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突如予想着地点に広がったのは黒いもやのような、絨毯のようなものだった。よかった来てくれた。おびただしい数の魍魎がそこにはいて、私を受け止めるためのクッションを作っていたのだ。
なんていい子たち。全員にはあげられないだろうが、ボーロはきっちりあげないといけないね。
恐怖はあるけど私はあの子たちを信頼している。ぎゅっと目を閉じ体を硬くすれば、痛くはないけれどたちまち鈍い衝撃が私を襲った。

「う、う…よ、よかった成功して…。みんな、ありがとう」

ボスリと音をたて私は無事に着地した。怪我もないし痛みもない。ただ少し衝撃が強かっただけ。でもそれも難易度の高いフリーフォール型のアトラクションに乗った時のような感覚で、大したことでもない。
みんなに誠心誠意をこめてお礼を言えば、悪いけれど気持ち悪いほどの数の魍魎たちが一斉に鳴きだした。言葉は通じないけれど、うん、怒ってはいないように思える。
しかし生憎今はボーロを持ち合わせていない。この戦いが終われば必ずあげると伝えようとしたとき、一斉に魍魎たちは散って行った。まるで私の言わんとしていることが分かっているみたいに。
報酬がないのに、反乱が起きない。そんな、この子たちは決して、私の正式な使い魔ではないのに。一度お手伝いをしてもらってボーロをすぐにあげることができなかった時、この子たちは酷く喚いた。それなのに。

「…諦めちゃったのかな、それとも…」

私が、成長したとか。
なんて。あまり期待のできないことは考えずに、まあ、ありがたい話だ。こうしている間にも胞子がだんだんと迫っている。私は早くみんなと合流して、目的を果たさないと。
幸いまだここは胞子の被害にあっていない。やるなら、今しかないだろう。
ぎゅ、とポケットにある携帯電話を握り締めた。電話をしてしまいたい。怖い、帰りたいって、そう泣いてすがりたい。でも、私のやるべきことは、それじゃあない。
メフィストさんにもらった紙切れを取り出し、適当にそこら辺にあった木の枝を手に取った。
これは魔法円。メフィストさんは、私に使い魔を与えてくれたのだ。明日は雪でも降るのだろうか。あいにく、今は夏だけれど。
がりがりと地面をけずり、紙に書かれた通りの魔法円を書いていく。紙に血を垂らすというのもありかもしれないけれど、念には念をいれた方がいいだろう。
書き終われば次は血だ。私のつけていたホルダーには小さなナイフを装備してある。厚かましいかもしれないけれど、いつでも悪魔を、召喚してもいいように。
自分で自分を傷つけるというのは、勇気のいることだと思う。少なくとも私にとっては、慣れるのにとても時間がかかりそうだ。でもそうも言ってられない。震える手を無視するように、私は自分の腕にナイスをあてがった。

「ハウレス、私があなたのような悪魔を喚び出せるとは到底思わないけど、もらったカードはもらったカードだから素直に私のもとへ来てほしい。弱いからこそ、あなたの力が必要なの。さあ、

 …お菓子の時間ですよ」

正式な詠唱の仕方もあるだろう。でも私はネイガウスさんに教わった。必要なのは悪魔に呼びかけること。通じるのなら何を言ってもいいのだ。
ずっと気になっていた。どうして悪魔はボーロが好きなんだろう。その疑問は当然のことで、私は自分なりに調べてみた。けれどよくはわからなくて。
あるとき、メフィストさんが私に言った。私はほぼ全ての悪魔を手駒にできる。
アマイモンさんは自分で買ったボーロではなく、私からもらったボーロがいいと言った。
つまり、だ。ボーロは私が与えたものでなければ悪魔を魅了しないし、それならば私が与えるものはボーロでなくてもいいのではないかという説。試しにこの間魍魎にクッキーをあげたけれど同じように喜んでくれた。ただ単にボーロを常備しているのは、魍魎に与えるのにちょうどいいサイズだからという理由だけになった。
きっとなんでもいい。私が与えるものはきっとなんでも喜んでくれるのだと思う。でもそれはお菓子に限ることなのかもしれないし、特に、そういうわけではないのかもしれない。なら、いいじゃないか。
みんなでおやつの時間ときめこもう。
ビッと自分でも予想以上に思い切りナイフを引くと思ったより強い痛みが腕に走った。血はどんどん流れて行き魔法円へと落ちていく。
私は自分を信じよう。そしてハウレスのことも信じよう。
ボタボタと血の落ちていく魔法円を眺める。私は不思議と落ち着いていた。どことなく安心したような気分にもなった。出る。絶対に成功する。変な自信のような過剰な気持ちが生まれてきて、私の口は弧を描いていた。
だんだんと魔法円は白いもやのようなものに包まれていく。よし、よしよしよし。こい。私のもとへ。そのもやはたちまち上へと登り、視界を妨げ、私はもう辺りを確認することができなくなってしまっていた。

『おう、おうおうおう。わしもえらいかいらしいお嬢ちゃんに喚ばれたもんやなあ』
「…え?」

そしてもやの中から聞こえてきたのは、関西弁。思わず顔をしかめる。
その声が聞こえたと思いきや周りを覆っていたもやはすっかりと消え、魔法円の中に立つそのモノを、私は初めて確認することができた。

『喚ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん。ハウレスさん、さーんじょーう』

硬そうな体毛に覆われたどっしりとした体
炎を宿したような、するどい目
しなやかで長い尻尾
そこにいたのは般若のような顔をした悪魔ではなく、にんまりと頭の悪そうな笑顔を見せる、大きな豹の姿だった。