『あなた、だぁれ?』
その言葉は仮面を剥がすにはもってこいの痛みだった。
何もかもを忘れてしまった彼女は自分の名前も、自分の事さえも忘れたまま。
囚われたように『 ハルカ 』と呟く。
その名前にはほどほど吐きけがした。どうして僕の名前よりもそいつの事を憶えているのか。彼女の脳内を切り開いては見てみたいと思ったりもした。
『コノハ』
彼女の隣には彼の陽炎が寄り添う。幸せそうなその笑みを壊してみたくもなったりしたけど、別にこれはこれで滑稽だからいいかもしれない。虚ろな陽炎がまさか自分の想い人に心を得たなんてさぞ腸煮えくり返るくらいだろうね。今頃その人はどんな顔をして叫んでいるのだろうか。知る由もないけれど。
遠目で彼女を見つめていれば、彼女が僕に気がついて笑みを浮かべる。
きっと僕はこの笑みが欲しかっただけだったのかもしれない。最初の望みなど膨れ上がった願望に比べたら忘れ去られても不思議ではなかった。
『カノ。おかえりなさい』
あの頃とは随分と違ったご挨拶だけど、笑みだけは変わらないような気がした。
「ただいま、夜鷹」
そっと彼女を抱きしめて頭皮に口付けを送る。変わったのは僕と彼女の関係で。
抱きしめられるが抱きしめるに変わって。弟が恋人に代わっただけだ。
内心複雑な想いが渦巻くのは周囲だけで、僕は幾分か気分のいい晴れやかな午後3時、というところだ。
「あまりベタベタとするな気色悪い」
キドがげしって僕の脇腹を狙っては蹴る。
「いたっ!ちょ、キド!痛いってばー」
「今のはカノが悪いっす」
「えぇー!セトまで言うの?酷いよ」
キドもセトも、僕を見る目が少しだけ揺らいでいた。複雑だよね。そりゃそうだ。だって姉として慕っていた人が恋人のアイ=僕だと誤認識してしまったんだから。恋人同士になれたことを祝福するにはあまりに複雑怪奇だろう。でもそれでいい。それだからこそ、彼女を手にすることが出来たのだから。
頬ずりをするように彼女の頬に擦りより猫のように甘える。
『カノっくすぐったい』
ふんわりと笑う恋人だけに向ける笑みを浮かべて彼女は僕の腕の中に留まる。
そして淋しそうな目がもう一つあったことに僕は嘲笑った。
「 残念だったね。コノハ君。本当は君と彼女が一緒になる未来だったのに。書き換えちゃって。でも何通りもの未来のうちのたった一つを僕が貰っても構わないでしょ? 」
指を銜えて羨望すればいい。あの時の僕のように……。
――どうして約束、破ったの?
ーーー誰も好きにならないって言ったじゃないか。
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