17

「小川さんて、いっつも魍魎連れとるなあ」
「ん?うん。あ、ごめん。嫌?」
「え?いや、その…」
「はいはい散る散る。今から授業だからねー。終わったらボーロあげるからねー」

パンパンと手を叩くと魍魎たちはふよふよと教室から出ていった。
といっても次移動だからあまり意味はないんだけど。
その動作をしたら私に話し掛けてきたその人、志摩くんはパチリと目を瞬かせた。

「すっご!みんなおらんなってもうたやん!え、なに?使い魔なん?」
「え、うーん…そんな感じ、かなあ」
「あれだけの魍魎を…。小川さん絶対手騎士向いとるわ」
「あはは、ありがとう」

そう言われると、嬉しい。
でも話によると志摩くんは魍魎が少々苦手のようで(虫みたいなんだって)魍魎を塾につれてくるのは気をつけようと思った。
いや、勝手についてくるんだけどね。そもそも魍魎なんてそこら辺にいっぱいいるし。

「次は、…魔印やったけ」
「うん、そうだよ」
「魔印の時はいつも嬉しそうにしてはるなあ」
「ああ、だって…」

ネイガウスさんの授業だし。
その言葉は声に出ることはなかった。
まあ、別に言うつもりもなかったんだけど、志摩くんが勝呂くんたちに呼ばれたからだ。
志摩くんに一緒に行こうと言われ、特に断る理由もないので私は頷くと志摩くんの後に続いた。



「図を踏むな。魔法円が破綻すると効果は無効になる」

床に描かれた魔法円を見て、私はその素早さと正確さにただ感嘆した。
さすがネイガウスさんだ。だてに血ぃ流してないわ。

「そして召喚には己の血と適切な呼びかけが必要だ」

少し包帯を解けば落ちる血に私は顔をしかめた。
それにこの呼び掛けは、私がネイガウスさんの使い魔たちの中で一、二を争うくらい苦手な、というか嫌いな悪魔の呼び掛けだ。
テュポエウスとエキドナと息子。
つまり、

「悪魔を召喚し使い魔にすることができる人間は非常に少ない。悪魔を飼い馴らす強靭な精神力もそうだが、天性の才能が不可欠だからだ」

魔法円から出てきたのは、屍番犬。
見た目がえげつなくて硫黄臭いあの悪魔だ。
ネイガウスさんに勉強を叩き込まれる時、大抵いつもこれを召喚されて脅される。
ああ、恐ろしい。
私はぶるぶると身震いをした。

「今からお前達にその才能があるかテストする。先程配ったこの魔法円の略図を施した紙に、自分の血を垂らして思い付く言葉を唱えてみろ」

一瞬、ネイガウスさんが奥村くんを見た。
…なぜ奥村くん?
微妙な嫉妬を覚えるも、私は魔法円の略図に視線を落とす。
ネイガウスさんには色々教わってきたけど、召喚は、今回が初めてだったりする。
ああ、なんか緊張するな。
これ失敗したら、私ってば才能ないってなるんじゃないの。
そう思ったら怖くなってきた、が、いやいや私魍魎使いだし。ネイガウスさんの娘だし(違う)いけるでしょ。
なんか神木さんも杜山さんも使い魔出してるし。
これで私が出せずにいたらネイガウスさんのお顔に泥を塗ってしまうではないか!
そんなことじゃいけない。
針で指を軽く刺して、紙に血をなすりつける。
思い付く言葉なんて、ままよ!

「ボーロの時間ですよー!」
「……。」
「……。」
「……。」
「……あれ?」

しーん。
まさにこの効果音がぴったりなんじゃないだろうか。
完全にやってしまった。
しかもこの空気がツボに入ったのか志摩くんが爆笑しはじめた。
アイタタタだ。私ちょーイタイ子。
送られてくる視線に羞恥で顔から火が出そうになる。
何がネイガウスさんとお揃いだよ。半自棄になって魔法円の紙をびりりと破こうとした。
その時だった。

ズゥン…

「っ!」
「なにこれ!?」
「何の音だよ!」

地鳴りのような、地震でも起きた時のような、そんな、重々しい音がした。
音はみんなにも聞こえているらしく、辺りは少し混乱している。
そんな中、私は、

「あっ、ぐ…」

何かとてつもなく重たい物が背中にのしかかっているような感覚に襲われた。
堪らず膝を付き、胸を抑える。
すごく苦しくて、まともに息ができない。

「ちとこ!?」
「小川さん!」

奥村くんや勝呂くんたちがすぐに駆け寄ってきてくれるが、凄まじい圧迫感で喋ることすら叶わない。
わあ、死にそう。
なんて軽いように考えてるが結構まじだったりする。
視界が霞んできて、意識も遠退きはじめて、ダメかも。そう思った時に、あの声が届いた。

「ちとこ。しっかりしろ!」

ネイガウスさんの、声。
ああ、ダメだ死んでらんないわ。
途端に私は意識を覚醒させ、目を見開く。
そして反射的に魔法円の紙を破くと、鈍い音は鳴り止み、私はたちまち圧迫感から解放された。

「…止んだな。大丈夫か」
「はい…。大丈夫、です」

今は。だけど。
肩で息をしながら、ゴクリと唾を飲み込んだ。
さっきのは一体、何だったんだろう。
ネイガウスさんを見上げると、ネイガウスさんは困ったような顔をしてため息をついた。
ため息を、つかれた。

「今年は手騎士候補が豊作なようだな。悪魔を操って戦う手騎士は祓魔師の中でも数が少なく貴重な存在だ。まず悪魔は自分より弱い者には決して従わない。特に自信を失くした者には逆に襲い掛かる。さっきも言ったが使い魔は魔法円が破綻すれば任を解かれ消えるので…もし危険を感じたら"紙"で呼んだ場合紙を破くといいだろう。…これで今日の授業は終わりにする」
「ありがとうございました!」

チャイムが鳴ると同時に、授業は終わった。
私ときたら、ネイガウスさんにため息つかれたのと迷惑かけたのと不甲斐ないのとで、もういっぱいいっぱいになって、泣いてしまいそうになっていた。

「ちとこ、お前本当に、その、大丈夫なのか?」

奥村くんに珍しく声をかけられても、そのことで頭がいっぱいで、小さく頷くことしかできない。
愛想尽かされたら、まじ生きてられる自信ないてば。

「ちとこ…、」
「小川」

そしたら、奥村くんの私を呼ぶ声と、もう一つの私を呼ぶ声。
確か、さっきは名前で呼んでくれたはずのその声に、私はパッと顔を上げた。

「次からは何を呼び出したいのか、悪魔の名前を言えばいい。悪魔はみんな、そのボーロが好物みたいだからな」
「へ…」
「さっきのは多分、名を呼ばなかったせいだ。悪魔がこぞって出てこようとしていたんだろう」

だから、それを気をつければいい。
そう言ってネイガウスさんは教室から出ていった。
つまり、さっきのは私が何を呼び出したいか言わなかったから、悪魔がみんな出てこようとして、パンクしそうになったからあんなことになったってことなのか?

「なんだ…」

なんだ。なんだなんだ。
私に才能がなかったとか、そんなんじゃなくて、別にネイガウスさんも、落胆してたわけじゃなくて、なんだ、そうだったのか。

「よかったな、ちとこ」
「うん!」

嫌われなくて、よかった。