Existence value of I

「恙御さん。空気の入れ替えしましょうか」
「……」



看護師さんが窓を開ける。エアコンを切り、風が入り込む。外から聴こえた音は、蝉の鳴き声だった。

夕涼み、と人は言う。夕方の一番気温が落ち着き、涼しいと感じる体感温度。入院患者が皆、外へ出たがり、エレベーターが一番混雑する時間。わたしは、静かな個室のベットの上で何もせずに黙って背もたれを作ったベットに寄り掛かりながら、窓から見える景色を眺めていた。夕日が鮮やかな気がして、ひとりだということを実感させられる。
身体が震えた。



「……果杞さん」
「……」



いつもの彼の声。さつきが持ってきてくれた着替え類と洗濯物を彼に任せていた、ような、気がする。でも、彼へ振り返りたくはなかった。視界に、入れたくはなかった。
テーブルの上には、大輝が暇つぶしに持ってきてくれた、漫画とゲームが転がっている。カタリ、と音を立てて、テーブルを揺らした。全ての物から、視線を逸らして、わたしは、夕日だけを視界に留めた。棚の中にしまい終えたのか、黒子くんはいつもの定位置に腰かけることもなく、その場所に立って、わたしに囁くように唱えた。



「外に、出ませんか?」



誘われるように、わたしは首だけを縦に動かした。用意された車椅子に座り、初めて病室から抜けだして、初めて外を体感した。



「屋上……」
「すみません。まだ、室内を出てはいけないとお医者さんに言われていたので」



それは、駄目なのではないのか?そう思いながら、真白なシーツが揺れる屋上の中心へと車椅子を進ませた。バリアフリーになっているため、障害物という障害物はなく。快適な外だった。風が髪を靡かせ、頬を滑り、身体を打つ。その風は少しだけ冷たくて、でも温かくて、正直、生温かった。だけど、肌に張り付くようなその風は、自然だった。いつもの、わたしが感じていたものだった。

金網の向こうに広がる、水平線。その景色は、わたしがいた場所となんら変わりのない風景だった。なのに………。手を握る。握りしめて、実感する。痛覚を、感じて、やるせなくなる。
再び風が吹くと、飛ばされそうになって瞳を瞑ると、聴こえた。



「果杞さん」
「……?」
「なにを、思っていますか?」
「……っ」
「今、あなたは、何を思っていますか?」



黒子くんの問いかけは、あまりにも澄みきっていて。わたしは、空いた口をそのままに自然と語っていた。



「わたしは、誰なんだろうって……」
「……あなたは、恙御果杞、なのでしょう?」
「そうだ、ね。名前は。だけど…わたしはカノジョじゃない」
「……性格が?」



その言葉に首を振る。



「全部だよ。生きてきた道も、周囲への反応も、全部。それを、さつきと大輝に会って実感した……」
「あなたは、カノジョと同じような振る舞いをしていましたけど?」



また、首を振った。



「わたしは、あんな風にふたりと接しては来なかったんだよ」



遠くを見つめる。もっと、遠く。水平線の彼方。もう、見えないくらいまで、視力を感じさせないくらいまで、意味もなく、じっと、視すえた。

わたしと桃井さつきは、出産日がトレードだった。わたしが生まれる日にさつきが生まれ、さつきが生まれる日にわたしが生まれた。その所為か、家族ぐるみで仲が良かった。だけど、さつきとわたしは、中学に入ると関わり合いを捨てた。さつきは、頭もよく、美人で、部活にも熱心で、才色兼備と呼ばれている程の有名人だった。期待されていた人物だった。一方わたしは、平凡に平均点を行くような生活をしていて、それなりの普通の人だった。特に、目立つ事もなく。過ごしてきた所為なのか、さつきとの関わりは、薄れて行き、最終的には、一切、会う事もなかった。

青峰大輝とは、上に兄と姉が居て、共に同い年で兄弟揃っての幼馴染だった。幼稚園は別だったのに、さつきも含めてよく遊んでいた。小学校の頃も互いに家に遊びに行くほど、仲が良かった。だけど、中学に上がる頃、大輝は喧嘩三昧だった。いつの間にか、番長とか呼ばれる程学校のトップにまでなってしまい、不良。そんな彼と普通のわたしが、関わる事など一切、なかった。

そしたら、いつの間にか、わたしは引っ越して、さつきもその後、引っ越してしまい。それを追うように、大輝も引っ越し。わたしたちは、それ以降、疎遠となった。
中学の同窓会に足を運んで、さつきとは普通に話はしたけど、大輝とはさつきもわたしもとても話せるような雰囲気ではなかった。それが、わたしの知っている幼馴染たち。



「――だから、あんな風に抱きしめて、心配して、お見舞いに来てくれる。カノジョが築き上げた素敵な関係に、驚いた、だけ」



そして、思い知っただけ。

どこか、安易な考えをしていた自分に情けなく思ってしまった。カノジョとわたしは同じ境遇だけど、それが決して同じだとは限らないのに…。本当の意味で、死を理解させられた。
内の中からこみあげて来るこの、何かに、わたしは、耐えた。



「死んでいるのに、生きていて。生きているのに、死んでいて…カノジョは死んでいるのに、わたしが生きていて、わたしは死んでいるのに……カノジョが存在してカノジョの世界にわたしが生きているって…残された人達にとっては、残酷なのにね」
「……本当に、そう思ってますか?」
「………」



やっぱり、わかってしまうか。こんな子供染みた考え恥ずかしいと思ってる。だけど、そう思わずにはいられない。一雫の涙が、頬を伝った。それは、リミッターの解除だった。



「……誰も、“わたし”の生存を望んでない……っ」



そう、だ。悔しい、羨ましいと思ったのだ。あの時。あのふたりに抱きしめられた時、思ったのだ、感じたのだ、浮かんだんだ。実感したんだ、痛感したんだ。ここは、カノジョの世界であって、わたしの居る世界じゃない。どんなに似ているふたりが現れても、それはカノジョのモノであって、わたしのモノじゃない。



「違うのに、わたし、カノジョじゃないのに、……偽モノなのに……っ」



誰も、わたしの心配はしない。誰もわたしを抱きしめたりしない。誰も、わたしの事を知らないんだ………。


止めどなく溢れて来る涙を、止めることも出来ずに流し続ける。強く握りしめたガウン。すると、人の動く気配がして、気がついたら、握りしめすぎて白くなったわたしの手を包み込むように両手がそこにあった。その体温に、少しだけ強張る。
だけど、彼は、しゃがみ込み、わたしと同じ背丈になって。



「あなたは……、偽モノなんかじゃありません。あなたは、あなただ。僕は、あなたを肯定します」
「……っう」



顔を上げて目線を合わせる。彼の透き通るような鮮やかな水色の瞳に映る自分を見つけて、わたしは、泣きだした。声を上げて、泣き出した。温かな温もりに包まれて、声が枯れるまで、彼の両手にすがりついた。

まるで、ここにいるよって、誰かに気づいて欲しくて……。



2012.09.07
ALICE+