取り扱い説明書の裏側

昨日の言動が全ての現況に変わるとき、人は後悔を何故先に立たせてはくれないのだろうと苦悩するだろう。



「で。結局保留なんだ」
『うん』



鼻をすすればティッシュをくれる。そのティッシュに思いっきりかむ。



「それにしても珍しいね。世良がその場で断らないなんて」
『いや、断った……んだけど』
「……ふーん」
『なによ、その顔』



嫌味のようなにやけ方をする鞠に対して不気味に思うけれど、確かに可笑しいなと思ったのは事実。ああいうことは長引かせれば長引かせるほどに答えはこじれていく。最初にあった意志はなし崩しになってしまうなどという初歩的な事を何故知っていながら、私はあのような回答を口にしてしまったのだろう……。
昨日の一連をぼんやりと思い出しながら鞠と教室へ向かう廊下を歩いていた。



「ああ、でも東堂君が知ったら大変な事になりそうだよね?」
『ッ!!すまん、鞠。今日は早退するっっ!!!』
「えっ、ちょっ!?世良??!」



鞠の発言により噂の人の気配を察した瞬間、私は回れ右をして走り出した。鞠の引き止める言葉が聞こえたがそれさえも無視して今は逃げることに専念した。



「狭山!世良を知らないか?!」
「ああ、東堂君。おはよう(視力悪いのに気配で察知したのかな、世良)」
「ああ、おはよう。で、世良は何処に?」
「ええ?どうしたのそんなに慌て「荒北と付き合うっていうのが本当かどうかを確かめるために探しているんだ!!」
「うわぉ!もう噂になってるんだ…でもまだ付き合うと決まったわけじゃ「ん?!世良の香りが…やはり逃げたな世良。ふふ、山神と謳われし俺から逃れられると思わぬことだな!」



台風の如く私と同じ方向へ走り去る尽八に、鞠はお腹を抱えて笑っていた。



「ツボっ!ツボすぎる……!うわー超ッ観たいんですけどぉ!!!」

(てか、東堂君。我を忘れすぎでしょ)



廊下にいた登校中の生徒達が唖然とした様子で遠巻きに東堂と私の逃亡劇を観戦していた。



『まっ、まだ追いかけてっ』
「世良。お前は本当に荒北と付き合うと言うのか!!許さんぞ、俺は断固認めん!」
『お父さんかぁ!!!』



走りながらの討論はこの長い廊下でも続いていく。学校の出席日数はもう足りているし、予備登校の日にでも充てられた今日は特にサボったとしても文句を言われるようなことはない日で…。だから、真面目な尽八も時間など無視して追いかけてくる。捕まると厄介だし出来れば知られずにひっそりと終わらせたかったのに、やはり冴木花梨はとても有名人なんだ。改めて理解する。
運動部のあいつと私じゃ、力の差は歴然。もう体力が持たない。走っている三年の廊下で一つ窓の開いた場所を見つけて私はその窓の淵に手を置き、勢いよく足を上げて外へと飛び出した。
身軽な身のこなしで着地に成功してそのまま外へと走り続ける。



「くっ!運動神経の良い奴め。厄介だな」



だが、尽八も窓の淵に手をつき外へと出てくるつもりのその様子を見つめて、勝ち目がない。と戦況場、不利だと思う。ここまでか、と思った時、ブレーキ音が聞こえたと同時に呼ぶ声が聞こえた。



「仲村チャン!」
『ッ……!』



振り返ればそこには荷台のついた自転車に跨っている荒北くんがいて。私は思わず立ち止まった。だが、彼が凄い勢いで怒鳴り散らしてきた。



「早く乗れってンだよ、ボケナス!チンタラすんなァ!」
『はっ、はい』



急いで彼の荷台に横向きで座り乗れば、彼はそのペダルを漕ぎ出した。荷台の自転車だというのに殺人的な速度を出して。



「しっかり掴まってろヨ!!振り落とされてもシンネェからナぁ!」
『うわっ』



風に背中を押されるように彼の腰に自然と腕を回して彼の背中に頬を押し付けて密着してしまう。それと同時に後ろからは尽八が私の名前を叫んでいた。絶対、後ろ振り返りたくない。その意思が思わず彼の制服を思い切り掴んでしまった。



「もうイイだろ」



そう言って自転車は停止した。景色の開けた小高い丘らしき場所で。誰も人はいなくて澄み切った空気に私は思わず感動してしまう。荷台から降りて小走りで塀の傍まで向かい、手すりにつかまりながら綺麗な緑に囲まれた街並みを眺めた。



『綺麗』



自転車を止めて荒北くんもこちらへやってくる。隣に並べば同じようにここから見える景色を一緒に眺めた。



「仲村チャン。オマエ、ウソついたろ?」
『え?……あ゛』
「生理的に受け付けないようなオンナがオレに触れたってどゆ、コト?」



迫られるよりも迫力があったと認めよう。下から人の顔色を覗き込むような彼の体勢に逃げ腰になる。が、それを引き止めるように前に出した制止の手首を掴まれてしまう。ぐっと力を込められて引き寄せられしまい、私の額は彼のワイシャツを掠める距離へと変動する。顔が上げられない。



『嘘、だけど。でも知らない男に触られるのは御免だ』
「ふーん。じゃア、オレは条件クリアってかァ?」
『ッ!!』



固まる私の身体をいいことに彼は耳元に唇を寄せて話すから耳に彼が吐く吐息がくすぐったくて思わず肩を跳ね上げらせた。

なんだ、この人……?!
何でこんな強引なんだっ、破天荒だからか?破天荒だからなのか?

意味のわからない論争が頭の中で繰り広げられる。ああ、パニックになる。



『あ、あなたの条件を呑むとしたらっ、そこにはどんな意味が込められているの?』
「アァ?」
『どうして付き合わなきゃいけないのかその経緯が知りたいの』
「なんで?」
『…だって、あなたのこと知らないから』
「……」



そう言うと手首を掴まれた腕が放される。突然の事でゆっくりと自分の腕を胸まで持ってきて手首を片手で覆えば、彼は数歩離れてまた他所を向いた。今度はこちらに表情などを伺わせないように前髪で隠して。だから、見上げても彼の様子はこちらからでは伺えなかった。



「あいつの…条件だから」
『条件?』
「カノジョが出来ればヤメてやるって」



足りない言葉の数々はきっと金曜日に鞠から聞いた噂のことだとすぐに合点がいった。きっと彼が言いたいことは、冴木さんが荒北くんに彼女が出来れば男遊びをやめてあげる。という和訳なのだろう。


一体、荒北くんと冴木さんはどのような関係なのだろう?

荒北くんに彼女が出来たら何故男遊びがやめられるのだろう?

何故、そのような条件を突きつけたのだろう?


何にしても面倒事には変わらなかった。きっとこの理由を聞いてしまった所で私は協力するという同意を示したことにすぎない。はあ、自分から墓穴を掘るなんて……まさに人間の好奇心が自身を破滅へと導いた、そんな所だろう。
頭を抱えた。溜息が出てきた。そして、私は景色を見つめた。太陽が真上にいてもこの寒さは消えない。鞄の中に入っている四角い箱は溶けてしまえばいい。頭の中をぐるぐる回る意味の立たない思考回路は、もう捨てなければならない。



『いいよ』



その時、風が吹いた。寒さの中に隠れた温かな息吹。



『君のうそカノになっても』



もうすぐ、春が訪れる。



(20140318)
ALICE+