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「ちょ、志摩くん!どこに行くの!?」

志摩くんと外道院が何やらモメていた(外道院が一方的にキレていたようにも見えたけど)と思えば、志摩くんは私の腕を引き部屋から出てゆく。
外道院が、出雲を迎えに行けとか、九尾の適合確率がどうとか言っていたが、一体、なんの話しをしているのか、私にはさっぱり分からない。

「ねえ、志摩くん!志摩…」
「ちょ、小川さん。静かにしてな」
「ここで何が起きてるの…?なんで出雲ちゃんの名前が…」

ふう、と私の手を引きながら、志摩くんはため息をついた。「ほんまになんも知らんのやなあ」と、まるで憐れむように、言う。
そして教えてくれたのだ。なぜみんながここにいるのか。なぜ外道院の口から、出雲ちゃんの名前が出たのか。

出雲ちゃんのお母さんは九尾を鎮めるつとめをおっていたが、ある日、魔に魅入られ九尾に取り憑かれてしまった。まだ幼かった出雲ちゃんに接触をはかっていたイルミナティ。娘すらも手にかけようとする、その変わり果てた母の姿に、幼い出雲ちゃんはイルミナティを頼ってしまう。出雲ちゃんのお母さんはイルミナティに捕えられ、九尾の力を手に入れるために、実験台になった。出雲ちゃんは、その代用品。出雲ちゃんは、お母さんがダメになってしまった時の代わりとして、イルミナティに囚われてしまった。

と、こんな感じだろうか。志摩くんが「僕も全部は知らんのやけど」とポツポツ話してくれて、私もようやく、理解することが出来た。
そうか。そうだったのか。
出雲ちゃんがいつも人をつっぱねていたのは、そういうことがあったからなのだろうか。
出雲ちゃんは、ずっと、ずっと、苦しんでいたんだろう。
辛すぎる、その気持ちは、私には計り知れない。

「じゃあ、志摩くんは、出雲ちゃんが死んじゃってもいいの…?」
「なんでそう悪い方向に考えるん?失敗するなんてまだ分からへんよ」
「でも、苦戦してるから、出雲ちゃんが連れ戻されたんじゃないの…」

志摩くんは黙ってしまった。それは、言い返す言葉がなくなったのか、ただ、私の言葉に返事をするのが億劫なのか、それか、それが本当だから、なのか。
自分の手が震えているのがわかった。志摩くんにもきっと伝わってしまっているだろう。私を引く手が強くなって、少し、痛い。
いつの間にか私達は扉の前まできており、志摩くんは慣れたようにその重たそうな扉をあけた。
そこは、さっきまで窓越しにみていた場所だった。
しかし、先程まではなかったものが、そこにある。

「なに、あれ…」

見たこともないような、とてつもなく大きな肉塊。無数の瞳があり、無数の手足が生えており、無数の口がある。それはどんどん膨張していて、今まで見てきた悪魔の中でも一番に恐ろしく、異様だ。これがまさか、さっき言っていた、不死の屍人なのだろうか。
呆然とそれを眺めていると、桟橋の向こう側から誰かが来ていることに気がついた。
あれは、間違いなく、出雲ちゃんの姿。

「じゃ、小川さん。ここでお別れや」
「え…?」

ドン、と、胸元を強く押された。私の体は柵を乗り越え、頭を下にして落ちてゆく。
なんとも言えない笑顔を浮かべた志摩くんが、じっとこちらを見て、すぐに、顔を逸らした。
突き落とされた。あの化け物の蠢く中に。志摩くんが、私を、突き落とした。

「ひっっ!!」

ボスン!!と覚悟していたものとは全く異なる衝撃。やわらかく、ふかふかで、あたたかい。

「ク…クロぉぉ!!」

その地面の正体は、にゃーんと鳴いた。クロだ。クロが私を助けてくれた!なんというタイミング、なんという奇跡!あんまり一瞬のことだったので今さら恐怖が沸き起こり、思わずクロに縋り付く。大きな大きなクロの喉がゴロゴロと鳴る。しかし今は、そんな場合ではない。

「みんなのところに連れて行って!」

お願いをすると、にゃーんとまた、返事をしてくれた。
軽々と暴れる肉塊を避けていき、私はそのスピードと激しさに強く目をつぶってしまう。そしてやっぱりちょっと痛いくらいには、クロの毛を引っ張っていたと思う。

「小川さん!!?」
「ちとこ!どうして…」
「み、みんなあああ」

ほどなくしてクロはちゃんとみんなのところへ私を連れていってくれた。私がいることに心底みんな驚いているようだったけど、やはり今はそんな場合ではない。すぐにみんなでクロの背中に乗り、逃げる。そこに奥村くんはいない。見渡す限り化け物の姿だけ。しかし不思議と、私たちのことを襲ってくる様子はない。

「強いエネルギーを放出している物質に引き寄せられているのか!?」

奥村先生の一言で、奥村くんが戦っていることを悟る。相手は、志摩くんだろうか。私を突き落としてすぐにどっかに行ってしまったもんだから、その可能性は高い。

「もはや僕達だけで太刀打ちできるレベルの敵じゃない…!」
「どうしましょう…」
「クロ!追って!奥村くんのところに行こう!」

そう言うとクロはすぐにより深いところへと降りてゆく。きっとその先に、奥村くんも、志摩くんも、…出雲ちゃんも、いる。