AMNESIA
冥土の羊には、一目その瞳を見つめただけで恋に落とせてしまう能力を持つ、男性がいた。
私は、その人の事をあまり好きにはなれなかった―――。
「なまえちゃん」
「はい?」
冥土の羊のスタッフである私はキッチンの制服に身を包み、両手で籠一杯の材料を抱えながら、彼、イッキさんの言葉を待った。
この人が私に声をかけてくることなどとても珍しかったので、思わずまじまじと彼を見つめてしまう。今は仕事中のため、サングラスは取り去られていて、私は何も防ぐ物のない無防備な状況をあまつさえ受け止めていた。
イッキさんの瞳は何だか星空のようにきらきらとしていて、まるでずっと見ていたくなるようなそんな色合いを放っていた。じっと見つめる私に、イッキさんは声をかける。
「なまえちゃん、聞いてる?」
「あ。……すみません、もう一度お願います」
その瞳から視線を外して、イッキさんの全体へと視線を映して、私は彼を見つめる。どこか不思議そうな顔をするイッキさんに私の中では疑問が鬩ぎ合う。すると、イッキさんは可笑しそうに笑った。
「君は面白いね」
「え?」
「いつも、僕の斜め上の思考回路でいるんだから」
「え…それって、莫迦にしてます?」
「違うよ。褒めてるの」
「そう、ですか。ありがとうございます?」
首を傾げてそう告げればイッキさんは穏やかに笑っていた。いつも実際年齢より上に見られる勝ちな彼、らしからぬその破顔した表情に私は案外子供っぽいんだなって思った。
「ちょっと、なまえ。材料速く持ってきてよ」
シンが厨房から声をかけてくる。不機嫌そうだ。今はお昼時、結構忙しいから無理もない。もたもたしている私が悪い。
「ごめん。すぐ行く」
そう声をかけると「 速くして 」と厨房から顔だけを覗かせて眉を寄せて告げられる。そんな姑みたいなシンの態度に急がなきゃと思いながらもう一度イッキさんを見つめ直す。
「ごめんね、引きとめて。シンに怒られちゃったね」
「気にしてません。シンはいつだって不機嫌ですから」
「そうかな?君と居る時は割と穏やかそうだけど?」
「それは勘違いですよ。彼は幼馴染の彼女以外優しくないですよ?」
「…鈍感さん」
そう言ってイッキさんは私の額を人差し指でつついた。
「でも、君はそのままの君でいて欲しいな」
「話の主旨がわかりません」
「いいよ。わからなくて…でも、これだけは覚えてね?」
そう言ってイッキさんは突いた額に唇を充てた。その突然の行動に、両手を塞がった状態のまま受け止めるしかなく。私は固まってしまう。
そんな私の態度にイッキさんはやっぱり笑った。
「僕の眼。効かない君と恋がしたいんだけど……、どうかな?」
「……ッ」
徐々に顔の熱が上がって私は真っ赤になったその表情で息を呑みこんだ。
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