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「…さん。小川さん」
「……。」

私を呼ぶ声に、意識が浮上する。
うっすら開かれた視界に入っているのは寝ていたはずの勝呂くん。
あれ?と周りを見渡す。
いつの間にか私はあの縁側ではなく、どこかの和室にいて、さっきまで夜だったはずなのに、いつの間にか辺りは明るくなっていた。
ああ、そうか。私も、眠ってたんだ。
でもここは、どこだろう。

「…おはよう。勝呂くん」
「おお、おはよう。…やなくて、なんで小川さん、ここにおるん」
「……なんでだろう?」

ここどこ。と尋ねると、俺の部屋。と予想外な返事が返ってきた。
一旦思考が停止する。
そしてサァーッと、血の気が引く音がした。

「な、なんもしてないよ!大丈夫だからね!」

慌ててそう言うと今度は勝呂くんがブッと噎せて、顔を真っ赤にさせる。
そ、そんなん分かっとるわ!つか普通逆やろ!と怒鳴るように言われてしまい、ついつい小さくなって謝ってしまった。
とは言っても、記憶がないもんは仕方ない。
どうやら勝呂くんもどうやって部屋に戻ったかわかってないようで、二人で首を傾げた。

「私は昨日縁側で勝呂くんが寝てたから、タオルかけて、それで、…そこから寝ちゃったみたい」
「俺も酒飲んでたみたいで、記憶がないんや。……タオルって、これか?」
「あ、それそれ」
「わざわざありがとうな。多分、知らん内に俺が起きて、寝とる小川さん連れて部屋戻ったんやと思う」

それか俺ら見付けた誰かが運んでくれたか、やな。
私は勝呂くんの言葉にただなるほど。と頷くことしかできなかった。
なんせ、覚えていないからだ。
私も勝呂くんも雑魚寝していたようで、体の節々が痛い。
私は取り敢えず、お風呂に入って着替えたいって思ったから、ひとまず勝呂くんの部屋を退散することにした。
障子に手をかけると、また、「小川さん」と勝呂くんが私を呼ぶ。
私は、障子を開けようとする手を止めて振り返った。

「ん、なに?」
「……泣いたん?」
「え」
「跡、ついとる」

ひたり、と自分の頬に触れる。
跡って、涙の跡のことだろうか。
私は、泣いてたのか?
知らない内に?寝てる間に?
…重症だ。
情けなさを隠すように、へらりと笑う。
でも勝呂くんは眉間にシワを寄せて、まるで怒ってるみたいに私のことを見た。
それで私は、笑うこともできなくなる。

「なんかあったん」
「…ううん」
「じゃあ何で泣いたん」
「ほら、よだれじゃないかな」
「目から涎が出るか!真面目な話をしとるんやぞ!」

と、言われましても。
色々寂しくて泣いてました、なんて言えない。
情けなさすぎる。私にもプライドてもんはあるんだ。ちっぽけなりにも。
勝呂くんは相も変わらず怖い顔で見てくるけど、私はまた、笑顔を作った。

「取り敢えず、涎ってことにしといてよ」
「…はあ。汚いわ」
「あはは。ごめんね、ありがとう。じゃあ、今日も頑張ろう」

そう言って、部屋を出る。
涙の理由なんてそんな野暮なこと聞かないで。なんつって。
それ以上勝呂くんは追求してきそうになかったから、少し助かった。どうしようかと思ったから。
自分に与えられた部屋に戻っているときにポケットに入れっぱなしだった携帯を開いてみると、着信が何件かきていた。
ドキドキしながら、着信履歴を見てみると、全部ネイガウスさん。
私は急いで、電話をかけ直した。


「もしもし!ネイガウスさん!」