マギ
それは息を吸えないことの続き

どうして俺たちは、一つの物を奪い合う事でしか愛を捧げられないんだろうな。



『雨……』



ポツリと呟いた彼女は、日に日にやせ細っていく。今更俺が何を言っても彼女は聞く耳さえ持たぬのだろうな。だから、俺は静かにこいつの傍に行き窓辺に手をついて外を覗いた。



「ああ、雨だな」



同意すれば、雨か、雨かと彼女は繰り返し呟いた。その瞳は虚空を捕える。きっとあいつのことでも思い浮かべているのだろう。俺より先に出会い、恋に落ちたシンドバット。俺が見込んだ男だ。見る目はあるが、どうなのだろうな。女にとってあいつは、ただの最低男にしかすぎないのかもしれないな。隣に並ぶと彼女の芳しい香りが馨から髪を一房持ち上げて口づけを落とす。



『ジュダル』



静止の言葉を訴える彼女に俺は眉を訝しげに寄せた。



「髪くらい許せよ。お前は俺の元に下ったんだろう」
『……そう、なのかな』
「そうだ」



揺れる迷いの瞳に俺は俯かれる前にしゃがみ込み、両手を捉まえて唱える。



「お前はあいつを見限った。そんで俺の所にやってきた」
『…見限った?』
「そうだ。あの日お前は俺の言う通りドアに鍵を閉めただろう」
『…閉めた。うん、閉めちゃった』



そう言い終えると畳みかかろうと開きかけた口は次第に閉じていった。言う気が失せていく。何故かって?そんなのこいつに聞いてみろよ。手の甲に零れて弾かれる涙の雫が、俺には視るに堪えられなかった。
欲しい物は奪う。拒否権なんて必要ない。だって欲しいから。だから奪った。奪ってやった。あいつはこいつを傷つけた。だから、俺が貰っても構うものか。



「……笑えよ、つまんねぇ」



乱暴に手を離して立ち上がり、彼女の頭上に苛立ち気に吐き出せば、彼女は顔を上げなかった。笑いかけてはくれなかった。



「はあ……うぜぇ」



それだけ言って俺はこの部屋から出て行く。怒りに任せて廊下を歩いて行けば誰もが声をかけることを躊躇っていた。それくらい俺の空気は殺気が充満していた。誰に対して?そんなの決まってる。あの女とあの男と、それから………俺。
そういや、鍵閉め忘れたわ。まあ、いいか。別に逃げても。あんな女。俺のことさえ視えていない女なんていらねぇ……。そこまで考えて俺は立ち止った。馬鹿みたいだな、逃げるに決まってんじゃねぇか。何のためにずっと鍵占めてきたと思ってんだ。あいつが俺から逃げる事なんて百も承知だったからだろうが。諦めちまう程の女なら最初から奪わなければよかったじゃねぇか。ぐるぐる回る思考の中で、俺は急いで振り返った。


ああ、気持ち悪い―――。


乱暴にドアを開け放てば、先程と変わらない窓辺に設置した椅子に座りながら蜜柑の皮をむいて咀嚼している彼女がいた。荒い呼吸を繰り返す俺に向かって、彼女は視線を合わせると不思議そうな瞳を宿していた。
先程出て行った俺が何で戻ってきているのか。しかも荒い呼吸で全力疾走してきたあとみたいな。慌てた俺の姿を。だけど、信じられない光景に、俺は我を忘れてじっと見つめるだけ。すると彼女は喉を上下に動かしてから、ここにきて初めて微笑んだ。



『蜜柑食べる?』
「……はあ」



息を呑む程の光景だった。他愛のない会話をしているみたいに、彼女が微笑む。先程まで愛する男のことを想って泣いていた女がどこかに吹く風だ。呆けている俺に首を傾げながら、俺を呼ぶ。さっき笑えっていったその笑顔で。



『ジュダル』



堪らない。堪らない。衝動的に俺はこいつに腕を伸ばして抱き寄せた。身も焦がす様な抱擁なんてどこで覚えたっけ?自分でも信じられない程優しいって言葉が似合うような温かさがあった。
俺の背中に手が触れる。温かくも冷たいこいつの手が背中を這うから俺は更に強く抱きすくめる。



「何勝手に蜜柑食ってんだよ。俺にも寄越せ、馬鹿女」
『君は口が悪いな』



クスクスと笑う軽やかな笑い声に耳が心地よくなる。



「なまえ」
『ん?』
「お前は俺の物だからな」
『……口開けて』



俺がそう言えば、彼女は蜜柑を口元に寄せた。



2013.01.28

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