くもりのちくもり

誰もが焦がれるその場所は、いつだって空っぽ。



「ふーん、偽りの恋人ね」



事情説明をしたら鞠の反応は段々と色褪せていき最後には口数が減った。話し好きな鞠からのこの態度に私は何だか、一触即発な想いを抱いた。ジャージの袖に手を引っ込めて息をあてながら彼女を横目に様子を見ていたら、鞠はまとめた髪を揺らした。



「それにしては恋人同士に見えないけど?」



突然指摘されたそれはからかいの眼差しを宿しながら問いかけた質問だった。そのことに酷く安堵しながら歩幅を合わせて歩く渡り廊下。



『朝は部活があるみたいだし、ここ最近は期末テストに追われていたから一緒にいられなかっただけ』
「放課後勉強とかすればよかったじゃん?」
『どっかの誰かさんが頭悪い所為で面倒を見ていたからさ〜』
「どこの誰だろうね〜?」
『ここのこの子だよ〜。春休みがなくなるって泣きついてきたしつこい子でね〜』
「……すッませんでしたっっっ!!!」



勢いよく頭を下げながら私たちは笑い合う。一頻り笑い終えれば鞠はあの表情を取り戻す。



「それにしても、噂って拡大されるものだから。気をつけなよ?」
『ああ……、うん』



ちらほら、今も聞こえる。あの電撃並みの恋人宣言から数週間。電撃だっただけに、一緒に居るところを見かけないだけで「 別れたんじゃない? 」とか「 嘘だった 」とか囃し立てられた。まるであれは夢の出来事だったんじゃないかと言われる程の万栄。人はそれに食いつく。面白い程に、単純な程に…。



「それにしても、荒北如きでここまで噂されるなんて…有り得ない」
『そうなの?』
「そうでしょーよ。あんたの周りにいる男って美形ばっかじゃん!それに比べたら見劣りするぐらいのレベルだよ、奴は」
『ふーん。そうなんだ』
「…ほんとっに興味ないよね、そういうの」
『それで人間の価値が決まるとは思ってないからね』



冷たい風が吹くたびに長くなった亜麻色の髪が揺れた。首筋が寒さを訴えるからジャージの襟をたてる。



「多分冴木花梨の所為だね。ここまでの拡大」
『拡声器かなにか?』
「そうだと思うよ?あの子の価値が荒北の全てを決めつけているようなものじゃん」
『そう……それは、知らなかった』



そう言ったら鞠は「 嘘ばっかり 」と言って笑った。知らないことは全て知らない。だから知らなかったと言った私の言葉遊びを彼女は可笑しくて笑ったのだ。
体育館につくと凄まじい熱気が私たちを包み込む。ここには二学年の生徒たちで溢れていた。クラス対抗男女混合ドッチボールなのだから仕方がないことだろうけど。
だが、その圧倒的大体数の人数に私は眉をしかめた。



「人多いね」
『本当にね』
「おめさん等来るの遅かったな」



そう言ってこちらにやって来たのは女子の輪の中を抜け出してきた新開だった。



「新開、うちのクラスの試合っていつになったの?」
「次の試合が終わったら俺たちだよ」
『まだ先だね』
「本当にうちのクラスってじゃんけん弱いよね」
「そう言ってやるなよ」



軽快そうに笑う新開と納得のいかない鞠に挟まれて私は試合をしているコートへ視線を走らせる。
すると反対側の扉近くに、冴木さんが壁に背を預けてこちらを見ていた、ように見えた。視力が悪いせいで相手のシルエットしかわからないけど、多分あれは冴木さん。そしてその隣にいる黒髪は―――。



「世良!」



突然私の視界を覆ったのは、白いカチューシャをつけた尽八だった。



『尽八』
「俺の試合を応援しに来たのか?そうかそうか!俺の勝利する場面をしかと刮目するのだぞ!」



何を言っても聞いていないことは承知なので黙って尽八の好きなように解釈させていた。否定するのも面倒だ。



「尽八。試合中じゃないのか?」
「おお!隼人か」
「東堂君ってば露骨だね〜」
「何を言うか!狭山女子!!」
「東堂ッ!てめぇ早く試合戻れヨ」
「靖友。そう言えばおめさんも尽八と同じクラスだったな」
『えっ?そうなの?!』



驚いてしまい大声を出してしまう。そんな私に尽八は「 教えてやるな!隼人 」と怒っていた。知ら無さすぎにも程があるかもしれない。これでは偽物だなんて簡単にバレても仕方がないかもしれない。噂に感服していると荒北くんがこちらへやって来て尽八の背中を足蹴にしていた。



「てめぇ、早くこっち来いヨ」
「人を足蹴にするとは何事か!!見よ、世良。荒北とはこのような男だぞ!」
『……同じクラスだった事何で言わなかったの尽八』
「それどころか同じ部活だって事も言ってないよね、東堂君」



面白そうだと判断した鞠がそう告げ口すれば、私の額に青筋が浮かぶ。それを「 ヒィ! 」と鳴いた尽八は鞠に「 余計な事を言うな! 」と講義していたが、私は尽八の胸ぐらを掴んで引き寄せる。



『尽八…後は何を隠しているのかな?』
「べべッ、別に何も!何も隠してなどいないっ!」
『本当に?同じ部活で同じクラスだったなんて事知らなかったんだけど?何で教えてくれないの?やけに親しいとは思っていたけど……除け者は好きじゃない事知ってるでしょ』



周囲を凍てつかせる程の表情に周りは凍りつくように固まる中で、揺らしても尽八は謝りさえも言わなかった。その唇は真一文字に結ばれる。その彼の見上げた根性に敬服すらするが、すっとそこへ第三者の制止の手が入る。



「オレが言わなかったダケだって」
『荒北くん』
「……荒北。試合へ戻るぞ」



そっと触れそうになった彼の指先は尽八の促しによって触れることは叶わなかった。掴んだ襟首が離れていく中で荒北くんと視線が重なる。黒い瞳が私を見つめては何かを言いたくて彼の口がわななくが…それは言語となることはなかった。引っ張られた彼はそのまま試合へと戻って行った。



「うちらも観戦出来るとこにでも行こう」
「ならこっちにあったぞ」



二人に連れられて私もその場から離れるために、彼から視線を逸らした。逸らした間に冴木さんを再び捉えたが、彼女はひとりだった。あれは、私の勘違いだったのか―――。



「 ちょっとみた? 」
「 うっざ 」



密やかに施される女子たちの視線を見ない振りをして尽八たちの試合を静かな所で観戦していた。



「東堂君。あからさまにこっちにばっか決めポーズしてくんね」
「飛ばしてんな尽八の奴」
『無理しちゃって』



壁に寄りかかりながら三人で横並びに並んで観戦をする。周囲は尽八のファンの子達だろう。先程から尽八への応援のコールが黄色い歓声と共にけたたましく響き渡る。ダブルスピーカーの様に耳障りに思いながらも、試合を楽しそうにやっている尽八を見ればこれでよかったのだと思う。



「すみません。次の試合のクラス委員の方は受付に申告してください」
「あ。ちょっと行ってくんね!」
『いってらっしゃい』
「新開頼んだよ〜」
「おう」



そう言って手を振りながら鞠は受付へと向かう。人ごみの中へ紛れて行けば新開と二人で試合を見つめる。
そこへ新開の彼女らしき子から声をかけられる。



「あの先輩っ」
『新しい彼女?』
「ああ。ちょっと外すが大丈夫か?」
『どうぞ』
「すぐそこにいる」



新開がそう言うがお構いなく遠くへ行って来いと言ってしまいそうだった。他人の恋路の会話など聞きたくもない。ヒラヒラと気軽く見送り、私の周囲はあっという間に居なくなった。ボールを掴んで投げている尽八と外野に居る荒北くんへ視線を投げれば、視界の横に映った冴木さんへ注視は向きそちらへ投げる。
壇上の傍で見知らぬ男子生徒と話しながらこちらに気がつけば、不敵に微笑んだ。そして可憐なその唇が僅かに動く。その意図する言葉を解読しようと意識が集中したその時。



「危ないッ!!」



誰かの悲鳴のようなその言葉に私は一気に振り返った。私の視界に映ったのはドッジボール用のゴムボールではなく、バスケットボールの硬式ボール。今更避けられないと悟り、咄嗟に目を瞑り顔の前に腕を交差させた。衝撃を少しでも和らげようと出した腕だったけれど、乾いた音は私へ振動を送ることはなかった。ゆっくりと床に落ちるボールの弾む音が三回なりながら、コロコロと転がり止まる。一瞬の出来事だったと思う。いくら待っても衝撃が来ないことに疑問を感じて、私は静かにゆっくりと瞳を開く。交差した腕の隙間から覗いた漆黒は最近よく目にするものだった。それから、鼻を動かせば香るいい匂いに確かめたくなって顔を上げようとするけれど、背中に回った腕によって叶わなかった。気がつけば私は片腕に抱きしめられていた。



「オイ!バスケボール飛ばしたヤツ誰だヨ」

「今、凄い音したよね?!」
「誰だよ間違えて投げた奴」



周囲の雑音が体育館内を包み込む。背中に回された彼の腕に力が篭るのを感じながら密着する彼のジャージに額を寄せた。掴んだ服に皺が広がり、彼は口を紡ぎながら私の肩へと腕を回せばそのまま体育館を去ろうとした。



「保健室連れてイクから勝手にやってろ」
「ああ、わかった…」
「……」



動き出す彼の足と共に私の足も前へ出る。



「黙って歩け」



何かを発する前に彼はそれだけ耳打ちしてから強く私を引き寄せる。二人三脚をしているかのように同じように足が並んで出ながらも、私は僅かに肩を震わせた。


勝手に飛べばボールだって狂気になる。



(20140403)
ALICE+