Black rabbit
「ふぅぁ」
大きな欠伸を手で隠しながら、重たい瞼を擦り長々しい校長の話を永遠と右から左へ流していた。久しぶりに、校長先生の話とか聞いたかも。脳の端っこあたりでそんな感想を述べていた。
始業式ってやっぱどこもつまらないのは、本当のようだ。
肩肘を立てて、あまり眠れなかった慣れないベットにもう一度欠伸を設けた。それだけじゃないけどね……。薄ぼんやりと視界の端に思い浮かべる、あの囁き。あれは確かに女の子の声だった。
まさか、ね……。あれはきっと幻聴だ。疲労で幻でも聴こえるようになっただけだ。うと、っとなる頭を上下に揺らすと、頭上から火神くんの声が聴こえた。
「寝むそうだな、恙御」
「いや、そんなことないよ?」
無理矢理笑みを浮かべて欠伸を噛み殺した。悟られないように背筋を伸ばして机の上を片付ける。今日は始業式だけなため、もう他のクラスメイトはほとんど帰ってしまった。何故、わたしたちがここにいるのかは、黒子くんが委員会が入ってしまったので、わたしは黒子くんを待たなければならない。彼がいなければ、自分の家にも帰れないのは本当に情けないことなんだけど…でも、彼がいないと本当に、不安でしょうがないんだ。
ぎゅっと拳を握って机の上に火神くんは買ってきた戦利品を広げた。
「今日は売店空いてたから結構買えたぜ」
「そうなんだ。ありがとう火神くん」
菓子パンを主としたお昼ご飯。火神くんに手渡されたペットボトルは、無糖の紅茶だった。わたしの好きなメーカーだ。御丁寧にキャップまで外してくれていて、その緩いキャップを外して一口口をつける。火神くんは大きなバスケットをリスのように頬袋にためて食べ始める。そんな所を見ると、年頃の男の子だなって思って、何だか、安心してしまった。
だって、黒子くんはどこか大人びていて…わたしより年上なんじゃないかって雰囲気に押されてしまう。彼が悪いわけではないんだけどね……。サンドウィッチにかじりつく。火神くんが前の席に座って一緒に残ってくれるのは、きっと黒子くんが頼んだんだ。過保護、というか、なんていうか……こういうの、何て言うのかな?
ここまで、男の人に大切にされた覚えがないから、感覚がわからない。どう接したらいいのか、わからない……。
「明日はまた休みだな」
「よかった…」
「やっぱ疲れたのか?」
「えっと、……」
「正直に言っていいんだぜ?」
「あ、う、うん……そうだ、ね。そう、ちょっと疲れた、かな」
張り付けた笑みを少しだけ取って、溜息を少し溢してしまう。そんなわたしに、火神くんはなんともないかのように、優しく接してくれた。
「そうだよな。昨日退院したばかりで、いきなり多くの物に触れたんだ、当たり前か」
おつかれ、って言われてるみたいにわたしに労わりの言葉をかけてくれる火神くんに感動を覚える。
留守にしていたこの席が埋まると、周囲の人間は大混乱。根掘り葉掘り聞かれて曖昧に頷きながら、笑顔を浮かべながら、黒子くんが裁いてくれたけど、それでも、全く知らない場所に放り出されたような、途方もない居心地に、正直、精神がおいつかない。窓に身体の半身を預けてわたしは、無表情をした。
考えることがいっぱいだ。もう、そろそろキャリーオーバー。
「恙御、寝るか?」
「…ううん、大丈夫。きっともう少しだと思うから。付き合ってくれてありがとう」
心からの感謝の気持ちで火神くんに伝えると彼の視線と重なる。すると、火神くんははっとしたような表情をしてそれから……わたしの机の上に放り出された腕を掴んだ。
「火神、くん?」
「恙御……オレは」
「……火神くん」
「な、なんだ?」
「火神くんは、金髪の彼の事、知ってる?」
「はあ?ナニ言って……そんなのオマエが一番知ってんだろうっ」
今のは失言だ。とはっきりとわたしにも伝わった。彼の気まずそうな顔に、わたしは見逃さなかった。逆に掴み返し火神くんを問いただす。
「知ってるなら教えて…わたしは記憶喪失でその部分が抜け落ちてるの。だから、知りたいの、彼のこと!」
この数日の間に嘘をつくことが、平気になってしまったな。毒づきたいのは山々だが、今はそんなこと後で反省する。切羽詰まったわたしの態度に火神くんは警戒を解いて。
「黄瀬は、オマエの……」
次の言葉は、息を吸う音と、ガラガラとドアの開く音で遮られた。
「果杞さん、お待たせしました」
「……くろこ、くん」
彼の姿を視界に入れた瞬間、火神くんは口を固く閉ざした。そして無言で立ち上がりわたしには一度も振り返らずに黒子くんの方へ行ってしまう。
「 火神君……ヤクソク、忘れてませんよね? 」
「 わかってる 」
二人で何か話しているけど、小さすぎて聴こえない。立ち上がるわたしの椅子を引く音で。火神くんが「 じゃあな 」と言って去ってしまう。そんな彼に黒子くんは「 今日はありがとうございました 」とだけ言ってわたしの元へ来れば。鞄を持ってわたしの腕を引いた。
それは、帰りましょうっていう彼の合図だった。全てが完璧のその笑顔にわたしの追撃の言葉は飲み込まれていった。
「今日の夕食は何にしましょうか?やはり麺類ですかね」
「そうだね…まだ、暑いから」
少しだけ空いた距離。わたしは黒子くんから表情を隠した。そんな事、気にしないような黒子くんの特に変わらない声色にわたしは口を閉ざしてしまう。聞けない。聞けないように彼は空気を作ってしまった。
ぎゅっと握ったリュックの紐は虚しくも、何も掴ませてはくれなかった。
「知りたいですか?黄瀬君とカノジョの関係を…」
「っ!」
籠を持つ黒子くんが急に立ち止まりそう言った。野菜を吟味していたわたしはその言葉に惹かれるように振り返り黒子くんの真意を確かめた。だけど、相変わらずのポーカーフェイス。ゴクリ、と喉が上下する。
「知りたい」
「そうですか……」
視線を落とす黒子くんはすぐさま、わたしへ戻し淡々と語った。
「黄瀬くんはアナタの事をストーカーしていた人ですよ」
「……え、」
意味が理解出来なかった。黒子くんのその透き通るような瞳を覗きこむ。
「だから、誰も病院の場所など教えていないのに来れたんです」
「そう、なの?だから、あんなに……」
憎んでたの?皆、そうなの?もしかして事故にあったのも、彼の所為なの……?
理解出来ないような、したくないような……ぐるぐる回る思考回路はまるで迷宮のラビリンスだった。出口などないかのように、わたしは追い詰められているみたいに、思えて仕方がなかった。
そっとわたしの頬に触れてくる黒子くんのその指先が冷えているから、わたしは現実に引き戻された。縫い縋りたくなるような視線を送ると彼はそれを受け入れようとする。
「大丈夫です。僕がきみの傍にいます」
微笑む彼の指先に触れてわたしは、無性に泣きだしたくなって誤魔化す様に瞼を閉じて首を縦にふった。
途方にくれてる。道端に一人取り残された、アリスみたいに……。
「ずっと、僕が傍にいますよ。だから、もう…知らなくていいことは、気がつかないフリをしてください」
耳元で囁かれた魔法の言葉にわたしは、頷いていた。
2012.10.13
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