黒子のバスケ
わがまま、言っていいの?
手が掛からない子で本当に助かった。
そう言われた事がある。それをわたしは、自慢のように受け止めて嬉しそうに笑った記憶が古い。
イイコを演じようとして、疲れて、疲れ果てて…結局、ワタシッテダレ?とかなったら、何か、世界とか周りとか?どーでもよくなってきて、ただ、呼吸すればいっか。とか、心臓動かしてれば生きてるからそれでも大丈夫だろ。とか、自分がどーでもいい存在に思えてきて、ふぅっと息を吐きだしたのが始まりだった、かな?
「記憶の容量っていつになったら溜まってキャリーオーバーとかなんのかな?」
「んー。昨日までじゃない?」
「……夕飯までは覚えてないな」
「阿呆」
と言って、隣で友人がポッキー食べながらそんな事を言った。視線の先は雑誌。そんな誰だかもわからない人達が載っている紙キレの集合体なんか、見て何が楽しいのか正直わからない。意味不明。
互いに、互いの好きな事をやって過ごしているうちに、友人が席を立ってしまったのは、何時だったかな?
夕日が沈んで星が出て来たのは、いつだったかな?
携帯のバイブ音で意識が現実に戻り、画面を覗くと母親から「 どこにいるの? 」って着た。それになんか、無駄な溜息を吐いた。そのまま無表情で指だけを動かして、送りつけると携帯を閉じて席から立ち上がった。鞄の紐を手に取り肩にかけてそのまま無人の教室を去った。
「 今から帰るから心配しないで 」ばっかみたい。ああーばっかみたい。
自分の打った文章に皮肉交じりの笑いを込めて鼻を鳴らした。学校では優等生とか言われて、家ではイイコで通って……それがなんだ。外面を取りつくろって得た物なんて、大したもんじゃない。そんなの、誰だって持ってる。在り来たりで、滑稽だ。
「……ん?」
目を覚ますと昨日の繰り返しだった。少しだけ違うとすれば眠っていたことか。大きく伸びをしたら、肩から何かが滑り落ちた。
「?」
疑問に思って床を見たら、それは大きめなブレザーだった。誰の?取りあえず拾って埃を払う。
名前なんて当然書かれている訳がないから、持ち主がわからない。てか、友人にしては大きいから違うとして、一体だれのだ?
首を傾げながら、それを畳むと隣から声が聴こえた。
「落としてんじゃねーよ」
「……花宮、くん」
すぐ、隣の席に花宮くんが座って読書をしていた。畳んだブレザーを一瞥するとそれを取り上げるように腕を伸ばして自身へ引き寄せて身に付けた。
その一部始終を呆然と眺めていると、怪訝な面持で問い掛けて来る。
「なんだよ」
「いえ、特に。しいて言うなら、何故ここにいるのかな、と疑問に思いまして」
「…知りたいか?」
身支度を整えていた花宮くんはわたしの言葉に手を止めて、少しだけ考える素振りをしたら急にわたしの方へ振り返り、嫌な雰囲気を身に纏って、妖艶な笑みを張り付けて、至近距離でわたしの顔を覗き込むように身を屈めた。
挑発的なその彼の動作にわたしは、何とも思わずにただ「 いや、別に 」と否定した。そしたら、馬鹿らしくなったのか笑みを下げてしまう。でも距離だけはこのままで、真面目な顔をした彼はきっと今考えているのだろうとこんな状況でもそんなことを思った。
すると、いつの間にか日が沈んでいたのか。外で未だ部活動をしている野球部のためにスタンドライトが照らされる。その光がやけに眩しく感じた。視線を横へずらし外の風景を眺めていると、ふと疑問。
「今、何時?」
「18時だよ」
「そう……」
そろそろ連絡が来る頃だな……。何て言いわけをしようか、それとももう帰った方がいいか。でも、帰りたいと思えないんだよな……。悪戦苦闘する脳内と思考。悩みながら様々な物を視界に入れて視線はあっちへいったりこっちへいったりと忙しなく動く。
すると、突然顎を掴まれて視線は彼へ停止する。何をするんだこの人。
「いい加減こっち、見ろ」
「どうして?」
「理由を言わなければ納得できない、って思考事態うざいから言わねぇ。自分で考えろ」
意味の解らない行使に、もう、どうとでもなれって思った。そしたら、やっと、携帯が鳴った。
机の上に放り出された携帯から無機質な音が鳴る。その振動に花宮くんも意識をわたしの携帯へ注がれ、取ろうと手を伸ばしたら花宮くんがそれよりも先に奪ってしまう。宙を掴んだ手は途方にくれてしまい、仕方なく花宮くんへ視線を戻し、彼を見つめた。
それを愉快そうに笑いながら、携帯の中身を主人の許可なしに見始める彼の行動に流石のわたしも彼の顎を持つ手に力を込めて握った。
「いい加減にして」
「見られたらまずい相手、とか?」
「モラルの問題」
「解答がうざいから却下」
「意味わかんない」
スクロールする指が見える。更に力を込めて握れば顎から手は外れたけど握ったわたしの手を逆に掴み指と指が絡んで繋いでしまった。
「っ!」
「なんだよ、優等生は手だけでも、感じるのか?」
驚いたのは確かだ。けど、もっと違う。そう、驚いたのは彼の手。動きじゃない。手、だ。眠っていたわたしの手は暖かいはずなのに、冷たかった。それに比例して彼の手は暖かった。
「あったかい」
「!…さっきまで身体動かしてたんだ、当たり前だろ」
「ずっと花宮くんは、冷たいと思ってた、体温さえも」
氷のように冷たいと。だけど、実際温かった事実に困惑した。戸惑った表情を見せてしまったのか、それとも感じ取れたのか彼はわたしを一瞥すると少しだけ指先に力を込めて、温もりを伝達しよう?としたのかな。更に強く握られ、絡まれ、だんだん指先が温かくなっていくことに、少しだけぼんやり思った。
「何て返す?」
携帯画面の文前で彼は問い掛けて来た。きっと母親だろう。いつものような内容だと思っていたけど…花宮くんの眉が少し寄った動作を見つけたから、ああ、やっとか。って思った。
「好きにしていいよ、って書いて」
もう、疲れた。期待に答える事はこなす事より難しい。自由とは束縛とはあまりにも難しい。わたしにとって人生とは簡潔に見えて実は混沌なんだ。合わせる事も最早、疲れたのだ。
瞳を細めると、花宮くんは何も言わずに打ちだした。そして、携帯を放り出されて画面が開かれたままだった。送信が終わり戻るとそこには母親の文面が見えた。
「 離婚することにしたけど、あなたは私と一緒に実家に帰る事にしてもいいわよね?もう手続きは進めてるけど。あなたは私と一緒の方が幸せな人生を見つけることが出来るんだもの。あなたは私の自慢の娘、だから……私の傍にずっといてくれるわよね? 」
「……やっと」
終わった……。
ここまで来るのに疲れた気がする。生憎、夫婦の喧嘩に仲裁する気力等当に持ち合わせていないものだから、エスカレートする対立に、わたしは結構飽きていた。だって、答えが決まっているのにそれを続ける意味がわからなかった。
こうして、わたしの人生は母親の傍で始まって、母親の傍でおわ「 らせて 」
「え?」
「堪るかよ…!」
遮られた言葉の先は、突然の引力によって引き寄せられ、丸ごと抱きしめられる。言葉など出なかった。
ただ、回された腕の強さが圧迫に代われば変わるほど、何故だか無性に心が痛いことに気がついて、感情は外へ逃げ出せずに内に閉じこもってしまう。
「泣くな」
「……ぇ?」
馬鹿な事を言う人だ、わたしが泣いている?そんな、まさか………っ。
彼の上着の肩口を染みこむ様な雫が点々とつけていく。視界が揺れて波紋すると頬に温かく、辿っていく。
「あれ?わたし……え?まさか……ナイテルノ?そんなっ……うそ、でしょ」
戸惑いの声をあげると、彼は無言でわたしを更に抱きこんだ。痛いくらいの抱擁がわたしの眼を覚ます。
「だって…わがまま言っちゃだめだから……文句言ったら困らせちゃうから……だから、従うしか、ないじゃないッ!!喜ぶしかないじゃない!!」
奥歯が、ガタガタ震える。胸の奥深き、底で…。16年間も溜めてきた箱の蓋が開いた。口から洩れ出た泣き叫び声がきっと耳障りなはずなのに、花宮くんは文句も言わずに頭を撫でてくれた。落ち着かせる様なその動きに涙は止まらなかった。
少しずつ沈静してきた感情、でもまだ涙は止まらないけれど。抱擁は解かれ手だけを互いに繋いでいた。指先だけを掴む様な触れ合い。空いている片手で涙を拭っていると花宮くんは手を伸ばしてわたしの携帯を拾い上げ無言で手渡される。それを受け取ると送信画面が展開されていて、視線はその文面に釘付けだった。
「 考えさせてください 」
短いたったそれだけに、何故か嬉しくて思わず頬を緩ませて携帯を抱きこんだ。そんなわたしに彼は絡ませた指先に力をこめて。
「どこに行きたい?」
選択権を委ねて来た。思わず戸惑ってしまう。決めていいのだろうか?
「早く言えよ」
「……いい、の?」
「なにが」
「わがまま、いっていいの?」
「いいよ」
「じゃあ……ごはんのおいしいところ」
「わかった」
そう言って、わたしと自分の荷物を持つと深く手を繋いで歩きだした。その引力に引っ張られるようにわたしもつられて歩き始める。
同じ体温になった、手がとても愛おしいものに思えた。

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