黒子のバスケ
※帝光中設定



虚無を抱いて――。



無残にコンクリートの上で風に飛ばされる、引きちぎられたノート。そーいえばテスト近かったな…って思いながら、邪魔だと思って片付け始める。ただ、淡々と。
ポケットに常備しているゴミ袋を取り出して、かき集めるブルドーザーのように入れてから、口を縛る。あとは…、と首を巡らせるが、今回はこれだけのようだ。相変わらずよくわからない。教科書だけは何もしないとか、無駄に生温いと思った。ゴミ袋を持ってゴミ捨て場まで行き、燃えるゴミの方へ投げ入れ扉を閉める。そうすると、背後に人の気配がして、ああ、まだ残ってたか。って思いながらゆっくり振り返り、彼女達の嫌味な笑顔を甘んじて受け止めた。


少し長めの髪を引っ張られる。でも切られることはない。腕と足とお腹と…青痣がパレードのように沢山たくさん…つけられて。最後の仕上げに頬に一発だけ拳が入って、身体が飛ぶように砂の上に打ちつけられ、手を擦りむく。起き上がろうと思わなかったら、水を二度かけられ、泥まみれになって嬉しそうに呟く。



「ああ。やっとお似合いの姿になれたね」



そう言って、完成度の高いわたしを見てうっとりするように息をついてさよならを告げる。足音がしなくなったと思ったら急に、やるせなさがわたしを支配した。起き上がる事が今度こそ出来なくなって、暫くここで休もうと思って瞼を閉じる。生憎ここは、使われていない倉庫の一角。誰も通りはしないから迷惑もかけない。よかった、よかった。


あ、でも…。少しだけ罪悪感が湧いた。授業をサボってしまうな……。どうしよう、かな……。


髪が重たくなって頬に貼りつくと、やっぱり身体が重くなって、次第に意識が遠のいた。
こんな日常を続けて、わたしは何がしたいのかな。
ふと、理性が囁いた。次に目を開けたのは、身体妙な浮遊感に見舞われたのを疑問に思ってからだ。力を込めて重たい瞼を開けると、紫色の髪が見えた。
緋色が差し込む廊下がこの妙な幻想的な風景を作り上げているのだろうか……まるで、王子様のような人がわたしを運んでいる。それは助けてくれた、と同義語のように思える。ああ、可笑しな思考が勝手に作り上げる妄想劇が今起こっているんだって思えて、力を分散させて、やっとぶらぶらとぶら下がっていた腕を持ち上げて、その長い髪を掴んで引っ張った。



「いたぃーいたぃー。なまえちん、これ現実だからー」



なんだ……。がっかりした。落胆した自分が何故か辛かった。息を大きく吸いこむと胚が痛んで息がつまった。



「ッぅ!」
「だいょーぶ?助けてあげようか?」



誘惑?いや、違う。罠だ。これは、罠だ。甘やかな蜜ほど溺れることを厭わない。顔を近づけて、背中に回った腕に力が籠り上半身だけ抱き起こすように、距離が縮まり、唇とくちびるが触れ合う寸前で胸を押さえていた手を彼の耳たぶを掴んで引っ張った。



「いたぁぃいたたー」
「いらない」
「もー本気で引っ張らないでよー。耳がちぎれちゃう」



少しだけ不貞腐れた顔をして元の状態に戻す。規定通りのスカート丈が少しだけ捲くれる。だから、彼に見られたと思う。この醜態を曝す、足を……。



「ねぇ、下ろして」
「やだ」



ひと蹴り。水分を多く含んだセーターが彼のシャツに染みを作る。それを見つめていると彼は何ともないかのように言う。



「もう手遅れだよ」



なんで、そんな顔して言うのかな?悲しいのか、寂しいのか、嬉しいのか…よくわからない顔して笑う紫原くんがいた。
屋上の扉を開けるとそこには、赤司くんがいた。彼は振り返る事もせず、中央まで歩み進めた紫原くんを制する。



「敦、なまえを下ろして」
「……」
「敦」
「はーい」



3分の沈黙後。彼はわたしをそっと床に立たせてくれた。足に力が入らないのを誤魔化すようにその場にしっかりと両足をつけて気力だけで立った。支えようとしている紫原くんの手から数歩だけ距離を置いて目の前の赤司くんを見据えた。



「授業、サボってごめんなさい」
「いいよ、もうそんな事」



ふと、溜息を零した赤司くんに、肩が跳ねそうになる。怖い……コワイ……!!ぎゅっと目を閉じたくても閉じれなくて結局彼を見つめることしか出来ない。そんなわたしに振り返って傍まで歩みよって来る。目の前の立ち止まると、泥まみれで水浸しのわたしを構う事無く抱きしめた。
そして耳元とわたしにしか聞こえない内緒話を始める。それは追悼の鎮魂歌。



「心配したよ……また、負けたんだね」
「……っ」



身体が硬直した。それは、怖いからじゃない。怖いと思った自分が情けなく思ったからだ。
この人は………ナニモワカッテナイ。



「どうして勝てないの?どうして助けてくれると思う?敗者は結局強者の言う事を聴くしかない、って事わかってるよね?…ああ。だから一方的に言う事聞いたんだぁ。そっか。わかってるんだね。じゃあ、次は勝てるよね?」
「………」
「勝たなきゃ、俺は君を嫌いにならないといけなくなるんだから……ガンバッテヨ」



そう言うと、彼はわたしの頬に唇を押しあてて、唇にキスを落とした。そして愛おしそうに見つめて来る。
でも、わたしはには、絶望しか色が見えなくなっていて。彼がわたしに「 またね 」と言って去って行くのを背中で見送る。



「ほら、敦。行くよ」
「……ん」


短い返事が聴こえて、背後でドアが閉まる音がすると振りしぼって立っていた脚から力が抜けてぺたりとその場に座り込んだ。



「………っ」



涙が勝手に流れて来る。
今までなんのために我慢して来たのか、自身の行為が全部無駄だとわかったときのあの喪失感。彼はわかってくれていると思ってた。彼はわたしの中での救世主であって王子様なんだと思ってた。もう、愛情で補えるほどわたしの心は傷つきボロボロで修正など不可能だった。


ああ……苦しい。痛い、な………。


やっと、受けた傷の痛みを身体が痛感した。腫れあがった頬に気がつかないようなキスをされた。こんなボロ雑巾のような格好に「 勝て 」と彼は言う。まるで、苛められているのが悪いと言われた気分だった。そうだ、そう言ったんだ。弱いわたしが悪いと言ったんだ!!



「そんなばかなことっ……」



非情なまでに残酷な囁きに、涙が枯れる事無く溢れた。泣き声など今まであげた事なかった。乗り越えられる、彼を好きだと思っている限り、大丈夫だと。何度でも立ち上がれると……思っていたわたしに、いきなり支えを無くした。もう立てない、歩けない、呼吸が苦しい。やだ、逃げたい………。
わたしが何をやったの、迷惑かけることした?全部、全部あなたの厄災がわたしに回ってきたのがいけないじゃない。
頭の中でそうやって反響する押しつけがましい議論に、心は無反応だった。


そっか、これが………虚無なのか。


ぽつんと、立ったその場所が世界の中心に思えた。たった独りぼっちの孤独の世界。放りだされて、捨てられて、いらなくなったら殺して欲しい。殺してほしい………。
指一本動かせないこの状態では何も出来ない。動き続けるのは、忌まわしい心臓と、無駄な呼吸と、馬鹿な涙だけだった。
何も聴こえなくなって、何も見えなくなって、何も感じなくなって、それから………それから?
ふわっと、後ろから抱きすくめられる。でも感じないからわからない。胸の前で腕が交差しているからそうだと思っただけ。
鼻をひくつかせても、匂いも感知出来ないからわからない。けど、長めの髪の毛がさらさらと首筋を撫でたと思う。



「だぁれ?」
「……」
「だぁれ?」
「……好き」
「……え?」



イマ、キコエタ。


すると、次第に視界も見えるようになって、肌に触れる温度も感じられるようになって、力強く抱きしめられている事に気がついて息がつまった。
彩る視界に涙は止まらない。絞められる腕に痛いと感じられた。長い髪が紫だと気がついた。そしたら、急に身体が動いた。
心臓の音が聴こえる速い、そしてわたしの心臓も加速している。頬を見る見るうちに熱くなってしまう。
大きな手が左胸の上を覆うように触れて来る。



「なまえちんの心臓も速いねー」
「……あなたに抱きつかれてるからだよ」
「そっかー。そっかそっか。それだったら、嬉しいな」



更に力を込めて抱きしめられて後ろに引っ張られれば、全てがあなたで埋まる。大きな身体を丸めてわたしを包み隠すようにその腕の中に閉じ込められる。
全身で抱きしめられて、彼の腕にどうしようもなく泣きついて大声をあげた。



「うっ、ああああぁ、うああああああん!!」



どこまでも、どこまでも、この世界に響き渡るような、気がした………。


2012.05.18

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