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「おなかすいた」
「え?」
「…おなかすいっ!…ったあぁぁ」


ぐぎゅるぐるきゅう
腹の虫と共に勢いよく体を起こした、のは良かったんだけど腹に物凄い激痛が走って叫ぶこともできずにうずくまってしまった。なにこれ空腹と腹痛の最悪のマッチング。飯食ったら治るのかな、と思いきや自分のお腹に血の滲んだ包帯がぐるぐる巻かれていることに気がついた。
あ、そうだった。忍務だったんだっけ。腹の傷の理由をぼんやりと考えていると「佐倉さん」と落ち着いた声が私を呼ぶ。そういえば私さっきまで寝てたんだわ。空腹で目が覚めたのか食い意地はってんなおい。よく寝たおかげかやけに意識もハッキリしてるからここはどこだろうなんて考えなくともわかるし私の名前を呼んだその人にいたっては見なくともわかる。白い装束を身にまとったいつも朗らかな笑顔を見せてくれるその人のほうを向けば、やっぱりその人は優しそうな笑みを浮かべていた。


「新野先生」
「忍務お疲れ様でしたね。具合は悪くありませんか?」
「あー…言われてみれば少し血が足りない気分です」
「沢山流してましたからね。しばらくは絶対安静です。土井先生が助けてくれたんですよ。竹谷くんも、すごく心配していました」
「土井先生が…あらあら。ていうか竹谷大丈夫なんですか?」
「ええ。足を折ったくらいですから」


足が折れてるのに"くらい"っていうのは一体どうなんだろうとは思ったけどもまあどうやら無事らしいので良しとするか。
にしても絶対安静なんて私にできるだろうか。回復は早い方だって自負はしてるけど、腹の痛み、出血の感じからしてそうだな、一週間あればマラソンくらいはできそうだ。不安なのは膿だな。あれ気持ち悪いんだよなあ。でも適当にしてたら悪化するし最悪ウジ虫でも湧いたらどうしよう。そこまでの怪我ではないか。
じゃあ土井先生にお礼でも言いに行こーと布団から出ようとしたら新野先生に頭を叩かれた。絶対安静って言いましたよね?笑顔には笑顔だけどかなり恐ろしい表情をしてらっしゃる新野先生様にはまだまだ未熟な私には抗うことは出来なくて大人しく布団に入らせていただいた。
新野先生怖ぇ。


「佐倉さん、どのくらい眠っていたかわかりますか?」
「腹具合からして、一日…と半日」
「…あなたの腹時計は一体どうなっているんですか」
「あら、当たってましたか?」


さすが私ですね。ふふんと自慢げに笑えば苦笑で返された。なんちゅー微妙な反応なんだろう。これなら馬鹿にされた方が断然マシだよ。
そこでまたぎゅるぎゅると腹がなる。今更羞恥もくそもないけど小さく「おなかすいた」と漏らせば新野先生はすぐに食事を貰ってきますねと部屋を出ていってしまった。急に静まる室内。ここは保健室ではなくて、まあ所謂重症患者とかを休ませる部屋。私自身は使ったことは二回くらいしか…この場合は二回もって言うべきなのかな。まあとりあえずそのくらいしかないけど友だちが怪我をしたら見舞いに来たりはする。簡易的な救急箱もあって、布団の近くに血と膿で汚れた包帯と手拭いがあった。あれ全部私のなのかな。自分もまた、結構な怪我をしたもんだ。


「初子さん。入っても?」
「あ、どーぞどーぞ」


暇だなあ、とぼんやり考えてると山本シナ先生の声が障子の向こうから聞こえてきた。ちなみに老人の姿の方の声だ。もう一人気配を感じられるけど、誰だかわかってしまって少し緊張する、というか、気まずいというか。
開いた障子からまずは山本シナ先生が私の調子を聞きながら入ってきて、もう一人、忍務を共にしたヤナエが、私の顔色をうかがうように室内を覗いた。入ってきたらいいものを。なるべく優しい声色で入るように言うとやっぱり彼女の良いところで素直にシナ先生の隣に腰をおろした。


「大怪我をしたと」
「そーなんですよ。痛くて痛くて」
「なんでこんな無茶をするかしら」
「無茶だと思ってないところが問題ですね!」
「それがあなたの良いところでもあるんですが…悪いところでもありますね」


ため息まじりそう言った山本シナ先生を眺めるように見ながら私は苦笑じみた笑みを浮かべるしかなかった。思い詰めたような顔をしているヤナエにもなんて声をかけていいかわからない。がっかりしたと、そう言われて何とも思わない私ではない。でもヤナエがここに来たってことはそれを気にしているのかもしれない。
もし、もしヤナエが私に謝るつもりでここに来たのならそれはきっと大きな間違いだ。私には私なりの忍道みたいなのがあるし、ヤナエにもヤナエなりになにかあるはず。ヤナエの言ったことが私は間違いだとは思わないし、力があれば、すぐにでも助けに行くことができただろう。
でもなかった。できなかったのだ。
そんな私を私は情けないと思うしだからこそこんな大怪我を負った。結果が全てとはいうけれど、時にはそれに心が追い付かなかったりもするしね。


「話を聞けば援護を断ったみたいですね」
「あ、はい」
「それを聞いて…もう気が気じゃありませんでした」
「山本シナ先生…」
「ヤナエさんもどれほど心配していたと思ってるんですか」
「…ヤナエ、」


そうか。心配させてしまったのか。シナ先生からヤナエへ視線を移す。でもヤナエは俯いていて目は合わなかった。ヤナエを置いていってしまったからな。でも城に侵入するなんてまだ早いと思ったから。特に冷静さに欠けているときは。そういえば殴ってしまったお腹はまだ痛むのだろうか。恐る恐る、謝罪の言葉と共に聞いてみるとすぐに「私のことなんかどうでもいいんです」と震える声で言われて、私は何も言うことができなくなってしまった。


「やっぱり先輩は私の憧れの先輩でした…。私のことなんかどうでもいいんです。尊敬してます…っ生きていてくれてっ本当に、よかった……!」


このとき、やっとヤナエと目があった。目にはいっぱい涙が溜まっていてなんというか、女の私でも見とれてしまうような光景だと思った。できれば今すぐ抱き締めてあげたい。飛び上がって布団から脱出して押し倒すくらいの勢いで抱きついてあげたいんだけど、ちょっと私も涙腺がやばいんですけど。だいぶキモいこと言ったけどそれだけ感動してると捉えてもらえると嬉しい。


「またっわ、私と…忍務、してっ、くれますかっ」


ああ、もういかん。腹痛いとか言ってられない。布団からなんとか這い出てヤナエに手を伸ばす。でもヤナエの手前に山本シナ先生がいたものだから否応なしに布団に戻された。えー!ここは先生黙って見守っててくださいよ!そう言ってはみたものの山本シナ先生たら若い姿になって布団から出ないように念押ししてきた。悲しい。ヤナエは笑ってるし、私笑われてるし。


「私も先輩みたいなくの一になりたいなあ」
「ヤナエさんそれだけは止めておいた方がいいわ」
「シナ先生ひどいい…でも私もそう思う」
「そ、そうですか?」
「そうだよ。…でも、まあ、うん。またやろうね。忍務」


今度は戦場で。そう付け加えるとヤナエは一瞬目を大きく開いた。だけどすぐに真剣な表情になり凛とした声で「はい」と、そう返事をした。やっぱりこの子は素直で真っ直ぐで純粋で、そんなところに私は憧れる。私みたいな忍になる必要はない。ヤナエはヤナエのいいところを伸ばせばいいから。
それから少ししたら新野先生が食事を持ってきてくださって、私はようやく飯にありつくことができた。約二日ぶりのおばちゃんのご飯はどんなご飯よりもおいしく感じることができて新野先生にもシナ先生にもヤナエにも幸せなそうな顔だって笑われた。



(いつものわたし)
ずっとそうしていられたら