Free!!


「みょうじさーん!」
「橘くん?」



声が聴こえて振り返ったら、廊下の奥から橘くんがこちらに駆けて来た。クラスで一番高いのではないかと謂われる程大きな身体を揺らしながら橘くんは私の傍まで来ると息も乱れずに、頬笑みを浮かべて私が両手一杯のノートを持つその積まれたタワーをほとんど持ってくれた。



「重いでしょ?これ。大丈夫だった?」
「大丈夫。こう見えても力持ちだから」



腕を曲げて笑えば、橘くんは何故だか顔を背けた。首を傾げて「 どうしたの? 」と聞いても橘くんは何でも無いって言って見せてはくれなかった。



「でも、女の子がやることないから俺が持つね」
「……ありがとう。橘くんは優しいね」



そう言えば橘くんはどことなく気恥かしそうに「 そんなことないよ 」と云って笑った。
結局、橘くんが過半数のノートを持って、私が五冊だけという結果になり。私はこれでいいのかと自問自答していた。



「ちょっとあれ見て」



ふつふつと考えていると廊下の方々から物珍しそうに眺められた。その好奇な視線に私は慣れてしまったために、何とも思わなかったけど。橘くんを巻きこんでしまった事に対してだけは罪悪感が消せなかった。



「身長差いくつだよ、あいつら」
「大人と子供みたい」
「寧ろ、高校生と小学生?みたいな!」



面白可笑しく言われ放題、好き放題。そんな空気の中を私は無言で、進み続ける。少しだけ速度を落とした橘くんに声をかける。



「早く行こう、橘くん」
「あ、う、うん」



腑に落ちないような橘くんの態度に私は何も云わなかった。そのまま早歩きで教室まで向かい、階段を下るとき、やっと橘くんの問いに答えられそうだった。



「ごめんね、橘くん。嫌な気持ちにさせて」



一段降りながらそう告げると橘くんは何だか慌てて首を振っていた。



「そんなことないよ!全然!そ、そのみょうじさんは……」
「もう慣れたから平気。本当にごめんなさい」



階段を下りてから振り返り、苦笑した。そう、もう慣れっこだ―――。

背が低いのだって、牛乳が嫌いなのだって、全部自分が悪い。そのうち伸びるって言われ続けてこの結果。伸びても150ギリギリ行っただけで、それ以降。伸びる気配はなかった。このまま一生、小さいままなのだろうかと思いながらも気にしないようにした。だって、現実は想像したって変わらないのだから……。



「泣かないで」
「っ」
「泣かないで……みょうじさん」



笑みを溶かして、私の視界に映る橘くんは哀しそうに微笑んでいた。どっちが泣きそうなんだと問いたいくらいくしゃりとしたその笑みに私は抱えた五冊の重みを胸に抱いた。
橘くんの呼吸音が聴こえる。一段ずつ降りてくる橘くんの足音に、私は俯いた。本当に泣きそうなのは、私だった―――。



「おっと!すまん!」
「うわっ?!」



突然橘くんの後ろから先生に追いかけられていた女の子がぶつかり、その勢いに押されて橘くんが階段を踏み外して飛び込んでくる。



「危ないっ!」



そう思って私は抱えていたノートを投げ出して、橘くんが落下してくるその地点で両手を広げて受け止めようとした。だけど、その前に。橘くんが持っていた数十冊にもなるノートの方が私に押し寄せて来て、思わず悲鳴が喉で停止する。



「ッ……、なまえ!!」



ノートの雨と橘くん。どっちが先に落ちて来たのだろう。それを知る事は不可能だった。だって、橘くんが名前を呼んだから、私の思考はそちらへ向けられてしまって。視界が暗転する。
大きな物音をたててノートの大雨が降り注がれる中。背中に壁のような堅いコンクリートがぶつかり痛みに顔を歪めるが、ノートの衝撃は何かに寄って塞がれる。温かな吐息が首筋を刺激して私は雨が止むまでじっとしていた。
暫くして片目だけ開けて周囲を確認しようと顔を上げたら、緑色の瞳と出会う。



「なまえ、大丈夫?!」
「あ、うん……」



真剣な瞳。案じしてくれる彼の態度に嬉しい反面。この状況が私には理解出来ずにいた。
壁に背を預ける私に覆いかぶさるように両手を壁についた橘くんが至近距離にいるこの状況など私は全く持って、理解出来ない……!!



「よかった……もう、あんな無茶しないでね?」



胸を撫で下ろす仕草をしながら橘くんはほっと息をつく。だけど、私が放心状態なのに気が付き、どうしたのだろうと辺りを見渡して、やっと解ったのか橘くんと私は互いに顔を真っ赤にした。



「ああっ?!ご、ごめんね!すぐにどくから……っ」
「あ、いえっ!その……お構いなく……」



何言ってるんだろう、私。心拍数が耳を犯す所為で全然聴こえない。音がないみたいに無音。胸の辺りで手を組むと橘くんは私の頭皮に何故か、唇を送った。
その柔らかな感触に驚いて肩を跳ねさせると、橘くんは頬を紅潮させながら穏やかに微笑んだ。



「俺は、君がどんな姿でも好きだから」



どんな告白より、気恥かしかった。


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