禄さんはいつも笑っていた。
オールマイトのような歯を覗かせて、おおっぴらに、ユーモア溢れる笑いとは違うけれど。悪戯っ子のように、でも楽しそうに笑う。それが邪神禄という人物なのだと、僕は疑うこともしなかった―――。
脅威にさらされた僕らの思考に一閃が立ち込める、それは希望かそれとも絶望か……僕にはあなたが、鏡に診えた。



◆◆◆




敬語の外れた静かな口調。それは妙に納得のいく彼女の喋り方だった。
普段から隠していたのか、違和感のある敬語口調が酷く懐かしく感じてしまう。
受け取った赤いマフラーを手に彼女を見つめた。



『私の代わりをしてほしい』
「……え゛!?」



すっとんきょんな声を上げてしまった。そんな僕にくすりと笑ってくれて強張った表情から少しの緩みを感じた。



『言い方間違えた。そのマフラーを顔を隠すように巻いていてくれないか』
「あ…そ、そうですか……」



てっきりDivaの真似をしろと言われているのだと頭が過ぎってしまった。
そんなこと出来る訳がない、以前に。彼女は生徒としてここに在るんだ。まだ周囲に人が居る以上Divaになるという選択肢は限りなく低い。
言われたとおりマフラーを首にかけて顔を覆うようにぐるりとまわした。ふわりと香るのは多分柔軟剤だと思うけど……やっぱり女の子っていい匂いがすると感激した。いやいや、そんなことをしている場合じゃない。



「これでいいでッ!? …す、か……」



見上げた双眸に映ったのは、そこに存在しているはずの禄さんではなく、見知らぬ男性が立っていた。でも身の回りの私物は全て禄さんが先程まで身に着けていたものに違いはない。髪色は中学の頃によく見た黒髪だが短髪。けれど瞳の色は同じ碧眼だった。



「あ、え…ど、どちらさまですか?」
『説明するの面倒だけど、一応”禄さん”だ』
「……!!!?? や、やっぱり男性だったんですか!!」



その時、僕の視界に星が飛んだ。



『所謂 ”個性(変装)”だよ』

納得した。体格どころか性別まで変化している現在の禄さんを変装というにはあまりにも完璧すぎる。道理でDivaのときの体型が違うのも理解できた。でも、そうすると複数の個性を所有しているという事実になる。それって凄く稀だ。個性は一人につき一つだ。複数所持している人なんて前例がない。
そのことを訊きたくて喉から出そうになった質問は、彼女の横顔を見て留まる。
飯田くんに再度「早く」と急かされ僕と禄さんは走り出す。



『あと、これ渡しとく』



走りながら器用に彼女は僕の掌に小型の黒い機械を落とす。
無線機だと伝えられそれを耳にはめろと手でジェスチャーをされ、慌てて装着すると、その機械の向こうから彼女の声が聞こえた。



『ごめんね』



どうして彼女が謝ったのか、僕はこの時、まだ解る事が出来なかった。
砕けた口調が何を意味していたのか、僕に頼むという行動が何を意図していたのか、全てを見透かすようなその空空しい碧眼の瞳が、哀しく揺れた。
この先、僕が彼女に対しての見方を変えなければならない出来事が起こる。その事を彼女は危惧していたのか、その横顔はとても淋しそうだった。



「させませんよ」
「!!」



前方、出入り口を目先に捉えた通路の先には、黒い霧のような敵が突如その姿を現し立ちふさがった。あの広場にいたはずの敵がここまで接近していたなんて、短時間の中でありえない。黒い靄と目が合う。なんだ、どうして僕を見ているんだ……!



「初めまして我々は敵連合。せんえつながら…この度ヒーローの巣窟雄英高校に入らせて頂いたのは、平和の象徴オールマイトに息絶えて頂きたいと思ってのことでして」



―――は!? 何を言っているんだこいつ。



「本来ならばここにオールマイトがいらっしゃるハズ…ですが、何か変更あったのでしょうか? まあ…それとは関係なく…お招きさせて頂きますよ」



僕の目の前に靄が突っ込んできた。無差別に狙った訳じゃない。真っ直ぐに伸びてくる黒い靄は、最初から僕を狙って襲い掛かってきた。……いや、待て。僕を? 違う……もしかして、こいつの狙いは……!!
目前まで迫ったその靄が視界に広がる、瞬きすら出来ずに僕はなす術もなくただただ硬直した身体のまま、奴の背後に視えた禄さんの姿に、僕は目を見張った。



◆◆◆




緑谷に集中していた黒霧は背後から迫り来るもうひとつの影に気がつかなかった。隙だらけの背中に容赦なく蹴りが炸裂した。地面に叩きつけるようなその威力は、黒霧の靄さえも地面にめり込み地鳴りを誘うほど。胴体に相当する部位を足蹴にし、捕縛をした禄の姿は周囲からしたら{一体誰だ、あいつ}と思うだろう。男の姿に変えた風貌なのだから。



「 邪神さん 」
『 話は後だ。こいつは私に任せて早く生徒たちを外へ連れ出せ。内部だけ電波の遮断をされている。外に出れば連絡は可能のはずだ。外には私の連れが控えているからそいつに声をかけてもいい。いいから早くしろ 』



小声で13号と無線で会話をする。これは中継できるような仕組みになっているため同時に相澤や緑谷にもこの会話は聞こえていた。



「(厄介そうな奴を送っちまったと思ったが、大丈夫そうか。この中じゃあいつが一番戦闘力が高い)」



相澤は後方を杞憂しながらも、信頼を寄せているのか目の前の敵を一掃する方へ意識を集中させた。
黒霧が動きを見せた途端。足蹴にしていた彼女の足に力が篭り、身体が地面にめり込む嫌な圧迫音がじりじりと響く。重力操作(こせい)のひとつ。
身動きが封じられた黒霧は苦虫を潰す。



『どうした黒霧。お前の犯行声明、まだちゃんと訊いてなかったな』
「どうにもこうにも……あなたを敵に回すのは、得策ではないようですね」
『弱音を吐くとは敵(ヴィラン)連合の名が泣くな』
「御尤も。だから私は……あなたを迎えに来たんですよ…このようなぬるま湯に浸かって漂うのは辟易したことでしょう?」
『いや別に』
「即答ですか」



挑発を軽々と避けてしまう禄の度胸は場数を経験しているからとも言えるが、見知った相手だからなのか。緊張感があまり持続しなかった。
だが、その身体を地面に押さえ込むように重力で圧迫制限している卒が無さ。百戦錬磨、残酷非道の諸行に生徒たちは口を閉ざして、ただその現場を見つめていた。



「あいつ、ヒーローなのか?」
「何か仲間割れにも見えるけど」
「敵(ヴィラン)ってことかよ!?」
「……碧眼だ」
「何言ってるんですか轟さん。観察している場合じゃありませんわ」
「黒髪……」
「おい爆豪も何言ってんだよ」



生徒たちのざわめきが広まる度に禄の感情は全く動じることはない。



「あなたの存在その者が敵(ヴィラン)向きなんですよ」
『……それだけか?』



青々しい瞳が歪に輝いた。振り上げられた拳が叩きつけられる寸前で平手打ちに変わった。乾いた音がペチリと響きわたる。



『お前を殺せなくて残念だよ』
「殺そうと思えば殺せたでしょう」
『つまらない約束をしちまった、過去の私を怨め』



腕輪から細長い紐を取り出し、それで黒霧を捕縛しようと働きかける。
赤いマフラーを忠実に身につける緑谷は囮という訳で、緑谷の何も心配していない爛々とした瞳に、禄は表情を緩めた。
そんな刹那的な隙を見つけた黒霧が、忍び寄せていた自身の靄を緑谷の傍まで廻らせており、その気配を察知した禄は弾かれるように飛び出した。



「あなたが私の弱点を把握しているように、私もあなたの事は存じていますよ。5つ目の発動限界、その制限を超えさせたら……私にも勝機がある」



禄の個性。
あらゆる個性の融合体かと思われているが、彼女の個性は特殊中の特殊。
その数々の個性を所有する個性”譲託”。これは信頼関係を築いた相手から個性を譲り託される。それを自身の個性として使用することが可能な万能で、最強の”個性”と謂われている。
だが、制限がかけられている。5つ同時に個性を発動した場合、ピアスから発せられる音波によって脳内麻痺を起こし戦闘不能に陥るという制限をかけられている。故に普段から4つまでしかこの”個性”を発動しないようにしていたのだが、緑谷を助けるために結界の個性を使用した結果。均衡は崩れ、黒霧を捕縛していた重力の個性は例外なく消滅。緑谷への攻撃を緩めず、同時に背後から禄を襲った。



「ッ――!!」



緑谷が名を思わず一文字だけ叫んでしまう。
彼女の背後に迫っていた靄は彼女の命を奪うかのような、猛威だった。青ざめていく緑谷だったが、スーパーボールを緑谷目掛けて投げ放ち。バウンドした途端そのボールは緑谷を包み攻撃から難を逃れる。
そして間一髪で黒霧の攻撃を避けたが、避難した空間から突然手が飛び出し禄の目元を何かが覆った。
構わず、腰ベルトから銃を取り出し躊躇もなく黒霧に向けて撃ち放つ。それは見事に肩部分に相当する場所に命中し、態勢を崩した。
ぱらぱらと特徴的な白髪が背中へと落ちて、広がる。見覚えのある風貌に変化していき、フードコートの裾が揺れた。一定の距離を開けて両者の睨み合いが始まる。



『ちっ』



自身の目元に触れる。目元を覆う仮面のような装飾だと指先で確認をしてから舌打をした。
それが”ナニ”かを知っているようだ。



「置き土産ですよ。彼の作品は役に立ちますね」
『……なるほどな』



先日、雄英に侵入しバックアップを簡単に取れた理由。それは、融が残したハッキングソフトの賜物だった。
視界を奪われた状態でこれ以上の戦闘は不可に近い。けれど黒霧の警戒心は強かった。



『13号!いいから早く避難を!!』
「しかし邪神さん!あなたは生徒ですよ!」



13号は言葉を選びながら生徒である”邪神禄”へ先生として投げた。
彼女も自身の”変装”が解けていることは承知している。だが、そんな余裕を醸し出せるほど現状は悪天候だ。



『こいつの狙いは……私だ』



そう断言した瞬間、黒霧の攻撃が再開された。周囲を囲うように靄が禄の動きを制限してきた。気体というのは掴めない。故に液体や固体と違って扱いが難しく、遠距離攻撃は強い。ダメージを確実に当てるには接近戦闘しか選択肢はない。だが、黒霧も禄を容易く懐に入れるような真似はしない。故に現状、靄で動きを制限した戦法を繰り出した。



『よく気がついたな。既に4つ発動させていることに』
「一瞬あなたの目が紅くなったので」
『なるほどな。両目に仕込んだのを見破られたか』
「あなたに正面からぶつかって勝てるとは思いません。ならあなたの隙をつく戦法で挑まなくては、あなたを生け捕りにすることは適わない」
『生け捕りね……』
「しかし……弱くなりましたね」
『そいつは有難い言葉だ』



苦虫を潰したまま禄は個性の発動を試みるが完全に使用不可。このまま5分も時間を延ばせる相手かどうかなど、不可能に近い。かといって詠歌を発動させるにはリスクが大きい。このまま生徒にDivaであることも露見するのは難しい決断だと言える。選択肢は一つに絞られていく。それを必死に拒否をした。
手に握られた銃器の形を変え、二丁拳銃にさせる。両手にずっしりとした重みを感じながら戦略を想定した。
これは融が彼女のために創り鍛えた創造武器【レイヴァティン】。類稀なる戦闘能力を発揮する彼女にとって、この武器は頭の中で創造した武器を形状してくれる形状記憶武器。



「え、さっきの男って何処行ったんだ?」
「てかいつから邪神があいつと闘ってるんだよ」
「知り合いなのか?」
「相手は敵だぞ!」



生徒たちは一気に疑心暗鬼となり、声が肥大していく。
こうなると予想していたから変装までしたというのに、おかげで全てが水の泡だ。多少イラつきながら床を数度蹴る。個性が使用できない事を黒霧はまだ知らない。相手は個性をあと何個使用できるかを計算していることだろう。それを逆手に取るしか道はない。



「(個性を使ってこない…どういうことでしょう。彼女の制限は5つ使用後、気絶するレベルの超音波刺激により脳内麻痺を引き起こすもの。気絶していないということは、すぐに解いたということになる……なら何故個性を発動させてこないのでしょうか)」



二、三度地面を叩き音の反響を身体で感じながら相手との距離を測っていた。
然程離れてはいないようだ。動きながらこちらに近寄っている。
流石に不信がられたか、と禄は潮時を悟り思い切り床を蹴り宙へ舞った。靄が伸びてくる前に銃を装填し、連続で撃ち放った。生徒に当らないよう距離を計算して連続射撃を繰り返し、靄から逃れ距離を開ける。コンクリートを蹴りながら音で生徒から大分離れたことを判断し、再度足を止める。靴のかかとをカンカンと地面に叩きつけながら黒霧の居場所を詮索する。



「目を封じてもあなたの戦闘能力は、高いですね」
『……なんだ。避けるの上手くなったじゃないか、黒霧』



声を聴き掠めただけだと知り、けっっと笑う。
やはり、目が封じられているとなると分が悪い。



「的確に狙ってくるとは恐ろしい方だ。だが、何故個性を使用してこないのですか?」
『……』
「あなたの重力操作なら再び私を捉え捕縛することは可能のはずです。では何故使用しないのか、それはもしかすると……使えないという事で」
「邪神から離れろッ!!」



すると切島の声が届く。続いて爆発の音、多分爆豪だ。
切島と爆豪は禄に注視を向けていた黒霧に向って奇襲をしかけた事を理解した。



「危ない危ない……。そう…生徒といえど優秀な金の卵」



黒霧の目的はあくまで自分にあるのだとこの時まで禄は思っていたが、それは驕りだったと悟る。黒霧がわざわざ生徒たちの前まで出向いたのはもっと別の意味があったのだ。そう生徒を巻き込んでもいい理由が……。
気がついた時には、禄は迷うことを辞めた―――。



「これはっ!あのときの!!」
『望みどおりくれてやるよ、”破滅(個性)”をさ…!』



つま先からコンクリートが崩落していく、その伸びていく先には黒霧が居る地点。崩壊の波が押し寄せていく中、ゆらゆらと揺れる白髪が悲しげに靡いた。



「邪神?!」
「ダメだ!どきなさい。二人とも!」



13号は禄が何をしているのか理解し、すぐさま彼女に向けてブラックホールを発動させようとした。
だが、耳に届いた声は至って冷静な言葉だった。



『 生徒を誘導しながら静かに出口に迎え 』



13号は弾かれるように視点を禄へ合わせると口元をニヤリとさせていた。
そこで13号は彼女が個性を発動していないことを理解する。つまりこれは心理的なトリック。先程黒霧を捕縛した際に使用した重力操作で予め地面に亀裂を入れておき、足で力をこめて地面を踏めばその亀裂に皹が入り、個性を使用したように錯覚を起こすことに成功した。



「 ということは、まだ個性の発動は制限されているんですね 」
『 ああ。一定時間使用が出来ない。残り7分ってところかな 』
「 わかりました。出来る限り気づかれずに移動します 」
『 頼む 』



緑谷が禄を見つめる。その視線は見えなくても感じることは出来、禄は緑谷に向って小さく親指を立てた。
だが、その動きは黒霧には関係が然程なかった。既に、生徒たちの周囲を靄で覆っていたのだから……。



「ならば、その前に私の役目をもう一つの果たすまでです。これらを散らして―――嬲り殺す」



黒霧は個性を発動させ旋風を巻き起こした。生徒たちの半数が巻き込まれ無力にも散り散りにされていく中で禄に差し迫る黒霧の靄は彼女の警戒心を掻い潜り眼前に差し迫っていた。



「大人しく着いて来てください――Little Red Riding Hood」
『ッ―――!』
「禄さんっ!」
「邪神――!」



八百万の声と轟の切羽詰まった声が聞こえる中、禄の腰を抱き寄せ黒霧に牽制したのは――――。



「なにっ?!」
『(火薬の匂い)』



己の力によって禄は彼と共に転移されていく。そうきっと彼は口元を引きつらせてこういうのだ。



「ざまぁーみろ」




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