黒子のバスケ
ただ、遠くで見つめられればそれだけでいいの。
陽泉高校男子バスケ部は、今日も寒い東北の地で雪の降る外を眺めながら室内でバスケの練習を行っていた。一年生、マネージャーとなって初めてこの寒さに身を凍えさせながら首に巻いたマフラーを揺らしながら、凍る水道の蛇口を捻り、水しか出ないそれに手を差し出して、悲鳴を呑みこんでいた。カイロがポケットで蒸発しているのを肌で感じる分、手の冷たさに頭がくらくらする。だけど、仕事を全うするためにボトルを急いで洗い、ついでにとタオルを水洗いしていた。本当は、特別にお湯が出るんだけど、何故か故障してしまっているようで、仕方なしに今日は水。フルフルと震えながら力の入らない手でなんとかタオルを絞りボトルをかき集めて籠に並べる。外の冷たい風が吹くたびに、身体が凍えて竦み上がる。もう、温かいのか、冷たいのか、自分の体温さえわからなくなる。
(早く、作って戻ろう)
ドリンクの作り方を頭に叩き入れているため、テキパキと作り上げて行く。それを洗ったボトルに注ぎレギュラー分と部員分にわけて作っていく。皆が頑張っているんだ、わたしだってこんな水に負けない程度には頑張ろう。震えながら拳を握り、決意する。それに、ある特定の人物専用のボトルを指先でつっつき、微笑む。今日も、おいしいって言ってもらいたいな。優しい氷室先輩。だから、当たり前みたいに言ってくれるんだけど、でも、やっぱり先輩の言葉は魔法みたいに溶けていくの。そして、また明日も頑張ろうって気になれる。だから……他のマネージャーがドリンク作りをやる前にわたしはそれを自ら立候補してやるのだ。まあ、この季節誰もドリンク作りなんてやりたがらないから好都合だけどね。他の子たちは、タオル配りとか温かな場所でアピールしてるんだろうけど…悔しい。わたしがもっと積極的だった……いっつも地味で目立たない日陰ばかりの仕事をやっている気がする。いや、まあ、いいんだけどね。別に、告白する勇気もないし。ただ、氷室先輩の頑張ってる姿が見れれば、それだけでいいや。
開き直ったみたいに、わたしは頭を振ってボトルの蓋を閉めて、体育館に向かった。
籠を置くと、調度休憩だったみたいで、他のマネージャーから獲られるみたいにドリンクを全て取られて、想い想いの人へ届けに行く彼女達の姿を遠くで眺めながら、わたしは体育館倉庫に引っ込んだ。
古くなったボールを磨いたり、空気を入れたり、在庫確認しながら埃まみれになって忙しなく動いていると閉めたはずのドアが重そうな音をたてながら開いたのがわかった。誰かが知らせに来たのだろうかと、気軽に声をかける。
「ボール見つかった?」
「あ、えっと…」
「……」
声が、なんか、あれ……?振り返るとそこには、氷室先輩が居て思わず飛び跳ねる。だけど、飛び跳ねた場所が悪かった。調度在庫確認していた時だったから、脚立に昇っていて、そんな足場が不安定な場所で飛び跳ねるから、踏み外してしまい、身体が横へ倒れそうになる。
「危ない…!!」
「(落ちる――――!!)」
そう思って、瞳を閉じて咄嗟に掴んだ棚の枠。衝撃が来ないと思い、ゆっくり瞳を開くと、脚立が床に落ちていた。それに疑問に思って自分の状況を見ると、枠に手をひっかけて、ぶら下がっている状況だった。しかも下には、氷室先輩が手を差し出して受け止めようとしている格好をしていて……思わず、赤面してしまう。
(もったいない!!なんで、わたし少女漫画みたいに受け止めて貰えばいいのに、もう!!巻き戻したい)
もんもん、としていると氷室先輩が声を掛けづらそうに「 あの 」って歯切れの悪い言葉に尋ねてみると。
「えっと……降りようか?その……見えてるよ」
「………ッ!!」
恥ずかしくて、穴があったら入りたかった。もう、頭から。
枠から手を離して床に着地して、頭を抱えてその場にしゃがみ込んでいたわたしに、氷室先輩も声を掛けづらそうにしていた。ええ、そうですとも!
「すみません……わたしのお粗末な物なんて見せてしまって」
心なしか涙を流しながらそんな言葉がベラベラと出て来た。もう、緊張しすぎて、ネジが一本吹っ飛んでしまった。
「そんなことないよ」
「え…?」
背を向けてしゃがみ込んだわたしに合わせて氷室先輩もしゃがみ込みわたしと目線を合わせて、その穏やかな微笑みをわたしだけに見せて来る。
「とても可愛らしかったよ。なまえさんに似合ってた」
「……っ」
どどどどどどど、どうしてそんなこと言ってしまうんですか、氷室王子。
ああ、優しい人は罪ですよ。ほんとっ。きっとわたしが落ち込んでいたから声をかけてくれたんですね。そんな、お世辞でもそんなこと言われて、嬉し過ぎて死にそうです。殺す気ですか、氷室王子。
もう、このパンツの予備買いに行こう。
チラリ、と視線を上げると氷室先輩はこちらを見つめていて、にっこりと首を傾げて微笑む。再び視線を床に落として、真っ赤になった顔をどうやって誤魔化そうか思い悩んでいた。が、ちょっと待てよ。とわたしは少しだけ気がついた。とても重要な部分を聞き逃していたけど、少しだけ脳内リプレイしてたら、気が付きました。氷室先輩、わたしの下の名前、呼びませんでしたか?………。
再び視線を投げると、氷室先輩はまるで待っているかのようにわたしを見つめている。聞くべきなのでしょうか……。悩みながら、遠慮がちに聞いてみることにした。
「ああの…氷室先輩」
「なにかな?」
「どどど、どうして、わたしの名前を……その、し知っているんですか?」
「名前?ああ、なまえ、さんのコトかな?」
「ッッ!!」
心臓に悪いです!!バクバクいう心臓を押さえながら答えを待つと、氷室先輩はあの穏やかな笑みを浮かべて。
「うーん、秘密、かな?」
「何故?!」
咄嗟に切り返したその口を、わたしは慌てて抑えるが、氷室先輩はくすくすと笑う。そして立ち上がり床に転がるボールを手に取り……。
「なまえさん、ドリンクおいしかったよ」
「っ……ありがとうございます!」
初めて直接お礼を言ってもらえてわたしは、嬉しくて笑ってしまう。そんなわたしに氷室先輩は「 集合かかってるから、行こうか 」と言ってドアの前で待ってくれていた。その場所まで立ち上がり、埃をはたいてから傍まで駆けより、一緒に倉庫から出た。隣に並ぶのに緊張していて、聴こえなかったけど、氷室先輩は囁いた。
「本当に、鈍いんだね。君は」
「??」
そう、笑いながら囁いて雪が舞い込む渡り廊下に、足跡を残して体育館へと歩いた。
(いつになったら気づいてくれるのかな?)
(名前で呼ばれて嬉しいけど、ほんとっ何で知ってるんだろう?)

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