黒子のバスケ
ねぇ、聞かせてください……。
背が高い先輩は、とても穏やかな顔だちをしている人。無駄のない筋肉を引きつめても、繊細に食材を刻む先輩の指先、器用さには感服してしまう。誰よりも、心配性だけど、でも、とても優しくて、困った笑みが似合う先輩。
だけど、一度も声を聞いたことがないのが……少しだけ欲張りなわたしの願いだった。
「あのっ、先輩?どうしたんですか?」
「……っ」
テレパシーなんて普通の人間である、わたしには使えません。いくらジェスチャーして伝えてくれようとしても、わたしにはユーモアが足りないみたいです。
「……すみません」
謝ると頭をぽんぽん、と撫でられて微笑んでくれる先輩。いつものようにスケッチブックに文字をさらさらと記入して、わたしに見せてくれる。その読みやすくて綺麗な、先輩らしい仄かなその字を目線で追いながら読み進めると会話が再び続行される。
「バスケ部のカントクさんがまたまるごとレモンハチミツ付けを持ってきた、ですか。それは、とても豪快ですね」
斬新とも言うんでしょうか?と尋ねるとクスクスと笑って首を縦に振って同意してくる先輩。最初はそれでも全然構わなかった。だけど、今は、どうしてでしょう。足りないのです。それだけじゃ、もう、わたしの望みは渇望して、先輩……好きだけでは、乗り越えられない壁もあるのでしょうか?言葉は時に必要だと言います。今のわたしには、あなたの声が必要です。とても、とても……必要です。
ひゅっと喉に入り込む息に、冷たさを感じた。
「もう、秋ですね」
空を見上げれば冷たい風が頬を撫でる。傍に居るのに、体温が伝わる距離にいるのに…先輩。わたしは、とっても……寒いです。寒いんですよ……?
「……」
そっと伸ばされた先輩の指先は、わたしの頬に触れた。掬うように動かすとわたしの眼前まで持ってきて覗きこめば、指先に乗っていたのは、雫でした。
「っ、ごっ、ごめんなさいっ」
俯けだけでわたしは自分の足のつま先を見降ろした。突然泣き出したわたしの涙の意味に、気がついて欲しい。だけど、面倒な子だと思われて、捨てられたくない。だけど、先輩。わたしは、先輩との壁を感じてしまって…足が竦んでここから動かせません。
ボロボロと零れ落ちる涙の雨に、先輩は、息を吸う。そして、わたしの頭を撫でて、その息を吐き出した。ゆっくりと顔を上げると先輩は、眉を寄せて微笑む。
「……」
「え、」
今まで目を見てもわからなかった先輩の声無き言葉を、わたしは聞き取ったのだ。
( ごめんね )
心に響き渡るような謝罪の言葉に、わたしはただただ驚きを隠せずに先輩の瞳を覗きこむ。
先輩の綺麗な瞳には、わたしの泣き顔が映し出されていて、次の瞬間伝線したみたいに、先輩の瞳の端に、雫が溜まっていた。
( 当たり前なことが出来なくて、ごめんね )
「せんっ、ぱっ。ちがっ!……ごめ、んなさいっ」
泣かせてごめんなさい。困らせてごめんなさい。先輩は誰よりも優しい人だってわかっていたはずなのに、わたしの方こそ彼女失格です。
距離を感じていたのは、わたし。だけどその距離は、わたしが空けてしまっただけで、本当は遠いわけじゃない。先輩は、近くにいたんだ、ずっと、ずっと……。
一歩、詰め寄って先輩の温かな指に自分の冷えた指先で触れた。すると熱が伝線するみたいに広がって行って、わたしは先輩に寄り掛かった。額をお腹にくっつけて、大きな深呼吸をした。
「凛先輩」
「( はい )」
「凛センパイ」
「( うん )」
「せんぱいっ」
「( うん…、僕もだよ )」
わたしの声無き言葉を読み取って、先輩はわたしの頭皮にキスをした。コツン、と額を置いてふたりで涙を流しながら、笑った。
目は口ほどに語るって、立証出来ましたね…先輩?

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