A maze only with an exit

どのくらい眠っていたのだろう。わたしは程なくして眼を覚ました。まだ意識が混濁するくらい頭を何かで強打したかのような目眩と激痛を訴えながらも手首を額にあてて真白な自室の天井を眺めた。暫く見つめて息を吐き出せば、室内に律儀にノックをしながら入ってきた黒子くんが温かな瞳で出迎えてくれた。



「大丈夫ですか、果杞さん?」
「うん……何とか」



ぼかす様な言い訳の言葉に黒子くんはクスリと笑って傍らにやってくるとお盆を持っていたようでそれを床に置いてからわたしのもう片方の手首を取り出し、脈拍を測った。正常だと判ると一安心と言うかのように息を吐き出してから、わたしの好きな紅茶を取り出した。



「果杞さんの好きな紅茶を淹れて来たんですが、飲みますか?」
「うん」



頷くとますます微笑みを深められる。その顔を見るととても心配していてくれたことがわかり、何となく罪悪感に見舞われる。上体を起こそうと傾く身体を黒子くんは自然な動作で支えてくれる。そして背もたれにクッションを重ねて挟む。
楽な体勢を作ってくれて、その嶺でわたしに紅茶の陶器を手渡す。仄かに香る茶葉の香りがわたしの鼻孔を通り、それが精神安定剤となる。
口に含むと、黒子くんは穏やかに微笑みながらわたしの説明を待っていた。そんな態度の黒子くんにわたしは、自分で辿り着いた結論を鈍らせる。

まだ、戸惑いや迷いがわたしの邪魔をする。本当に、黒子くんが嘘を……?信じられない。だって黒子くんが嘘をついて何のメリットがあるというの?黄瀬くんを傷つけるにしてもその意図がわからない。理解出来ない。そうやって理性がわたしを戒める。
黒子くんの瞳をじっと見つめてしまう。いつまでも何も云わないわたしに怒りや憤りなど感じていない。ただ、わたしの言葉を待っている黒子くんの態度に、その柔和な瞳にわたしは潤った筈の喉に指先を伸ばして擦った。喉が渇く……。

それでも、云わなければ―――。今のわたしには、全てを見極めるための情報が必要なんだ。
薄く開いた唇に掠れた声が風に乗る。



「記憶を……少し、思い出したの」
「記憶?誰のですか?」
「カノジョの、きおく」
「……そうですか」



表情は変わらない。だけど、どこか焦りが見て取れた。その態度にわたしは黒子くんの疑念の布石を拭えなくなる。揺れる瞳を落ち着かせるために、瞼を閉じてから、再び開き。黒子くんを見つめ直す。彼の穏やかな表情、態度を見逃さないために。



「どうして…嘘をついたの?」
「……うそ?何がです?」



誤魔化すように黒子くんがわたしを見つめて来る。何の色も見いだせないその瞳で。



「黄瀬くんはストーカーじゃなかった。カノジョの彼氏……だったんですよね?」
「………」



最後を疑問系にしたのは、保険だったのかもしれない。ここでわたしが肯定文を言えば、きっとわたしの身にナニかが起こる。そんな気がした。黒子くんの手によって……。
ゴクリ、と喉が鳴る。黒子くんの返答は今も沈黙の中。ただ、時計の秒針だけが音を鳴らせる。チクタク、チクタク……と。
長針が動き出す。ガタリ、と。そうすれば黒子くんの前髪で隠れた水色の瞳が虚ろよりももっと恐ろしい程に光を放った。その瞳に肩が揺れる。これは、少なからず恐怖を感じたんだ。



「さあ、どうだったんでしょうね」
「……え」
「僕は本当の真意など誰にも判らないと思います。カノジョが黄瀬くんを彼氏だと認めても、黄瀬くんがカノジョを彼女だと認めていても。双方の想いが同じだったとは思えません。それは想いの丈然り、認識然り……」



黒子くんの言い分は…どこか、変だった。【変】なんて生易しいのかもしれない。【異常】だ。黒子くんは、カノジョと黄瀬くんが周囲から認められるほど、互いが認める程恋人関係にあると主張しても、決して認めない。そう、断言している。異常だよ、そんなの。可笑しい……それではまるで――――。



「カノジョと黄瀬くんは恋人同士だった。それは決して揺るがない事実。カノジョの記憶にちゃんとあった。想いはどうかわからないけど、それでもカノジョの記憶の中では黄瀬くんはカノジョにとっての恋人だった。絶対、間違いない―――!!」



握りしめた毛布に皺が寄る。言い切ったわたしの言葉に黒子くんは反応しない。でも、こうでも言わない限り、きっと黒子くんの事をわたしは【恐怖の対象】としてしか見られなくなる。そんな風に思わせないで欲しい。これはわたしの被害妄想で、本当は、真意は、あの病院で最初に出会った優しい黒子くんだと思わせて欲しい。
その小さな願いから出た言葉さえも、黒子くんに届かない―――。



「ッ!!?」



突然肩を掴まれてそのままベットに押し倒される。押し倒された反動でベットのスプリングがグラグラと揺れる。身体が跳ねるけれど、上から強い力で押さえつける黒子くんの身体によってわたしの身体は不自然に抑え込まれる。爪が肩の柔らかい肉に食いこむ。
痛みに顔を歪ませていると、黒子くんのあの目がわたしを見降ろしていた。



「ッ駄目だ!駄目だ、ダメだ、ダメダ!!!気を許してはイケない!あいつはキミを救えなかった!救う事すら出来ずにみすみす見殺しにして、あまつさえ君を殺した!!」
「ッ!!?……こ、ろしたっ……?」



黄瀬くんが、わたしを……?黄瀬くんがわたしを殺して、カノジョを見殺しにした?そんな、莫迦な話があるわけがない。だってわたしはこの世界の住人じゃない。どうやって黄瀬くんがわたしの世界でわたしを殺せるの?そんなこと有り得ない。



“ ホントにそう? ”



頭の中で響き渡ったその問いかけに。わたしは、瞳の端から涙を溢した。見開かれたわたしの瞳から流れる涙に黒子くんは我に返ると肩から手を退けてわたしの頬に手を添えて涙を親指で拭いながら、震える声で懺悔してきた。



「すみませんっ……!すみません、果杞さん……果杞――っ」



黒子くんは掠れる声でわたしの名前を呼び続けた。いや、わたしと同じ名前のカノジョの名前を叫び続けた。わたしを抱きしめるように、情緒不安定な彼をわたしはただ呆然と受け入れながらも止まらない涙を流した。


気がつかないフリをしていたのは、だあれ?


2013.04.25
ALICE+