黒子のバスケ
僕がついているよ、ずっと……。
「……」
「なまえさん」
「黒子くん」
パタリと閉じたり開いたりを繰り返していた手元の携帯の動作を止めて、彼女は顔を上げて僕を見るとニコリと社交辞令のように微笑んだ。でも、その微笑みは僕の嫌いな部類のものだった。そんな上辺などいらない。彼のために用意されたそんな笑みなど不必要だ。拳を作った利き手に力を入れるが、それで終わりにする。まだ、駄目だ。まだだ。
我慢すれば、甘い蜜が吸える。後、少し……もう、少し……。自分に、待てをしつつ彼女の傍に歩み寄れば、彼女は淡々と涙を流していた。気がつかなかった。いや、視えなかった。泣いているその涙が。
「また、泣いているんですか?」
「……ねぇ、青峰くんは今日、どこに居ると思う?」
僕の質問を無視して彼女はなぞなぞのように問いかけて来た。ゴクリ、と唾を呑みこんで考える素振りを見せる。昨日は年上だった気がする。今日は、年下なのだろうか、それとも同い年?彼女は答えを待っているようには見えなかった。
「今日は、なんと……青峰くんの本命です」
「そう、ですか……」
桃井さんか。視線を落として、薄らと笑みを浮かばせる。それに気がつかない彼女は、ただ笑みを浮かべるということに必死になりながら、崩壊していく感情と表情。
「ほんとっ、桃井さんには敵いませんよ。ああ、なんで青峰くんは桃井さんと付き合わないんだろう?二人して楽しいのかな?わたしを。嬲るのが……」
手に捲かれた包帯。薄らと滲んで来た血。この前、彼女が自分の手の甲に突き刺したカッターの跡地。興奮した所為で傷口が開いたのだろう。行き場のない感情のやり過ごし方を、彼女は知らない。いや、知っているのに、しようとしない。それをしないように、気持ちに鍵をかけている。彼女の理性は思ったより、正常だった。舌打ちがこみあげて来る。
純粋な一途な想いというのは、とても美化される。美しくて、称えるにふさわしい愛の形だ。だけど、僕は、そんなの望んでいない。美しいとは思えない。美化など所詮綺麗事。人は汚れてこそ、美しさを学ぶ。初めから綺麗な人など、それは、人間じゃない。
そっと、片手を伸ばして彼女の冷たい頬に触れた。ぞくぞく、する。早く、早く……っ。
「……もう、疲れたな」
落ちて来た。やっと落ちて来た。縫いつくように彼女が僕を求めた。その流れ込んでくる感情に、嬉しくて、妖しく微笑む。ああ、やっと、手に入る―――。
彼女の顎を持ち上げて、濡れたその唇に舌を押し当てる。塩の味がする。涙の味。だけど、少しだけ甘い。ああ、やっぱり、彼女の涙は砂糖菓子なんだ。
ニヒルな笑みを口元に浮かべて、こじ開けるように舌をねじ込んで彼女の唇に喰らいついた。
待っていたんです、この時を……。これで、君は、誰よりも綺麗な僕だけの―――。
「んっぁ、んん……っくろ、こっくん……はあ」
甘美な響き。彼女の途切れ途切れの言葉。心が満たされていく……。
「なまえさん、もう、何も考えないでください。僕だけを、感じていて……君は、僕の―――」
首筋に噛みついて乱暴に、リボンを解きその真白な肌に傷をつける。
甘ったるい喘ぎ声。なまえさんの、素敵な、喘ぎ声。
さあ、素敵な時間の始まりです。青峰君なんて、つまらない男など忘れさせてあげますよ。あんな価値もわからない、ヘタレ絶倫野郎なんて、記憶から抹消すればいい。その脳内に僕だけを刻んで、僕だけを考えて、僕のためだけにこれからは、生きて行くことを、あなたは誓ってくれますよね……ねぇ、なまえ?
だって、あなたは、最初から、僕の可愛い人なんですから……。
(ああ、一つだけ言い忘れてましたけど、青峰君の好きな人は桃井さんじゃないですよ?)

ALICE+