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ネイガウスさんのいいところ?
そうだなあ。
かっこいいところ?
あとは、かっこいいところ?
それから、かっこいいところ。

嘘じゃないんだってば。
あったかいよ、ネイガウスさん。


「ネイガウスさん!」

屋上に上がると、そこには屍番犬はもういなくて、ネイガウスさんが、その、奥村くんに、刀を向けられていた。
奥村くんじゃないみたい。
青い炎に、尖んがった耳。長いしっぽも生えている。
ううん、違う、そうじゃない。
私の視界に入っているのは、腕から血をだくだくと出している、刀を首に添えられたネイガウスさんの姿、だけ。

「…ちとこ、」
「お前…ッ!」
「小川さん!?なんでここに!?」

私の名前を小さく呟いたネイガウスさんの声は、誰よりも小さかったけど、二人よりも、より鮮明と、はっきり私の耳に届いた。

「ネイガウスさ…っ!は、なせ!」
「危険です!」

ネイガウスさんに近付こうとしたら奥村先生に腕を掴まれ止められてしまって、振りほどこうにも、男の子の力は強くて、中々手を放してくれない。
ギチリ、と歯の軋む音が鳴った。

「ちとこ!危ねえから離れてろ!!」

奥村くんは焦ったように、私を心配してかそう言った。
でも私にはありがたくもなんともなかった。
むしろ、怒りを覚えてしまったんだ。

「危ない?どっちが!?ネイガウスさんに何してんの!」

ネイガウスさんに刀をむけてるのは奥村くんじゃないか。
そう言うと奥村くんはビクリと体を動かして、悲しそうな顔をした。

「小川さん、兄さんは…!」

先生の私の腕を掴んだ手に、より一層力が篭められる。
誤解もなにも、間違ってるもなにも、私にはどうでもよかった。
今、見える情報だけで精一杯で、それが頭の中を支配する。
殺されそうになってるのは、
ネイガウスさんだ、と。

「…私は、"青い夜"の生き残りだ…」

そんなぐちゃぐちゃになった状況を壊してくれたのは、ネイガウスさんで、ネイガウスさんははっきりとその言葉を口にした。

青い夜

それは十六年前、サタンが世界中の有名な聖職者たちを大量殺戮したという、事件の話。
ネイガウスさんからその単語を初めて聞いた時、その後にすぐになんのことか調べたんだ。
その時はまだわからないことが多過ぎて、だけどネイガウスさんの話によって、なかったピースがどんどんと埋め合わさっていく。

「…俺は僅かの間サタンに身体を乗っ取られ…この眼を失い…そして俺を救おうと近付いた家族をも失った…サタンはこの俺の手を使って、家族を殺した」

ぐっと捲られてネイガウスさんのあの左目の眼帯。
私はこの時初めて、ネイガウスさんの左目を見た。
酷い火傷の痕のような、大きな痣。
家族を失った。
そう言う声色と、比例するような、そんな傷痕。

「ククク…許さん。サタンも悪魔と名のつくものは全て!!サタンの息子など以ての外だァ!!!!」

ああ、ピースが全部集まった。
奥村くんと関わるなと言ったこと。
青い夜のこと。
ネイガウスさんの家にいつも通ってる私が、ネイガウスさんの家族を見たことがないってこと。
奥村くんはサタンの息子で、だからネイガウスさんは私にあんなことを言ったし、何も言わなかった。
わかった、わかったけど、
ネイガウスさん、

「貴様は殺す…この命と引き換えてもな!!」
「ネイガウスさん!」

ネイガウスさんの腕から召喚された手だけの悪魔が奥村くんのお腹を突き刺した。
避けられるかと思ったのか、ネイガウスさんは目を見開く。
内臓をやられたのか、ケホッと口から血を吐いた奥村くんは…笑っていた。
苦しそうに、笑っていた。

「…気ィすんだかよ」
「に……」

顔を青くした奥村先生が私の腕を掴んでいた手の力を緩める。
それをいいことに私はその手を振りほどき、ネイガウスさんのところへ足を向けた。
まあ、でも、顔面蒼白なのは、ここにいる4人、みんな同じなんだけど。

「…これでも足んねーっつーんなら…俺はこーゆーの慣れてっから何度でも…何度でも相手してやる…!!」

静かに剣を鞘に納めた奥村くんは、いつもの姿に戻っていた。
いつもの奥村くん。

「だから頼むから、関係ねえ人間巻き込むな!!!!」

だけどそんな悲しそうで苦しそうで、悔しそうな顔は、初めて見た。
綺麗だと、思った。
悪魔のくせに、心がすごく綺麗。
私はちゃんとした人間なのに、どうしてこうも違うのかなってくらい。

「……こんな事で済むものか…俺のような奴は他にも…いるぞ…覚悟するといい…!」

ネイガウスさんはそう言って、フラフラになりながら踵を返した。
私は慌てて追い掛けて、ネイガウスさんを支えるように背中に手をそっと添えた。

「?!ネイガウス先生、小川さん…!!」
「いい…放っておけ…」
「………え」

階段を降りようとすれば杜山さんが急いで階段を上がって来ていた。
私も心配するなという意味を篭めて笑うと杜山さんは、まだ困惑気味ではあったけど奥村くんたちのいる屋上へ走っていった。

「…お前も、」
「え?」
「お前も…放っておいて、いい…」
「……、」

なんで、そんなこと言うの?
その言葉は声にならなかった。
その代わりに、目からどんどんと涙が溢れてくる。
私は血だらけになったネイガウスさんの腕に触れ、傷のないところを、ぎゅっと握った。

「そんなわけ、ない」
「……。」
「そんなわけ、ないよ…」

しゃっくりを一生懸命堪えて、必死に紡いだ言葉は、
ネイガウスさんにちゃんと届いていただろうか。