迂闊だった。
走り込みをしていて、仙蔵の制止の声も聞かずに猪みたいに突っ込んだ結果
あたしは今落とし穴の中、仙蔵の上に居る。
「ご、ごめん!直ぐに退くから…!」
「待て!暴れるな、大丈夫だから落ち着け…!」
華奢な指があたしの頭に乗って、ゆっくりと動く。まるで子供をあやすみたいに。
仙蔵の綺麗な顔が目の前に広がって、あたしの心臓は聞こえるんじゃないかってくらいにばくばく言ってて、そろそろちゃんと自分の気持ちに向き合わなきゃって思ったら勝手に言葉が滑りでた。
「仙蔵」
「どうした?」
仙蔵は静かにあたしの言葉を待っている。
煩い心臓を押え付けるみたいに、胸を拳で抑えて、あたしは改めて仙蔵を見詰めた。
「あのさ、あたしこんなんで…全然可愛くないし、ガサツだし、お淑やかになんてできっこないから、好きになってもらう要素全然ないけど…好きでいることだけは、諦めなくてもいいかな…?」
仙蔵は綺麗な目を瞬かせて、は?と言葉を零した。
口からまろび出た言葉の代わりに唾を飲み込んで、あたしは地面を蹴って穴から抜け出した。
「ごめん!仙蔵、大丈夫…?」
手を伸ばして仙蔵の腕を掴む。仙蔵の協力もあって穴から漸く出た所で、あたしは仙蔵に一礼してからくのたま長屋に向けて一目散に駆け出した。
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待て、という言葉が口から出るよりも先に走って行った彼女の背中に溜息を吐く。
「答えくらい、聞いてから行けばいいものを」
真っ直ぐに陽に向って咲く立葵にも似た姿だなと思った。
話すようになったのはごく最近になってからだ。
山賊に襲われた子供を庇う彼女を、たまたま通りがかった仙蔵が助けた。それから少しずつ会話するようになった、それだけだ。
同室から時折話は聞いていた。女であるのが勿体ない程に鍛錬の話が合うのだと文次郎は言っていた。
「…何が勿体無いものか」
少し見上げる位置にある視線が悪いとは思わない。華奢でない体躯が嫌だとは思わない。
現に先程引き上げて貰った時も、下手をすれば彼女もまた落ちてしまうのではと思った程だ。
「ふむ」
まずは文次郎に話を聞いてみるのが先かと仙蔵は自分たちが落ちていた穴を見て頷いた。
「喜八郎」
「はぁい、お呼びですか?」
奥にいた穴から顔を出した後輩に、仙蔵は笑みを向けた。
「ひとつ掘って貰いたい穴があるんだが」
**
「えっ、仙蔵に告白したの?!」
図書室で話すのはまずいと外の縁側であずみにこっそり告げた言葉に、あずみは可愛い目をもっとまん丸に見開いた。
「告白というか…返事は聞いてないし…あたしが一方的に好きでいても良いかって話しただけで…」
この学舎の外の世界の過酷さは知っている。だからあたしは、この忍術学園に入ってからずっと戸部先生に剣術を習ってきた。
戦闘の時の精神力は色々と鍛えてもらったけれど、恋愛となればからっきし。神様仏様に救って頂きたい気持ちになる。
忍者の三禁というなら、多分あたしは色に一番弱いんだと思う。
「文次郎が最近仙蔵がピリピリしてたって言ってたんだけど…もしかして、由々…仙蔵を避けてる?」
「だっ!そっ!あんな…恥ずかしいこと言っちゃったし、合わせる顔がなくて」
だって、それは、と言いたかったのに上手く言葉にならなくて、大きな溜息を吐いた。
「でも、言っちゃうんだから凄いよ。由々は」
「あの時は、ちゃんと聞いた方がいいって思っちゃったんだ…はぁあほんと…何であんな恥ずかしいこと言っちゃったんだろ」
顔を覆って目を閉じるとあの仙蔵の驚いた顔が浮かんできてまた顔に熱が上ってくる。
「あ、あたし、走り込みしてくるね!」
「うん、当番お疲れ様」
級友ににこやかに見送られて、軽く準備運動をする。今日は仙蔵は実習でいないと聞いたからうっかり顔を合わせることも無いはずだ。
よし、と意気込んで足を前へと動かした。
「いつものコースに落とし穴が…」
頭を真っ白にして走っていたせいで、落とし穴に気付かなかったと言ったら色んな人に笑われるかもしれない。喜八郎の掘った穴に落ちるのは直近では二回目だ。
ぼんやりと流れていく雲を見上げて心を無にする。
精神統一は大事だと戸部先生も仰っていたのになあ。
「大丈夫か?」
ひょっこりと空との間に覗いた顔に、思わず背筋が伸びた。
「せ、仙蔵?!実習なんじゃ…」
「そんな噂を流しでもしないとお前は逃げ続けるだろう」
伸ばされた綺麗な手を取ると、ぐんと勢いよく引き上げられた。
「あ、ありがと」
「うん、どういたしまして」
とびきり綺麗な笑顔を向けられて、あたしは思わず顔を背けた。
「由々、私を好いても良いかと聞いたな」
「…うん、迷惑はかけないからさ…いやもう色々掛けちゃってるんだけど…ほんとあたし格好つかないよね」
小さい頃から勢いだけの猪だと言われ続けて、学園で色々学んで、人が走るのは前だけではないと教わった筈なのに。いざって時には視野が狭くなってしまう。
「お前が格好をつけてどうする。お前が好いていてくれるなら私が格好付けるべきだろう」
呆れたような、それでいて諭すような優しい声に、思わず顔を上げた。
「…いいの?」
「そもそも、好いて居ていいのかと聞くのはお前くらいだぞ由々。もっとこう、恋仲になるとかあるだろう」
「流石にそれはちょっと高望みすぎじゃない?!」
思わず声を荒らげたあたしを見て仙蔵はぱちりと瞬くと、お腹を抱えて笑った。
「あっはっは!高望みか!由々、私もお前と同じ人間だ。神や仏ならまだしも、少なくともこの学舎にいる間は同じ生徒という立場だろう」
確かに、それはそうだ。そうだけれど、やっぱりあたしには高望みなんだ。
「でも、やっぱり恋仲は高望みだよ。色事は苦手だし…ひたむきに想うだけの方があたしには丁度いいよ」
恋仲と言えば返してもらう愛情があるということ。あたしの色事に慣れない心臓は絶対にそんなのに耐えられっこない。
「なら、私からの返事を楽しみにしておくことだな」
「……へ?」
仙蔵は意地の悪い笑みを浮かべて、機嫌良さそうに校舎の方へと向かっていった。
何となく薄寒い予感がするのをそのままに、あたしは一先ず走り込みを再開することにした。
穏やかな日常