長屋のどこかに雨漏りがする部屋があるらしい。
それは晴天の日でもひたひたと窓際の隅から水が漏る。
たまたまその部屋の前を通り掛かった忍たまが、雨漏りを見付けて用具委員を呼びに行った。
用具委員を連れて戻るとその部屋の位置を終ぞ見付けられなかったらしい。
「それは、困りましたね」
色んな忍たまやくのたまから話を聞いたゆやは早速半助にその事を伝えたが、教員の力を借りても見付けられず、結局見間違いという事でその一件は幕を閉じ掛けようとしていた。

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「忍たまの長屋に」
勘右衛門からその話を聞いた海はこてんとその首を傾げた。
「くのたま長屋にはそんな話ないの?」
海がちらりと盗み見た先にいるのは、好奇心旺盛な級友の望だ。
「ちょっと図書室でそういう噂の類の本がないか探してみる」
「望ちゃん、僕も手伝うよ。丁度この間松千代先生が新しい本をお買いになったばかりだからね」
食堂の一角に勘右衛門、雷蔵。その向かいには海、望、麻子が座っている。
麻子はお茶を啜って、ふと思い付いたように口を開けた。
「そんなに雨漏りしてるならかなり傷んでそうだけど」
「そこまで酷い雨漏りじゃなかったのかなあ」
海の言葉に皆一様に首を捻ったので、何が悪いことを言ったのかとおろおろと勘右衛門に目線を投げた。
「あっあの」
「確かに、それなら見間違いで済んでも仕方ないか」
雷蔵の声に皆が頷く。海はそっと胸を撫で下ろしてから立ち上がった。
「今日掃除の当番だから、いってくるね」
「うん、いってらっしゃい」
勘右衛門の笑顔に見送られてくノ一教室の掃除をしていると、見慣れた黒がひょっこりと顔を覗かせた。
「やあ、海」
「辰弥さん、今日も授業ですか?」
「うん。海は掃除?偉いね」
神出鬼没のこの人なら、雨漏りの噂も知っているかもしれない。そんな気持ちで海は先程勘右衛門から聞いたばかりの話を辰弥に伝えた。
「…その部屋、誰も中には入ってないんだよね?」
「多分そうみたいです」
「そう。ならもし、また同じような部屋を見掛けたら、誰も中には入らないようにしてその場を離れるように皆に伝えておいてね」
綺麗な笑みと同時にそんな事を告げられて、海はこくりと頷いたのだった。

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「そ、それって怖い話じゃないよね…?」
望から話を聞いたあずみが背筋を震わせたのを見て、由々は肩を竦めた。
「見間違いの話でしょ?雨漏りしてたら隣の部屋もただじゃ済まないよ」
今日の当番らしい図書委員の二人の先輩がそんな会話を繰り広げているのを横目に望は本の頁を捲る手を止めた。
「それだ…」
「へ…?望ちゃん…?」
「それですよあずみ先輩!怪談の可能性です!」
「え、ええええ?!」
背筋を伸ばして震えさせるあずみの手を取った望は、こうしてはいられないと本棚の間を覗き込んだ。
「雷蔵、忍たま長屋にいこう」
「えっ、待って、望ちゃん?!」
意気揚々と出ていった二人の後輩に、かくかくと由々に顔を向けたあずみは、からくりのように口を開いた。
「ここここ怖い話じゃないよね?」
「うーん…まあ、何かあってもあずみは守るから、安心して」
先程の二人の様子からもどう答えたものか判断しかねた由々は、苦笑いを浮かべながら級友を元気付けた。

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「で、実際にその雨漏りを見たって生徒は?」
「…さあ?」
麻子の素っ気ない返事に、三郎はがくりと肩を落とした。
「何なんだそれは」
「調べてもいないから、見間違いで終わったんじゃない?」
罠用のからくりの調整をする麻子を見ながら、うーんと変装相手の雷蔵のように三郎は首を捻った。
「それ、本当に雨漏りか?」
「どういうこと?」
手を止めた麻子が三郎の方を見る。
「いや…うん、まあいい。勘右衛門が出処なら既に知れているかもしれないが、念の為さなぎ先輩に知らせておこう」
学級委員長委員会を取り締まる女傑の姿を思い浮かべて、麻子は立ち上がった。
「鉢屋くんひとりでいくの?」
「うん?麻子も来てくれるのか?」
麻子が首を振る。先程から、少し様子が可笑しい。
「心配しなくとも私は大丈夫だ。麻子も例の部屋を見つけたらすぐに私に知らせてくれ」
頭を撫でると、麻子は俯いた。
「鉢屋くんも、絶対無理しないで」
この噂に何やら良くない気配を感じているのだろう。背筋が薄ら寒くなるのは事実だ。
「ああ、心得た」
三郎に何かあれば麻子はただでは済まないだろう。そんな意味でも抜けなくなるまで首を突っ込む訳にはいかない。一先ず麻子に手を振って、三郎はさなぎがいつも執務室として使っている委員会の部屋へと足を向けた。

「あー例の噂な」
ひらひらと書類に向かってこちらに見向きもしないまま手を振ったさなぎに、三郎は首を傾げた。
「ご存知で?」
「あったり前だろ。噂が出始めてから『見た』っていう生徒と『用具委員』ってのを当たってんだけど、誰も彼も知らないってんだよ」
忍たまならば数多く存在するが、用具委員となれば数は絞られてくる。同行した用具委員もいないのに一人歩きするこの噂には、どうしても薄気味悪さを感じてしまう。
「…誰かのイタズラですか?」
「それにしちゃタチが悪い。場所も固有名詞も具体的すぎる。あるいは」
背を向けていたさなぎがようやく振り返って三郎を見た。
「既に食われた可能性もあるな」

**

「はぁー」
忍たま長屋からとぼとぼと帰ってきた望は深く溜息を零した。結局何一つ成果は得られず、噂の話を知る人がちらほらという程度だった。
やはり誰かの悪戯かもしれないと肩を落としていると、ぱたぱたと前から走ってくるくのたまに顔を明るくした。
「あざなちゃん」
「あ!望先輩、こんにちは」
ぺこんと頭を下げたあざなに望は首を傾げた。
「何か急ぎの用事?」
「それが、雨漏りしてるという声が聞こえて」
はた、と動きを止めた。ここはくのたま長屋だ。忍たま長屋とは対極の位置にある。
「それ、何処から?」
「こっちです」
あざなに連れられて声のしたという方に向かうと、あざなはその顔をどんどん青くした。
「…あれ?」
その先は長屋の向こう。山の方からしたという。
「本当にこっちの方から声がしたんだね?」
「あの、私、部屋にいて…本を読んでいて…大変!雨漏り!って声が聞こえて…慌てて先生を呼ぼうと」
気の所為かもしれないと自分にも言い聞かせようとしている幼い姿に、望はしゃがみ込んでその顔を覗き込んだ。
「大丈夫、嘘だとは思ってないよ。もしかすると、長屋の最後の部屋かもしれないし」
長屋の隅の部屋は忍たま長屋もくのたま長屋も空き部屋になっている。日が暮れるまでは開きっぱなしのその部屋の中を覗き込んでも、雨漏りらしきは見当たなかった。
「今日はお天気なのに、雨なんて変ですよね」
あざなは気のせいだと言うことにしたいようだ。小さく震えるその体を安心させようと頭を撫でて、何かあればいつでも声をかけるようにとあざなに伝えた。

**

「だから予算が足りねえんだって言ってんだろ!」
「工面すりゃどうとでもなるだろうが?!」
ぎゃいぎゃいと校舎の隅で姦しい二人組に、仙蔵は肩を落とした。
「おい、留三郎」
「ああ?!止めてくれるなよ仙蔵」
「違う。さなぎが呼んでいる」
「あ?なんでアイツが留三郎を?」
同室の男は近頃この学園内に現れた噂を知らないらしい。鍛錬ばかりにかまけているからこうなるのだと息を吐くと、文次郎の眉尻が下がった。
「なんだよ」
「何回聞かれたって同じだ。忍たま長屋には何回も点検にあがったが雨漏りしている場所はなかった」
留三郎の呆れ混じりの溜息は本当に徒労を重ねたからなのだろう。
「はァ?」
眉を上げた文次郎に、仙蔵は溜息を零した。
「文次郎、忍者を目指すなら周りで流れている噂くらいは、いくらくだらなくとも把握しておけ」
はん、と鼻を鳴らした文次郎は忍たま長屋の方へと視線を投げた。
「雨漏りした部屋があるとかっていう悪戯の話なら聞いているが」
「てめえも悪戯だと思ってんじゃねーか!」
散々バカにされたのか噛み付いた留三郎に、仙蔵は溜息を零した。
「今回は忍たま長屋の話ではないぞ」
「は?どこだってんだよ」
文次郎が目を丸くする。
「兎に角、留三郎は急いで行ってこい」
「お、おう!」
走り去って行った背中を見送って、文次郎は眉を寄せた。
「仙蔵、聞いてるんだろ」
「ああ。次はくのたま長屋で起こったらしい」
同じ山を背後に対極の位置にある忍たま長屋とくのたま長屋。
その双方で同じ雨漏りをする、架空の部屋が存在するという。
「なんともきな臭い話だな」
「ああ。何事も無ければいいが」
仙蔵の切実な声音に、文次郎はくのたま長屋の方へと視線を投げた。

**

「雨漏りしたら修理が必要でしょうよ」
「まあ、確かにそうなんだけど」
縁側でおやつを頬張るツバメの顔を覗き込んで、兵助は苦笑いを浮かべた。
「先輩方が忙しくされている。俺達もなにか手伝えるかもしれない」
「な…謎現象と戦うのか…?」
有り得ないと言わんばかりの表情のツバメに、兵助は思わず笑った。
「戦うのは大袈裟じゃないか?」
「いや、うん、…あー…望サンが…楽しそうで…」
彼女の疑念は級友から来ているらしいことを知って、兵助は柔らかく笑った。
「大丈夫だ、先生方も動いていらっしゃるから俺達は俺達に出来ることをするだけだよ」
「なるほどな!ならば私は今のうちにお菓子を溜め込んでおかねば!」
しゃっきりと背筋を伸ばして立ち上がったツバメの後を追う。確かにここの所少し長屋周辺の空気が良くない。
皆の無事を切に願いながら、兵助は日の沈み掛けた空を見上げた。

**

「そもそも人数が合わねえ」
「誰か消えたってことか?」
さなぎの言葉に留三郎が首を捻る。
「上級生が居なくなるのは今に始まったことじゃねえだろうが」
「だが、最近は聞いていないぞ」
だから困っているんだと言わんばかりに頬杖を着いたさなぎの元に、新たな来訪者が現れた。
「…とりあえず寝かしつけてきた」
くのたま長屋の雨漏り騒動でパニックに陥ったあざなを落ち着かせていた長次が報告にと部屋の中へと入ってきた。
「さなぎ先輩、やっぱり現場をもう少し見てきても良いですか?」
「速んなよ尾浜。用具委員会委員長が見付けられなかったもんが見付かると思うか?」
留三郎は修繕や修補の言わばプロフェッショナルだ。それを気にする様子もなく、留三郎は腕を組んで唸った。
「しかし、あまり噂が蔓延してもよくないんじゃないか?」
「…あ、あの…」
勘右衛門はよく知った姿に思わず口を開いた。
「海…?」
「さっき辰弥さんと、お喋りをして…」
その名に勘右衛門の表情が僅かに曇ったが、さなぎに続きを促されてぽつぽつと会話の内容を話し始めた。
「中に入るな、か」
「暗号なようなものか?」
「……いや」
長次はなにか思い当たる節があったらしい。あざなの様子を見てくると立ち去った後ろ姿に、さなぎは深い溜息を零した。
「魔除の札でも貼るか?」
「…それで思い出したんだが」
留三郎が考え込むように手を口で覆った。
「点検をしている時に、長屋の隅の軒下に御札が貼られてあった。かなり古びていて剥がれかけていたので貼り直しはしたんだが、恐らく雨やら風やらで劣化が激しくてな」
札一つでこの騒動が収まるのであれば安いものだ。札は金楽寺の和尚に準備をしてもらうとして、学級委員長委員会の予算で文次郎を捩じ伏せてお布施でもするか等とさなぎが考えていると、開けたままの戸の外から人影が差し込んできた。
「御札ならここに。貼り直すなら手伝おうか?」

**

誰そ彼。
相手の顔が見えないからこそ此岸と彼岸が曖昧になるとされる時間帯。
「ね、雷蔵」
恋人に呼ばれて駆け寄った雷蔵は、その先に雨漏りした部屋を見た。
くのたま長屋の隅の部屋。明るい時には気付かなかった、けれど気付かなければ可笑しいほどに天井から壁にかけて流れ出る水が、部屋の一角に川を描いているかのようだった。
「もう少し近くで見てみよう」
望が部屋の敷居を跨ぐ手前で後ろから手を引かれて立ち止まる。
「駄目だよ」
「利吉さん?!」
思わず声を上げた雷蔵に、望がゆるりと振り返った。
「やあ。乱暴にして悪かったね。雷蔵くん、一先ず望ちゃんを連れて離れてくれるかい?」
こくりと頷いた雷蔵が望を連れて足早に去って行く。
「御札、よろしく頼むよ」
「はい!」
勢いよく返事をした六年生達を見て、利吉は息を吐いて微笑んだ。

「で、結局なんだったんだ?」
「さあ?」
食堂で首を捻る五年生一同にゆやがお茶を配った。
「皆無事で何よりです」
「ゆやさん、ありがとうございます」
一礼して厨房の方へと戻って行ったゆやを見送って、三郎は身を乗り出した。
「結局、その怪異をみたのは雷蔵だけなんだろ?」
「うーん、まあ…」
望と居合わせた雷蔵に皆顔を寄せる。
「俺はそういうのなんか無理なんだよな…毒虫の方が余っ程可愛いし」
「八左ヱ門、幽霊をこわがってちゃ忍者にはなれないぞ」
「怖がってる訳じゃないって、なんていうか、こう…背筋が震える感じ?」
兵助と八左ヱ門のやり取りに勘右衛門は肩を竦めた。
「それ、怖いのとどう違うのさ」
笑い声が零れる中、何やら未だに悩んでいる雷蔵に、三郎は首を傾げた。
「雷蔵?どうかしたのか?」
「うーん、いや、あの日のあの部屋のこと、望ちゃんは何が見えたとは言わなかったんだ。近くで見ようとして、利吉さんに止められて」
当時の話をすると探究心に釘を刺された望が不貞腐れるので話題には出せないという。
「噂では雨漏り、っていうから水だったんだと思うんだけど」
「雷蔵は何が見えたんだ?」
兵助が座り直して雷蔵と距離を詰めた。
「僕にはどうしてもあれが」

「沢山の、人の顔に見えたんだ」

穏やかな日常