黒子のバスケ
走行速度を駆け抜ける、高校生男子。
雨の日の学校は自転車通学のわたしにとって憂鬱でもあり、楽だったりする。
だって、車を出してくれるからだ。少しだけ優雅になった朝食。支度も時間をかけて身だしなみを整えて玄関でローファーを履いて、お母さんが車の鍵を手に二人で「 いってきまーす 」と言って家を後にした。
学校の少し手前で車を止めてわたしは傘を差してお母さんへ振り返る。
「ありがとう」
「帰りは迎えに来れないからね」
「わかってるよ、じゃあ!」
そう言って助士席のドアを閉めて手を振るとそのまま滑らかに車道に乗って、車はどんどん姿を消していった。それを見送ってから校門まで少しだけ大股で向かう途中で、後ろから声をかけられて振り返った。
「なまえ!」
「おはよー」
「今日は雨でラッキーじゃな」
「体育が潰れて?」
「ほぉほぉ!所で、車でお出迎えっすか」
「いいでしょ」
「うらやましぃー。そだ!今日歩いて帰るの?」
「うん、駅までね」
「だったら、寄り道しょー。クレープが食べたい気分なんじゃ!」
「いいけど……その喋り方はネタなわけ?」
友人と朝だというのに、もう帰る頃の話をしていると、後ろから女子の黄色い喚声に二人で振り返る。
「黄瀬君!今日はお弁当作ったから食べて」
「黄瀬君おはよう!今日の1限は体育だね」
「タオルもってるから拭こうか?」
「黄瀬君!」
「わー嬉しいっス。皆ありがとー」
そんなやり取りを二人で眺めながら、顔を合わせると溜息を零し合う。そして少しだけ早歩きを始めた。
巻き込まれたら敵わない。同じクラスの所為で朝、彼と被ると下駄箱が埋まってしまうからだ。
「ほんとっ、モデルってだけでこの盛況っぷりはなんなのかねー」
「しかもむっちゃ綺麗な人ばっか隣にはべらかしてる……実に、羨ましいッ!!」
「ああーみょうじさん。雨で制服が湿気ってくるんではよ、入りましょ」
置いて行かれるその背中を追いかけるように水溜りに飛びこみながら追いかけた。
「……」
「黄瀬君?どうしたの?早く校舎に入ろう?」
「ああ…、そうっスね」
飛びこんだ水溜りを、彼は避けることなく踏み込んだ。
「ああー!人生あんまりだっ!こんちくしょー!!」
「たかが委員会が入っただけでどんだけ悔しがってるんだ」
「神様が私にクレープを食べさせないという試練をお与えになっているのか!!?」
「馬鹿な事言ってないで早く行け」
だだをこねるようにしぶしぶと行った感じで、ちらちらと人を見ながら肩を落として委員会の集合場所へ向かって行く友人の背中を見送ってから、鞄の紐を背負い直してわたしは帰ることにした。
下駄箱で靴に履き替えて校舎外へ出ると、未だ雨が降っていた。でも雨脚が強いわけじゃなかったから、歩いて帰ろうと思いながらバス停を横切る。ここはバスも通るから結構通学手段が色々あるから嬉しいけど、定期的な時間で来るからタイミングがつかめない。だから歩いて帰った方が速いと思って歩いて帰ることにしていた。だけど、今日は運がいいみたいでバスが調度来た。だったらと、踵を返してバス停まで行き、そのままバスへと乗り込んだ。
後ろから三番目の二人掛けが空いていて、窓側へ摘めるように座り鞄と傘を下ろして両手を自由にした。駆けて来る子たちも結構いたけど、間に合わずにドアが閉まってしまう。数分もしたら、出発し始めた。それを確認してから、ウォークマンの電源をオンにしてイヤホンを付けて音楽を聞き始めた。
だけど二つくらいバス停を過ぎた頃。何だか周囲が騒がしくなって、少しだけ音量を上げる。窓に頭を預けて景色を眺めていると肩をとんとん叩かれた。振り返ると同じ制服を着た男子生徒が何かわたしに言葉をかけている。急いでイヤホンを取り聞き返した。
「なんですか?」
「さっきから君の名前を呼んでこのバス追いかけてる男が居てさ」
「え?」
「確かあれって、黄瀬じゃなかったかな」
ますます、有り得ない。と思って席から立ち上がり手招きされた場所まで行き、その窓側の席に膝をついて、窓を眺めたら調度バスと同じ速度で走っている金髪の男子生徒が見えた。彼が顔を上げるとわたしに気がついて速度を更にあげて手を振って来た。
わけが解らない。外はまだ雨が降っているのに、何で傘もささずに走ってるのよ。
疑問の眼で見つめると、彼は両手を広げてわたしにその掌の文字を見せた。思わず息が詰まる。思考が停止して考えられない。
だけど、突然彼は足元がぐらついて、地面に盛大に扱けてしまい。そのまま見えなくなってしまう。思わず窓に貼りついて彼の様子を見ようと視線を彷徨わせる。
そんなわたしを余所に周囲が盛り上がっていた。
「マジかよ!すげっ!!」
「うそ、黄瀬君が」
「おー。これは返事しないといけなくね?」
そう言って、停止ボタンを押した男子生徒。バスの運転手さんもそれに導かれるように次のバス停で停止させて、ドアが開く。
そして腕を引っ張られ、通路に出ると背中を押されてしまう。行け、と言っているのだろう。
周りに囃したてられながら、鞄と傘を持って、通路を駆けだすように代金を投入口に投げ入れて外に出た。
傘をさして彼の元まで駆けだしたら、扱けた場所で寝転がっていた。未だ、雨が降っているというのに、びしょ濡れでも構わないとでも言うように片腕で目元を覆い、大の字でその場に居た。そんな彼に近づいて、傘を傾けた。
雨を跳ねのける音が聴こえて、黄瀬くんは息を切らせながら尋ねて来る。
「みょうじ、さん?」
「…うん」
「ああー、そっか、」
どこか、落ち込んでいるような感じだった。どうしたのだろう。沈黙が息苦しくなって、やっぱりあの答えが知りたくて彼に呼びかけるけど、彼はそれを遮った。
「……あの、黄瀬く、「かっこ悪ぃ……」
「なんで、かっこつけらんねーの、マジ。いつもかっこいいとか言われて?モテモテで?誰もが羨むのに?なんで……みょうじさんの前では格好良く決められないんだよぉ。マジ、なっさけねえーなー」
涙声だった。鼻をすする音が聴こえる。いつもの黄瀬君じゃない。ここにいるのは、一人の男子高校生だった。
「起き上がって、顔、見せて?」
「…無理っスよ。これ以上の失態さらせないでくださいよ」
「返事、させて」
そう言うと彼はぴたりと止まり、そしてゆっくりと起き上がった。更に立ち上がると、わたしが背伸びしても彼の背丈に合わせられない傘を彼が代わりに持ってくれた。
鼻をすすり、泳ぐ視線だけど。それでも彼はゆっくりとわたしを見つめた。ゴクリ、と喉がなる。それは黄瀬くんなのか、わたしなのか、それとも両方なのか、それはわからない。
「あの、友達からとか、無しでお願いするっス」
「えっ」
「……。俺は君が好き。付き合いたいと思ってる。それの解答だけ、ちょうだい」
やっぱりな、って目で言われるのを咄嗟に視線を彷徨わせる。だけど、それほど真剣なのか、とも取れる。からかっていない事はわかった。うん、心臓がバクバクする。告白ってされるのもするのも、緊張するな。
雨粒の音がひとつ、ふたつ、した後で。真っ直ぐ彼を見上げた。どこか覚悟している彼の瞳に、わたしの答えは間違えてないことを確信した。
「正直。黄瀬くんの事そういう対象として見た事がないから、好きとも嫌いとも答えられない」
「……」
静かにその先を待っている黄瀬くんの清んだ瞳。強張っているその表情。流石のわたしも吹きだすようには笑えなかった。
「でも。付き合ってから知る事も遅くはないと思う、ので。よろしくお願いします」
そう言ってお辞儀をすると、黄瀬くんは何故か固まっていた。成功するとは思ってなかったのかな?
「不満?」
「ッ、い、イヤ!全然ッ!寧ろ成功することしか頭ん中なかったけど、けども……。妄想と現実って違うんだなって」
「……ブっ!」
「!!あー笑わないでマジで!ほんとっに、笑わないでって!!」
我慢出来ずに、吹きだすようにお腹を抱えて笑ってしまったわたしに、顔を真っ赤にして抗議する黄瀬くんがいて。更に笑ってしまった。照れくさそうに口を真一文字に結んでいつまでも笑っているわたしの手を自然な動作で繋いで歩きだす帰り道。
「それでもモデルの黄瀬くんなの?」
「その前に一人の男子高校生っスよ。ああー服着替えたい」
「傘もささずに走るからだよ、本当に無謀なことしたね」
「あれは、なまえが悪いっスよ。いつもは歩きで帰る癖に途中でバスなんかに乗るから…俺の計画ぱーっスよ!」
「それはわたしが悪いの?」
「悪い。責任とって」
「じゃあ……家に寄ってく?」
「ッ!!いきなり?!いいの?いいの!」
「……黄瀬くん。思ったよりも変態だね」
「男は皆変態という名の愛の狩猟っスよ」
「うん、キモイ」
「ああー!今、俺のガラスのハートが粉々に……!」
「はいはい、おうちに帰りましょーね」
長いながい、道のりを二人で手を繋ぎながら歩いた。
今まで足りなかった時間を補うように……。

ALICE+