黒子のバスケ
お手をどうぞ、お姫様?
久しぶりの彼からの連絡。日曜日、オフになったから一緒に出掛けようか?などと彼は呑気に電話をしてきた。悪びれもなく。わたしは呆れながらそれを二つ返事で承諾して、通話を切った。
馬鹿だなって思う。
京都の名門バスケ部、洛山高校に出立するときも。彼はどこかへ出掛ける感覚でわたしに「 行ってくるよ 」と笑って言った。わたしの反応を愉しむように笑ったのがわかった。いつだって、すべて。わたしの気持ちは彼に筒抜けだった。
嫌になるくらいに。
溜息を溢して、クローゼットのドアを開けた。

コツン、鳴り響くハイヒールは生まれて初めて身に付けた代物だった。対抗だ。意識しながら待ち合わせの場所まで少しだけ小走りで向かえば、レンガの石畳の上に涼しげな顔をして座り込み。片手に将棋本を持って読んで居た。周囲の女性たちが振り返る。彼の容姿に。赤い髪で人を惹きつけて、そのオッドアイで低落にさせる。まるで、悪魔のような男だ。
立ち止まってしまった四肢。
わたしと彼の間を行き交う人々の並。こうやって隔てられると今のわたしと彼の温度差がわかってしまうようで、俯いた。
すると、頭上から聴こえて来たのは呼んでもいないギャラリーだった。
「君、一人?」
「……いえ」
「でも、今は一人だよね?よかったら、道を教えてくれないかな?東京は久しぶりで道に迷っちゃって」
優しそうな表情でその男はわたしの顔を覗きこむ。その好機な視線から逸らすために彼の手に握られていた地図を見つめた。
「交番に聞いた方が早いと思いますよ?」
「なら、その交番の場所教えてよ」
そう言って、強引に手首を掴まれてしまった。逃げ出そうとしたんだけれど高いハイヒールの所為で上手く避けられなかった。普段は声をかけられないように音楽を聞いているんだけど、今日は彼に会うから家に置いて来てしまった。
こうなるなら、持ってくればよかった。今更後悔しても遅い。
逃がさないと言うかのように、男は引っ張る力を強めてくる。抵抗のようにその場から動かないように体重をかけていると、突然。引力が弱まった。いや、止まった。
それは、わたしの肩に回った手でわかった。
「すみません。僕の彼女にどんなようですか?」
「……赤司」
「これから彼女と所用があるので、道に迷われたのなら別の人を頼ってください。失礼します」
早口に述べる赤司らしくない対応に、正直わたしは戸惑った。彼がわたしの肩に腕を回した状態のまま反対方向へ歩き出すから、ついて行くのがやっとだった。
暫く、歩いた距離の最中に赤司の手は肩から外れた。それを名残惜しく思う。隣に並んだままある程度の距離を保って歩く。
「驚いた。まさか自分の彼女がナンパされている現場を目撃するとは僕も思わなかった」
「ごめん。逃げ切れなくて」
「いや、ナンパされるほどの魅力があったということだろう。彼氏冥利に尽きる」
彼は、嫉妬などしないのだろうな。いや、されたい願望は少ないと思うけど。なくはない。焦っていたのは、嫉妬なのかと思ったけど。どうやら違うみたいだから、それ以上考えるのをやめにした。
「随分と雰囲気が変わったね、なまえ。特に、背とか」
「まあ、だってヒール履いているし」
「君もヒールなどと履くようになったのか。あの頃は大雑把で身だしなみにもあまり気を遣わなかったのが大昔のようだね」
「そうだね。赤司も変わらないね、背とか」
バスケ選手というのは体格が良い方が有利なスポーツ。技術で補える選手もいるけどやっぱり、背は高い方がいいというものだ。だから、気にしてる。彼と並ぶくらいのヒールの高さ。嫌味な笑顔で彼を見つめると、彼は加虐気味に笑った。
「なまえ。無理はよくないよ」
「え?」
聞き返すと、自然な動作で手を取られ端へと追いやられてしまった。そこは木のベンチがあって、そこに座らせられると常に常備しているかのように、ポケットから絆創膏が取りだされ、彼はわたしの目の前に跪いた。
「足を出して」
突然あの赤司がわたしの足元に跪いて、足を出せと言う。脳内が沸騰しそうだ。顔を赤くしながら躊躇っていると、無理矢理足首を掴み自身の膝の上に乗せられる。そして、豆のように出来ていた靴ずれに絆創膏を宛がう。
「背伸びをするのは、嬉しいけど無理はよくない」
「……ごめん」
「君は謝ってばかりだな」
鼻で軽やかに笑われてしまった。彼の応急処置は的確でそれが終われば靴まで履かせてくれた。その赤いサンダルを見つめたまま、赤司は立ち上がり。
「新しい靴を買って来てあげるよ。これ以上豆を作りたくないだろ?」
「……履き損か……」
呟いたわたしの小さな声に赤司は、背を向けて歩き出そうとしていたが急に振り返りわたしの目の前に立ち、手を差し出してきた。
「なまえ。デートを続けようか」
「新しい靴買ってくれるんじゃなかったの?」
「そのサンダルは君に似合っているから、もう少し見ていたい」
小っ恥ずかしいと顔を真っ赤にさせてしまう、わたしは頷きながら差し出された手に重ねた。そのまま立ち上がると腕を組むように指示された。
「僕に体重をかけなよ。これ以上、君を傷つけたくはないから、ね」
こいつは、天性のホストなんじゃないかと思う。だけど、注がれる柔らかな笑みにわたしは浮かれてしまうのだ。
「ありがとう」

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