AMNESIA

幸せは長くは続かない。




人が幸福と呼べる日数を換算するとあまりにも短いのだと改めて思ったのが始まりだった。
些細なこの日常ですら、わたしにとって幸せだと呼べるものに代わるのなら、きっと幸福論は成立するような、気がする。



「いらっしゃいませ、ご主人様」



その掛け声が入るお店に入店した覚えは無い。だからきっと、これは夢だと思った。けれど、目の前のやたら笑みを浮かべている男の顔を見るとその線は低いようだ。はは。



「もうすぐ彼女がバイトを終える頃だから、いつものようにお願いね」
「へいへい」



ティーカップに立ちのぼるほのかな香りを楽しみながら、喉に流し込んだアールグレイの豊潤。まだ、ポットには半分くらい残っているにも関わらず、溜息を零しながら急かすように立ちあがった。
ベルのお別れの音が鳴り響き、わたしは現実へと戻って行く。調度裏から出て来た彼女の後ろを目立たないようにゆったりとしたスピードと距離で安全を確認する。わたしが、彼女に好意があるからやっていることなら、まだ許せた許容範囲だろうけれど。別に彼女に好意が有るわけではない。興味はあるけど。どこか辺りを警戒しながらも、自身のマンションへと向かう覚束ない足取り。


大丈夫なのだろうか。


わたしのような、ストーカー紛いなことをしている輩は居ないから大丈夫だろう。だけど、用心した方がいいのではないだろうか。まるで、わたしも彼女を心配しているかのような発言がぽんぽん頭の中には浮かび、そして消える。その繰り返しが行われる。それでもこの視界に消えることのない彼女の後姿。


愛されている……。


彼に愛されている。写真で見つけた彼女の姿。愛でる様な仕草。彼女自身に焦がれてしまいそうになる。わたしは、どこか可笑しいのだろうか?



「は……」



小さく吐いた息はどこ吹く風なのだろうか……。緋色の静かな差し込みさえも、わたしを慰めているようだった。
ポストに背を預けて耳を澄ませる。階段を一つ、二つ…三つ目のドアを通り過ぎ。鍵を捻る音。ドアが静かに開き、一人分の入る音と閉まる音がすれば今日の任務も完了。携帯から彼へ報告をして閉じると影が差す。
思わず見開いた瞳孔。連絡していた彼だ。ウキョウが今、目の前にいる。だが、様子が可笑しい。どこか不敵に微笑んで居る。狂気じみた彼の存在に、身が竦んだ。



「なーんだ。もう家の中に入っちまったのか、残念だな」
「そう、ね」



携帯を後ろ手で彼女の携帯へ短文を送る。『 玄関の鍵を閉めて。チェーンも 』急いで送信確認をして安堵の息を吐き出すと、それを見られていて、彼の手から逃れるようにしゃがみ込めば、膝がお腹にめり込んだ。



「っあぅ!!」



倒れそうになる身体を彼の手がわたしの髪をひっぱりあげ、目線を合わせた。



「やっぱり、お前も邪魔してたのか。通りで上手く行かないわけだ。舐めた真似してんじゃねーか」
「……ふん」



視線を逸らして眉を寄せていると髪から手が離されたと思えば、顎を掴まれる。何とか足に力を入れて痛みを和らげるが喋れない。



「俺はお前の事知ってるんだぜ?」
「ッ!!」
「俺とアイツは人格は違っても一心同体。感じていることも思っていることも全て手に取るようにわかる。……お前はあの女を殺したいはずだ」



断言されたその一言で、脳裏がすさまじい高圧電流が流れた。それは、きっと瞼を熱くさせた原因の一つだと思うよ。
顎を掴んで居る手に両手を添えて力の限り、外させる。怪訝そうな面持ちの彼を真っ直ぐ見つめた。



「そう、よ!でも……もう彼を悲しませたくない、苦しめさせたくない……!!わたしは、彼女を疵付けさせない。あなたから護ってみせる!泣いた顔なんて見たくない……わたしはっ、彼方の笑った顔が好きだからッ!!」



片手にナイフを持っている事実など関係がなかった。いや、死んでもいいと思った。この苦しみから解放されるならそれでもいいって、半分思ったよ。でも、もう半分は……もう二度とわたしだけはあなたを悲しませることはしないと、誓ったから。生き続けようと決意したんだ……。


ナイフが寸前で止まり、驚いた。だけど次の瞬間。彼がひょっこり現れた。瞳に涙を沢山溜めてぐちゃぐちゃの顔でわたしよりも酷い顔をして、ナイフを床に力無く落としたら、わたしは思いきり彼を抱きしめた。



「もう、大丈夫。彼女なら大丈夫だよ。家の中で、わたしの指示通りにしてるから、あなたは侵入出来ない」
「…うん……ん……」
「よかった、ね……よかった、ねぇ……」



何度も何度もあなたの頭を抱きこんだ、この胸が張り裂けそうになった。頭の中で木霊するわたしの狂喜が何度もこの手を突き動かしそうになった。けど、今は、感情の方が優先だった。
子供のように泣きじゃくるあなたを安心させるように、包み込んであげたい。



「なまえ……」
「なあに?」
「ありがとう」



その言葉があれば、この先何があっても彼女とあなたを護っていける。そんな気がした。




あとがき
突発的なウキョウさん夢。どうしてわたしはウキョウさんで幸せな夢は書けないんだよぉぉぉぉー!!!!!


2012.05.15

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