弱虫ペダル


「先輩」



甘い声が聞こえた。手にしていた紙の束を落とすほどの甘い、甘い、角砂糖のような声が聴こえた。



「みょうじ!」
「はい?」



東堂くんに呼ばれて振り返ると目にも止まらぬ速さで自分の後ろに回った者がいた。わざわざ誰だと言わなくても、考えなくてもわかってしまうのには、呆れればいいのか、凄いと褒めればいいのかよくわからない。



「またみょうじの後ろに隠れて。真波!!」
「もう東堂さんそんなに怒ってばかりいると骨がスッカスカになりますよ」
「ならんわ!」
「じゃあ、カルシウムが足りないんですよ」
「足りとるわ!」
「私を挟んでコント始めないでよ」
「誰が漫才師だぁ!!」
「うわーい」
「褒めとらんわ!」



やれやれと首を振りながらマネジメントの仕事の続きを再開させた。テーブルの上の物を片付けながら移動していると私の背中にいる真波も一緒に動く。しっかりと腰をホールドされていることにも慣れた。いや、これは慣れたらいけないような気がする。
手にしていた分厚い資料の束を手に持つと真波はそれを狙っていたかのように私の腕を掴むと引っ張った。



「うわっ!」
「鬼ごっこですよー」
「コラ!待て真波ッ!!」



紙の束が宙を舞う。せっかく綺麗に片付けた部室がまた悲惨な状態へと元に戻る。魔法のステッキを所望したくなる日だった。
引っ張られながらも私の両の足は少しばかり浮き足立つ。目の前を走る彼の後姿、青色の髪が揺らめくたびに心は踊った。
息を乱しながら校舎の裏側に来ると私は壁に手をついて心臓を落ち着けさせた。流石に運動をしている男の子の体力には追いつけない。
そんな私に真波は心配そうに背中をさすってくれる。



「ごめんね、先輩」
「そう、思うなら、巻き込まないの」
「うん。でもね、二人きりになりたかったんだ」



うっ……。
心臓が落ち着きを取り戻そうとしていたのに、また暴れだした。天性のホストか己は。
顔が赤くならないように平静を装って軽く咳払い。



「二人きりって、一体なんの「先輩」



私の言葉を遮って真波は甘い声で私を呼んだ。ビクリと肩が跳ねたと同時に勢いよく手首を掴まれ、壁に押し付けられる。
もう片方は壁に手をついて、私を逃がさないように閉じ込めた。その優しい笑顔で。



「ねぇ、先輩。俺が練習しているとき、荒北さんと何喋ってたの?」
「へぇ?荒北くんとって……別に。次の練習メニューについてだけど」
「そうなの?でも俺の目にはそう映らなかったな」
「嘘は言ってない」
「そっか。うーん…でもさ。あんなに近くで会話しなくてもいいよね?」
「近くって適切な距離をたも「ってないよね?あれ近いよね?俺と同じ距離だったよ」
「……」
「だいたい先輩は俺の彼女っていう自覚足りなさすぎだよ!なんでいっつも荒北さんと一緒にいるの?俺と一緒にいればいいのに」
「だって真波サンは山登りにお忙しいようで留守なんですもん」
「それは……じゃあ!先輩も今度一緒に登ろうよ」
「嫌。単位落としたくないの」



笑顔できっぱり断ると真波は先程までの迫力はどこへ吹き飛ばされ、ムスっと頬を膨らませて拗ねる。まるで子供のようだ。
そんな真波に私はクスっと笑ってしまう。それにカチンと来たようで、真波は私の耳たぶを噛じる。



「いたっ!」
「先輩のばか」



噛じりながらも耳筋にキスを送る真波に先輩の顔は崩れていく。ああ、もう。



「囁かないでばか」
「……やーだ。だってなまえが可愛いから」



恋人同士の時間になったことを知らせる合図が二人の脳内に鳴り響く。壁に押し付けられた手首が指先を絡めあうと同時に二人で瞳を閉じた。


甘い、甘い、砂糖菓子よりも甘い、君の声が大好物。



(何処行った真波ー!!)
(あーあ、まーた真波にいい思イさせちまったなァー)
(靖友の癖に頑張るね)
(どーゆー意味だ新開)


20140310

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