じゃあ、それらを踏まえて君に質問をしてもいいかな?』
「……どうぞ」
『君はどうして何度もメイリンが大人に近づいたと思う?』
「それは……」



彼は咄嗟に答えが出なかった。必死に考えているけど、きっとどんなに考えても答え何て出て来ないと思った。



『答えは、生きていくため』
「生きていくためって」
『知識や教養を身に付け、社会に出て、王様に受けた恩恵を返すために。まあ最優先事項は、君と一緒に生きていくために』
「め、メイリンがそんなことを思っていると?あなたが何故解るんですか?」
『解らないよ、人の本音なんて。一番理解出来ないししたいとも思わない。だけど…私は彼女のように強くて逞しい人を知っているから』



瞳を閉じると瞼の上に懐かしい情景が浮かぶ。元気にしているだろうか、風邪はひいていないだろうか、食事にだらしなくて、朝は苦手で、それなのに、いつも私の心配ばかりしているあの人。メイリンを見るたびに放っておけないのは、きっとこれの所為だ。瞼を持ち上げると目の前に敵意むき出しにしていた少年は、どこにも居なかった。鼻から息が吹き抜けると私は壁から背を離しルシア君に手を伸ばして抱きしめた。たったの12歳の少年が一生懸命8歳の少女を護ろうと頑張っていたその勇士に、私は称賛するよ。服に鼻水がつこうがもう、構わない。この服は先程から塩水ばかり付着しているから、どうにでもなれ。指通りの滑らかな髪に指を梳かせながら撫でた頭は、こんなにも小さかった。



『がんばれ』
「っ……」



譬え、君が病弱でも、余命宣告されていても、それでも君の事を必要としてくれる人がたった一人いる。これまでも、これからもがんばれ。メイリンは君と生きて行こうと頑張っているのだから……。



「お兄ちゃん?」
「しー。少し待ちましょう」



リーザさんがメイリンを引きとめて、暫くの間ずっとそこで待っていた事を後になって気がついた。少しだけ泣き腫らしたルシア君にメイリンが「 どうしたの? 」と尋ねるけどルシア君は首を振って「 なんでもない 」と告げて笑った。



「あの、リノンさん」
『ん?』



紅茶の入ったティーカップを片手にクッキーを咀嚼している時に声をかけられて間抜けにも一応反応する。どこか真剣な面持ちのまま彼は。



「僕に字を教えてください」



そう言った。それに対して私は二つ返事「 いいよいいよ 」とやる気のない返事をしたものだから、リーザさんに頭を叩かれたけれど、彼らが帰る直前。私が覚えた字の表を差し出すところを見て、苦笑していた。



※※※




『リーザさん。説明を求めます』



詰め寄る私にリーザさんは終始笑顔だった。空いた休日にルシアとメイリンに個人的指導をしながら仕事をこなしていたある日。リーザさんに呼ばれてやってきた紫獅塔のとある一室の前で立ち止まる。



《 何か怪しいよね 》

『うん』

《 ここって王様とかその近しい臣下の人達の私的住居だよね? 》

『うん』

《 何でこんなところに…ま、まさか!やっぱりジャーファルが!! 》

『被害妄想止めろ』



ドアの前で揉めている突然扉が開いて驚いて後退する。目の前に聳え立つ人間とは思えない筋肉と長身にますます驚いた。えっと、確か……寡黙な顔というか、私と同じで無表情な彼を見つめる。



《 確か……、マスルールだよ!君を助けてくれた 》

『ああ!その節は助けていただきありがとうございます』
「いや、気にしないでいい」



そう言って、彼はドアを押さえて私を中へ招き入れた。もう一度頭を下げてから中へ入るとそこには、8人くらいの子供たちが……コドモたちが?いた。目が点になり、微動だにせず突っ立ていると見知った顔、メイリンが私の手を引いてくる。



「リノン、こっち」
『あ、いや、うえ?何で君がいるの?というかルシアまでいるじゃないか』
「御無沙汰しております」



礼儀正しく頭を下げる彼に更に脳内は混乱していた。そんな私にジャーファルさんが目の前までやってきて、何故か感極まっていた。



「あなたに学があるとは思いませんでした。私も常日頃から孤児たちに教養を身につけたいと思っていたのですが、暇がなくて…それを引き受けてくださるとは、リノン。あなたは本当に女神です」
『何言ってんだこの人』



興奮して途中から支離滅裂だ。ジャーファルさんってこんな人だったっけ?一気に私の中でのジャーファル説が崩れていく。茫然と話が進む中、才色兼備のリーザさんが室内に入って来た。



「遅れて申し訳ございません、ジャーファル様」



優雅にスカートを持ち頭を垂れる姿に私は、そちらへ向かうと彼女の顎を掴んで引き寄せた。顎の骨が軋む程強く掴みながら、冒頭の台詞に至る。



「子供に好かれてるし、何より学を教え方結構うまかったし、それでどうかとジャーファル様に話を持ちかけただけなのに……顎外す事ないでしょ!」
『ケッ』

《 うわー柄悪くなってる 》



唾を吐きかける勢いで彼女を睨みつけるとうぅと泣き真似をする。確かに顎の間接を外したのは本当だ。勢い余っての過ちだったから別にいいだろう。それより勝手に決められてこっちは大迷惑だ。ちらりと視線を机の上に座っている子供たちへ向けると、成り行きを見つめながらどこか落胆していた。視線を彷徨わせるとユニのジト目に罪悪感が湧きあがる。
再び視線を子供たちに戻すとこちらを懇願するような眼差しで見つめてくる。期待されると困る。どうしても答えたくなってしまうから……。後ろの方で子供たちに指示を出していたリーザさんをもう一度黙らせてから、用意されている教卓に向かい子供たちと向き合う。



『学びたいか』



そう問い掛けると、子供たちは元気よく答えた。



「はい!」
『私の言う事は』
「絶対!」
「何故言わせた」
「そして何故そう答える」



ジャーファルさんとリーザさんの静かなツッコみが入る中、私のこの無表情に子供達は怯える事なく笑顔を浮かべていた。



『じゃあ……、鬼ごっこしようか。言いだしっぺのリーザさんが鬼だから全速力で逃げたまえ諸君』



そう言い終えると私は扉まで駆けだした。そんな私の言葉にメイリンとルシアは笑って賛同するように倣って駆けだす。すると残りの子供達も一緒になって駆けだした。おいてけぼりになるリーザさん達。ぼんやりしていると、リーザさんが立ち上がる。



「ジャーファル様、マスルール様。お時間ありますか?」
「え、ええ大丈夫ですか」
「自分も」
「では、10数え終える前にお逃げください」



そう言って微笑むリーザさんに意図を読み取った二人は顔を見合わせて表情を緩めた。



「それでは行きましょうか」



ジャーファルさんの言葉にマスルールさんが頷いて二人が駆けだす。明るい日差しが照り返す正午の刻。リーザさんは眩しそうに眺めながらこの宮廷内を駆けまわった。
子供たちの楽しそうな声が響き渡る。それは、まるで、小鳥の大合唱のような、そんな心地よさ。
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