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「つ、かれたっ」


私が部屋に帰ってこれたのは、あれから随分と先の話だった。上級生のいない委員会は寝る間も惜しまなければ当然、機能することはないからどこもずっと活動していた。でもまあ、上級生もなにも全滅したわけではないらしい。四年は斉藤と田村が、五年は竹谷が委員会にきっちり参加していた。うん。どうやら天女を気にかけてはいたが委員会の方が心配らしい。良いやつらだ。他の奴らもその程度に留まってくれればいいのだが。いや、案ずるべきはこの状況が深刻化することか。生き残っている上級生たちがやられたら、まじで学園潰れるぞ。


「あら初子、お疲れね」
「ああお疲れだよツユコ」
「委員会はどうでした?」
「…なんで知ってんの?まあいいや、そうだなあ、危ういね。非常に」
「まあ、でしょうね」


ふふ、と笑うツユコは、わりと美しい顔をしている。わりとというか、まじでというか。呑気に笑うツユコを見て、私は小さくため息をついた。この人、今学園が危険にさらされてるってこと、分かってないのか。


「初子は、どうするの」
「え…?」
「忍たまたち」
「……うん」


どうするって言われてもな。漠然としててちょっと難しい。あいつらは大切な仲間だから。もし本当に天女に現を抜かして委員会や鍛練をほっぽりだすというならば、どうにかしなくてはいけないと思う。でもどうしたらいいのかはまだ分からない。「今日みたいに全委員会の手伝いとかしてたら、あんたが壊れるわよ」またツユコがため息をつく。そうして私に黒の忍装束を渡して、「行ってらっしゃい」と肩を叩いた。


「…行ってきます」


今日は寝る暇は、ないな。でもまあ、今日の忍務は外部視察だからヘマをしなければ、戦うこともないだろう。私は黒の忍装束に素早く着替えると学園を飛び出した。この忍務に選出されたのは私を含めて3人。忍たま五年竹谷八左ヱ門とくのたま四年ヤナエ。比較的簡単な忍務とはいえ、まだ経験の浅い四年がいるのは少し不安だ。ヤナエには私についていてもらうことになっている。私だけで守れるかは心配だけど。


「竹谷」
「はい」
「お前は確か内部視察だったね。大丈夫?」
「そっすね…戻ってこないようなら先帰っててください」
「え…」
「わかった。こちらの仕事が終わればこの狼を鳴かせる。500待とう」
「了解!」


竹谷は連れていた狼を私に渡す。お互いが頷くと、竹谷は城の中に消えた。「竹谷先輩…大丈夫なんでしょうか」ヤナエが不安の色を浮かべる。最近、あの天女の影響もあるだろうし、と付け加えられた言葉には、確かに頷けるものがあった。しかしこれは学園長のお達し。学園長も人選は誤ってはいないはず。あの方は、伊達に学園長ではないのだ。


「ヤナエ、忍務は初めて?」
「は、はい!」
「そうか……気張れよ」
「…初子、先輩?」
「死は、すぐそこだ」


ごくり、ヤナエの唾を飲む音が聞こえた。いくらこの忍務が比較的簡単だったとしても、ここに来た以上は、命の保障なんてない。私たちが視察しているのがバレれば、武器を手に取らなければならない。竹谷はもう五年だ。それなりに覚悟も、しているだろう。


「行くよヤナエ」
「…はい」


ヤナエは知らなくてはならない。忍という仕事がどんなものなのかを。願わくば、その心が折れないでいてくれることを。




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「そろそろ終わりにするか。掴みたい情報は掴めた。ヤナエ、そんなに難しくはなかったでしょ?」
「は、はい……でも初子先輩みたいに頭も回らなくて、後ろにも気をとられていたし…」
「すぐに慣れるよ」


はい。頷いた後輩からは冷や汗が流れていた。緊張もあるだろう。恐怖もあるだろう。素直なところはこの子のいいところだ。そうやって反省ができるあたり、この子はこれからも成長するだろう。
狼の、月に向かって高々に吠える声を聞きながら私は静かに数を数える。私だって怖いさ。緊張もする。ドクンドクンと脈打つ心臓、乾く唇。ぎしりと噛みながら、私たちは竹谷の帰りを待った。


「……500だ。ヤナエ、帰るぞ」


事態はよくない方向へ進んでしまった。ここから城との距離ならば難なく戻ってこれる時間だ。…竹谷が無事だといいんだけど。動こうとしないヤナエの手を引く。それでも、ヤナエは帰るのを渋った。


「だって…初子先輩……っ、竹谷先輩が!」
「ヤナエ、これ以上待つのも危険だ。学園長にも報告しなければならない」
「でも!」
「ヤナエ」


再び名前を呼ぶとヤナエは口をつぐんだ。しかしヤナエの表情は、納得なんてしていなかった。ヤナエの気持ちはわかる。もう、十分すぎるほどに。


「初子先輩なら…絶対助けに行くと思っていました。こんなの、おかしいです。見捨てるなんておかしいです…っ」
「……。」
「がっかりしました。……憧れていたのに」
「っ!待て!」


吐き捨てるように、ヤナエは城に向かって走り出した。忍務経験のない奴が、戦を目前にした城に飛び込むのは危険だ。舌打ちをして地面を蹴る。経験の差というものは大きなもので、ヤナエにはすぐに追い付いた。喋る間もなく鳩尾を強く殴ればずしりと私に体重がかかってくる。気絶をした彼女を私は抱えて、闇に紛れて学園へと戻った。


「本当に、素直な子……」


今日は、よく嫌われる日だ。




(理想像の欠落)
人としてか、忍としてか、二つに一つ