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ネイガウスにまで捨てられた、可哀想なちとこちゃん

ちがう、わたしは捨てられてなんかない

捨てられたんだよ、あんたはもういらないんだ

そんなことない。わたしは、ちゃんと、

ならどうして?

え……?

どうして彼は、あなたを置いていなくなったの?






「……っ!」

意識もどり、その瞬間感じたのは憂鬱な気持ち。眠たさでぼんやりとした頭で、今の状況を必死に整理する。
最後の記憶から、突然場面が変わった。
見たこともない場所。真っ白で、私が寝ているベッドだけがある空間。
さきほどまで、真っ暗な空間にいた気がするが、それは夢だったのだろうか。だけど私は学校にいたはずで。
服はそのままだが、身につけていたアクセサリーや魔法円の略図などが入ったホルダーはない。取られたか。

「ここは……」
「目が覚めたか」

カツン、と靴の踵のなる音。静かに開いた扉から入ってきたのは眼鏡をかけた女性だった。

「ここ、は?」
「イルミナティの研究所だ」
「イルミナティ…」

それってあの、藤堂が所属している組織、イルミナティのことか。あまり詳しいことは聞いていないが、正十字騎士団の敵だということは、確か。どうして私がここに。

「ハ、ハウレス…」
「無駄だ。この部屋には魔除を施している。使い魔は喚べん」
「……何が目的で私を?」

鋭く、冷たい目。表情から感情を全く読み取れない。
そんな彼女は瞬きもせず、「総帥がお呼びだ」と、そう言った。そして腕を乱暴に掴むと私をベッドから引きずり下ろす。その時気づいたが、私の両手首には手錠がされており、身動きが取れない状態にされていた。手を使えないことで思い切り床に倒れ込み、それでも彼女が引っ張るものだからなんとか無理やり立ち上がり、私は真っ白な部屋を出る。
心臓はとてもうるさかった。恐怖と、不安で。

「粗相のないようにしろ」
「……。」

しばらく歩いた先に、扉があった。まるで病室のような、扉。なんだかすごく、怖い。足が震えている。この先に誰がいるというんだ。ハウレスが言っていた、旅行ってこういうことだったのか。こんなの旅行じゃないじゃん!誘拐だ!ハウレスの嘘つき!
心の中でそう叫ぶと、万が一の時のためにスカートの折り目部分に隠していたハウレスの魔法円がにわかに震えた気がした。

「きみが、小川ちとこですか」

その部屋の先にいたのは、たくさんの管に繋がれた

ひと
ヒト、なのか?

「……失礼。私は啓明結社イルミナティの総帥。光の王、ルシフェルです」
「……っ!!」

ルシフェル。
虚無界の最高権力者。八候王の中の光の王。なぜ、こんな存在がここに。私の前に。なぜ。

「なるほど、よく似ている…」
「な、なにを……」

じっくりと、私を見て、ルシフェルはぽつりと言葉を零す。まるでその目は何かを懐かしむような、そんな目。

「あなたは異世界から来たそうですね」
「……、そ、そう、なります…」
「なぜだか分かりますか?」
「え?」

なぜ、と言われても。突拍子もない質問に、つい黙ってしまう。
なぜと言われても、そんなことは私が一番聞きたいのだ。思えば遠い記憶のような話だが、私は確かにこことは明らかに別の世界にいた。それがどっこい、悪徳宗教のようなやつらに変な儀式をされたことにより、この世界へ来た。
理由はわからない。
誰にもわからない。
だから私は考えないようにしていた。考えても無駄だ。戻る手段はない。一生私は、ここで、

「知りたくはないですか」
「……わかるわけ、」
「私は、知っていますよ」

ルシフェルの目はまっすぐに私を捉えている。似ている。メフィストさんの瞳に。奥村くんの瞳に。とてもよく、似ている。
ごくりと、喉をならす。きっとこの人は嘘をついていない。分からないけれど、なぜだか心の底からそう感じる。

「私たちは、あなたを歓迎します」
「歓迎……」
「あなたがもとの世界へ帰る方法も教えましょう」
「帰る、方法」

これは甘言か。悪魔の甘い甘い罠なのだろうか。だけれど、この人を目の前に、その言葉に惹かれている私はなんだろう。

「…ッハウレス!!!!」

たまらず私は叫んだ。これ以上この人の言葉を聞きたくない。催眠術でもかけられているみたいだ。
思い切り彼の名を呼ぶと待ってましたと言わんばかりにすぐに出てくる。
メガネの女の人は武器を手に構えたがそれを止めたのは光の王だった。

「ハウレス!逃げるよ!」
『合点承知之助ぇ!』

私はそれを見て見ぬふりをして、ハウレスの背に乗り部屋から飛び出した。
心臓がバクバクいっている。私の心が揺れ動いたのもハウレスには筒抜けだろう。しかしハウレスは来てくれた。こんな心の有様でも、来てくれた。なぜなのだ。
ハウレスも何か、企んでいるのでは

『こらこら』
「っ!」
『余計なことは考えたらあかん。最初に言うたやろ。信じるものに』
「……助けはある」

ハウレスは満足そうに頷いた。

「…忘れてたのに。私がこことは違うどこかから来た存在だって」
『おん』
「吹っ切れたと、思ったのに」

やばい。会いたい、両親に。会いたい、友だちに。会いたい。あの世界に、帰りたい。
今の生活が日常になってきて、あっちのことなんて忘れちゃってて。なんの違和感もなく
、思い出すこともなく。
無意識にその記憶に蓋をしていたのかもしれない。でも今はその蓋をこじ開けられて、気持ちが溢れ出ている。
私は一生ここにいるのか。
今、私のいたあの世界はどうなっているのか。
みんな私のことを忘れたりしているのではないか。
私がここに来た時に着ていたあの制服、どこにしまってあるっけ?

「……、ネイガウスさん、たすけて…」

私の家族。私の拠り所。私の居場所。
どこいっちゃったの。
どうして連絡くれないの。
どうしてこんな時に、どうして。

『しっかりせえ!』
「ッぎゃああ!!」

大きな声が聞こえたとその瞬間、体は宙を舞い地面に叩きつけられていた。腕を大きく擦りむいてしまったらしく、じんじんと痛み始める。
ハウレスが、私のことを振り落としたのだ。

「な、なにすんの!」
『ウジウジと鬱陶しい!いいか。あいつは、光の王は、サタンを復活させようとしとんのやぞ!』
「え……?」
『お前の敵は誰やねん!んでお前が守りたいやつは誰なんや!!』
「……。」

私の敵は、そう、サタンだ。ネイガウスさんの家族を殺して、ネイガウスさんに辛い、苦しいなんて言葉じゃ足りないくらいの思いをさせたサタンが許せない。
だから決めた。
ネイガウスさんの武器になる。
誰よりも、何よりも大切なネイガウスさんのために。
私がサタンを倒すって、決めた。

「……うっ、うう、ぶえ…」
『はーー、ぶっさいくな泣き顔やな』
「うるさい…っ、痛いよお…」

それはすまんかった。と。別に申し訳なさそうな顔もせずハウレスは謝った。いくらなんでもいきなり私を振り落とすのはいかがなものか。
だけど

「ごめん、あっ、ありが、と……っ」
『ウェルカム!!』

ハウレスのおかげで目が覚めた。
確かに気になることは山積みだ。私はなぜこの世界に来たのか。なぜ光の王は私を歓迎すると言ったのか。本当に帰る方法を知っているのか。
でもだめだ。
私には先に約束があったのだ。
ネイガウスさんとした約束。

ーー私が、武器になる。私はネイガウスさんの、使い魔だから…私がネイガウスさんの武器になる。私がサタンを、倒すよ。ーー

その約束を果たさないと、私は帰れない。
元の世界には、帰らない。