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「奥村燐が捕まった」

頬を真っ赤に腫らした勝呂くん。出張所から不浄王の右目が奪われた。それ以上に驚いた、というか、信じられなかったのは、奥村くんが捕まったという事実。私はその言葉に何も反応ができずにただ突っ立っていた。
奥村くんが捕まった。炎を出して出張所の人たちに見られたらしい。今は霧隠先生が術で奥村くんを失神させたらしく、監房に閉じ込められているらしい。

「えーと、それって奥村くんやばいんとちゃう?」

志摩くんには悪いけどそんなのみんな分かっている。やばいじゃ済まないかもしれない。最悪の場合暴走したと判断され処刑される。
そんなのメフィストさんが簡単に許すとは思えない、思えないけど、メフィストさんのことだ、何を考えているのか私には分かったものじゃない。

「燐…」

しえみのぼそりと呟く声が、私の不安を煽る。うそ、さっきまで私、奥村くんに怒鳴って、ボーロ食べて笑いあって、私は仕事が、彼は修行があるからと二人で別れた。それがこんな短時間で、色んな事が起こって、奥村くんが、捕まった…?

「助けなきゃ…」
「小川さん!?」
「奥村くんを助けなきゃ!!」
「ちょっと!」

伸びてきた細い腕、走り出そうとした私の行く手を阻んだ。

「出雲ちゃん…!」
「落ち着きなさいよ。あんたらしくもない」
「でも、でも!」
「ここで何の準備もないまま助けに行ったって無意味よ。まずは待ちましょう。ただでさえここは混乱してる。私たちにも何か指示がでるはず」

もう何も言えなかった。出雲ちゃんの言う通りだ。仕方なく私は一歩後ろに下がる。落ち着け落ち着け。今むやみに突っ込んだって、いいことなんて一つもないんだから。

「ごめん…」
「いや、取り乱すんも無理ないし、小川さん、大丈夫やよ」
「でも何か外、騒がしうなってきましたね」
「何かあったんでしょうか?」

確かに、ドタバタと騒がしくなってきた。志摩くんが暖簾をくぐり様子を確かめる。「蝮さんが捕まったってほんまか」「ああ、柔造さんが連れ戻しはったそうだ」聞こえてきた声に一目散に反応したのは勝呂くんで、急いで調理場から出て行った。それに続いて三輪くんが、志摩くんが、少し遅れて出雲ちゃんが、そしてしえみが。私も頭の中が少しぐちゃぐちゃになっていたけどみんなに続き調理場を後にした。
ネイガウスさんの言葉を思い出せよ。焦るな周りを見ろ。深呼吸して、うん。しっかりしろよバカ。
事態はとんでもないことになっていた。
不浄王が復活した。不浄王の説明は聞いた。永い間金剛深山の地下に仮死状態で封印されていたらしい。
不浄王を倒した際に不角が抜き取った不浄王の右目と左目、それを藤堂という資格を剥奪された祓魔師が用いて封印を解いた。
京都がたちまち地獄と化すだろう。江戸時代に4万人もの犠牲者を出した。でも今は江戸時代じゃない。人口は比べものにならないくらい増えている。犠牲者は、4万人ではとどまらないことなんて、すぐにわかる。
今勝呂くんのお父さんが一人で戦っているらしい。すぐに援軍が向かった。私たちは、待機を命令されただけだった。
手持無沙汰な私たちは、さっきまで沢山の人がいたはずの玄関を見ていることしかできなかった。
勝呂くんは今どういう気持ちなんだろうか。私にはわからないし、きっとわかってはいけないことだと思う。三輪くんや志摩くんが声をかけていたけれど、あまり聞いていない風だった。
今私たちにできることって、待つことしか、ないのだろうか。

「おっいたいたお前ら!ちょっとこっちに来い!」

旅館に戻ろう。そう言おうとした志摩くんの言葉を遮り、こちらに向かってきたのは霧隠先生だった。姿を見ないと思ったら。
言われた通りに先生のもとへ向かうと先生はみんなの不安げな表情をよそに信じられないようなことを言い放った。
奥村くんの処刑が決まった
早すぎる、そう思った。奥村くんが捕まったのは、ほんの少し前の話だったはずなのに。
最悪の展開だ。ヴァチカンの決定だ。覆ることはまずない。不思議と霧隠先生に焦りの表情はない。それを当然だと受け入れているのか、あるいは、
何か策があるのか。

「そこでだ。勝呂くん。コレをきみに預ける!」

先生が勝呂くんに渡したのは、奥村くんの持っている刀だった。やはり、何か先生には考えがあったんだ。
刀と同時に渡されたのは奥村くんに託された勝呂くんのお父さんからの手紙。どうやら不浄王を倒すには奥村くんの力が必要らしい。

アイツは協力する気だった。お前たち、燐を助け出してくれないか?

先生のその言葉に、私が首を横に振るわけもない。しかしアイツとは誰のことなのだろう。小さな疑問は膨らむことはなく、霧隠先生は床に迷彩ポンチョを置き行ってしまった。自分も騎士團の人間だから、表立っては動けない。判断は私たちにまかせる、と。
先生が去ってしまった後勝呂くんは手紙を読み始めた。気を使ってか声に出して読んでくれていたので、私は床に置かれたポンチョを手にしようとしていた。
だけど、

「…。」

ポンチョの数が、一つ足りなかった。しえみに、出雲ちゃん、勝呂くんに三輪くんに志摩くん、そして私。ポンチョは6つないと、みんなと一緒に行動できない。確かこのポンチョを着れば他人からは見えなくなるような効果があって、だから、ポンチョが足りないというのは、おかしい。誰かが協力しないと考えてこの数、ということはないだろう。志摩くんだっていつも乗り気じゃないけどいざとなったらみんなについてきてくれる。誰かがお留守番をしていろという意味なのか、
そもそも、アイツって、誰だ。

「!うわ!?」

小さな疑問が再び脳内に現れたとき、私は突然誰かに腕を掴まれた。声が出たときにはもう視界は真っ暗で、私の前を行く腕を掴んでいる本人の姿すら確認することはできない。
なんとなく、なんとなく誰かは分かる。きっと私の手を引くこの人は、霧隠先生の言っていたアイツだろう。
クツリと笑った声が聞こえた。ああもうこれは、彼以外、有り得ないだろう。