「分かったよ、一日だけ付き合ってあげる。ただし」
青天の霹靂。執拗いと言われる程に恋仲になって欲しいと懇願したところ、ようやく許しが出て、思わず目を見開いた。何故一日なのだと問いたい所だが、彼なりの最大限の譲歩なのだと、すぐに察することができた。
「私に攻撃を一撃でも掠めることができたらね」

忍術学園の職員室で肩を落とす利吉に半助は苦笑いを浮かべた。
「辰弥さんに攻撃を、かあ」
「で、勝算はあるのか?」
父、伝蔵に問われて思わず睨み返す。
「それが無いからこうして相談に来てるんです」
やれやれ、と伝蔵が肩を落とすのを後目に半助に向き直る。
「お兄ちゃんと辰弥さんならどちらが強いのかなぁと」
半助は腕を組んで首を傾げた。
「前に打ち合った感じだと五分…持久戦となると分からないけれど、力で押すならなんとか勝てるという所かな」
「なんだ半助情けない。そこは勝てると言わんか」
呆れたように溜息を吐いた伝蔵が口を挟む。
「あはは…あの人は力を受け流すのがとても上手い。俊敏さで言うならあちらの方が上ですよ」
「お前は戦ったことないのか」
痛いところを突かれて眉を寄せる。
「打ち合うことも無く討ち取られましたよ」
「ふうむ…」
伝蔵が顎に手を当てて唸った。
「父上は、勝てるんで?」
「儂を誰だと思っとる。しかし、今回あちらは逃げの一手だろう。火縄でも使わん限りは」
ぽん、と手を打った利吉に半助が身を乗り出す。
「あ、危ないですよ!」
「なあに、アイツなら上手く避けるだろう」
「山田先生!」
彼の人を労わって嘆く半助に利吉は肩を竦めて見せた。
「火縄は得意ですから、牽制程度にしか使いませんよ」
半助の眉尻が下がったのと同時に、煙が部屋の中に立ち込めた。
「いい事を思いついた!」
「学園長先生?!」
伝蔵と半助が目を丸くする。
「辰弥を一日なんでも付き合わせる為に忍たまも呼んで競技大会を開催する!」
「ま、待ってください学園長先生!」
前に出る利吉を意にも介さず、渦正はにやりと笑った。
「六年生が辰弥と手合わせしたいと言うておったからのう、お前さんも出るとなると皆張合いも出るじゃろう」
「し、しかし…!」
これは折角掴んだチャンスでもある。みすみす他人に奪われて棒に振りたくはない。
「これは学園長命令である!」
「そ、そんな…」
がくりと頭を垂れた利吉の肩に半助の同情の手が乗った。

「攻撃を掠めれば一日好きにしていいとは言ったけど団体で来られると私が不利じゃないですか」
学園長の庵。大々的に発表された競技大会もとい、辰弥に一撃当てれば何でも一日言うことを聞く権利を巡った大会に辰弥は思わず顬を抑えた。
「その代わり参加人数を絞っておる」
「学園外へでるのは?」
「無論ダメじゃ。演習場から運動場までというところかのう」
この際深い溜息も致し方ないだろう。恋仲を迫る青年に出した条件がこんな大事になるとは思ってもみなかったからだ。
「因みに参加メンバーは?」
「六年い組潮江文次郎、六年ろ組七松小平太、中在家長次、六年は組食満留三郎、そして山田利吉の五名じゃ」
その人数なら撒けなくもない数だが、避け続けるというのも中々骨だ。
「昼餉から夕刻までと言うなら長屋を除く学園全体にして貰えませんか?休息も欲しい」
「良かろう」
こくんと頷く渦正に、せめてもう一つ条件は無いかと思考を巡らせる。
「あと私の手伝いをつけても?選抜はこちらでしますので」
「許可する!」
二つ返事の渦正に気を良くして手を付いて頭を下げた。
「では明日、よろしくお願いいたします」
「うむ!」
学園長の庵を後にして誰を巻き込もうか思慮を巡らせる。こちらが逃げ切れば食堂のタダ券を二ヶ月分という破格の対応だ。
学園にくる頻度はまちまちであるし、折角なら忍たまに手伝ってもらうのがいいかもしれない。くのたまを忍たまの六年生に追いかけ回させるのはかなり酷だろう。
そうと決まれば浮かれ足で忍たま長屋へと向かう。撹乱を任せるのであれば彼ら程の適任はいない。
彼らに自分の取り分は不要だからとタダ券の山分けを提案すれば、渋々ながら請け負ってくれた。追加で甘味も用意すると約束してその日はそのまま明日の作戦を伝え、解散となった。

**

運動場に五人の人影が並ぶ。
十尺ほど置いて、また一人。
ギャラリーはかなりの数で運動場の端、もしくは校舎の中から運動場を見ている。
その少しばかり気を張った雰囲気に利吉は思わず苦笑いを浮かべた。手甲の具合を見ている辰弥はなんでもない顔をして此方と対峙している。
どうしてこんな事に、と嘆いても後の祭りだ。あの気紛れなお人が次いつこのような機会を設けてくれるかも分からないのに、忍たまには負けていられない。
かくいう武闘派の六年生達も皆やる気に満ちていた。半助と辰弥の打ち合いをしたのは知らなかったが、それが彼らにも火を付けたらしい。
学園長がルールの説明を始める。範囲は長屋を除く学園全域、辰弥に触れるもしくは武器を掠めればそこで終了、時刻は日が落ちるまで。
持久力があまりない彼の息切れを狙うつもりだったがそれも厳しそうだ。どうにかしてでも勝たなければ。
開始のゴングと共に辰弥が地を蹴ろうとする。予想の範囲内だと火縄の銃口を空に向けた。
辰弥の眉が寄る。長次の縄鏢を避けて辰弥が校舎の影に入った。
「逃がすかっ!」
小平太が先駆けて校舎の方へと走る。しかし既にそこに彼の影は無かった。
「何処だ…?!」
文次郎が眉を寄せた先に、勘右衛門が歩いていた。
「勘右衛門!辰弥さんはどっちに行った?」
留三郎がすかさず問いかけると、驚いたような表情で勘右衛門は食堂の方を指さした。
「あちらに行かれました!」
「よぉし!いけいけどんどーん!」
「あっ、待て小平太!」
「もそ」
「お前ら、勝負だ!」
ドタドタと走り去って行った六年生の背中を見送って、勘右衛門に向き直る。
「辰弥さんはどちらに?」
「利吉さん、さっき伝えたじゃないですか」
笑顔を向ける彼の嘘を見抜けない程プロは甘くない。
「海ちゃんとオススメのデートスポット、知りたくないかな?」
「…あっちです」
渋々指された方向は演習場だ。彼が勘右衛門を買収したとなると六年生に追われているのは鉢屋三郎かもしれない。
「なるほど」
単純な武力戦に見えて情報戦に持ち込むのは彼らしい。とはいえ、気配を本気で消した彼に辿り着くのか。兎にも角にも急いで演習場への道を走った。
「ここは通せません!」
思わぬ相手に道を閉ざされて目を剥いた。
「きり丸…に乱太郎としんベヱ」
「利吉さんこんにちは」
「僕たち、ここの門番なんです!」
良い子たちの挨拶が骨身に染みる。それ所ではないと言うのに体の力が抜けるようだ。
「で、君達は何故ここに?」
「きり丸としんベヱが辰弥さんに買収されて、私はその付き添いで」
学園長がこうして催し物として始めたのであれば、彼にも何かしらの報酬が用意されているのだろう。彼の事だ、逃げ切った報酬を配る代わりに手伝いを増やしたというところか。
「で、辰弥さんはこちらに?」
「辰弥さんこっちにきましもがが」
「しんベヱ!喋ったら俺らなんも貰えねえからな!」
もう殆ど話してしまったようなものだが、演習場に居ると分かっただけでも僥倖だ。
「で、どうしたら通してくれるのかな?」
利吉の問いかけに、三人はヒソヒソと話をし始める。
「どうする?」
「どうするっつっても、俺らじゃ利吉さんには適わねぇし」
「お願いされたの、時間稼ぎって言ってたし」
丸聞こえなのは良い子達のお約束だが、生憎とこちらは想い人の一日所有権が掛かっている。悠長にはしていられない。
「そこまで言うなら本気で行かせてもらおうかな…っ!」
地を蹴って三人の頭上を一気に飛び越える。演習場は袋小路だ。上手く行けば追い詰められる。
良い子達の惜しむ声を背中で受けて、演習場の奥へと走る。
「あれ、利吉さん!」
その先で手を振る人物に思わず顔が引き攣った。
「小松田君…と竹谷君?」
「この辺りで侵入者があったらしくて小松田さんと調べていたんです」
これも彼の策だと言うのであれば中々のものだ。足止めをする目的であればもってこいの人材だろう。
「あれえ?そういえば利吉さん、今日は学園長先生の思い付きで競技に出られるんじゃ」
「今がまさにその競技の真っ最中だっ!」
「ま、まあまあ。その侵入者、どうやらすぐ出ていったみたいなんですが、いつまた入ってくるか解らなくて」
はあ、と息を吐く。どうにも秀作を前にするとペースが乱されがちだ。
「ところで竹谷君、君が辰弥さんに買収された可能性は?」
「えっ、な、何でそれを?!」
利吉相手に隠すのは難しいと判断したのか、八左ヱ門は目を見開いた。
「乱太郎、きり丸、しんベヱが教えてくれた」
「あいつら…」
八左ヱ門が頭を抱える。無理もない。とはいえ此処に彼の姿はなさそうだ。
「辰弥さんはこちらには?」
「来てませんけど、辰弥さんをお探しなんですか?」
どうやら秀作は今回の学園長先生の思い付きの話をよく聞いていないらしい。八左ヱ門がマズいと言わんばかりの顔をしているのが秀作の言葉を裏付けている。
「うん、助かったよ二人とも。ありがとう」
手を振って踵を返す。運動場に続く通路の途中で、三人組は相変わらずお喋りに勤しんでいた。
「あ、利吉さんおかえりなさーい」
「辰弥さんは通らなかった?」
「通ってませんけど」
しんベヱが何を言っているか分からないと言わんばかりに首を傾げている。
「通行料くださぁい」
「きりちゃん、ここは学園の敷地でしょ」
そんなやり取りも今はゆっくり聞いては居られない。
「終わったらまた話そう、後でね」
脇を抜けて走る。日がもう傾き始めてしまっている。予想以上に時間を食ってしまった。
「どこに居るんですか…っ」
ボヤいても気配は掴めない。一先ず仕切り直そうと運動場へと向かった。

**

「うわっ、文次郎?!」
角で出会ったさなぎの引き攣った顔に悪かったなと頭を搔く。
勘右衛門からこっちに辰弥が逃げたと聞いて来たものの、一向にその姿も気配も掴めない。
「いたぞ!」
小平太の言葉に留三郎の動く気配がする。黒い装束に目を張ると、建物の陰へと入っていった。
「こっちだ!」
上手く撹乱されているがどうにも妙だ。まるで鬼ごっこでもしているような、掌で遊ばれているような、そんな感覚がする。
あの人ならば有り得ることかもしれないが、どうにも今回のこの競技やりにくさが拭えない。
「小平太、長次、留三郎」
この際個人戦だと言ってられない。尻尾を掴むのであればプロ忍者相手なら協力が必要だ。
「ここの影を追い詰めるまで手を組まないか」
「孤軍奮闘しても相手はプロだからな」
渋々と言わんばかりに最難関である留三郎が頷いた。
「私が上から動きを確認しよう」
「もそ…なら私は、合図を」
小平太が素早く建屋の屋根に登る。利吉が着いてきて居ないのが気にかかるが、この辺りで影を見掛ける以上それを放っては置けない。
「居たぞ!西の方向だ」
「っしゃ!任せろ…っ!」
留三郎の鉄双節棍が地面を抉る。飛び上がった影の足首に長次の縄鏢が掛かった。
「良し…!」
その影が引きずり降ろされた瞬間、鳥の子が転がりでた。
「は…?」
煙が消える頃には、縄鏢の先はもぬけの殻だった。
「いや待てよ!掠めたらいいんじゃなかったのか?!」
「すみませんねえ先輩方」
黒い装束が目の前に躍り出る。
「鉢屋三郎…!」
「ご名答!」
得意げな三郎に各々息を吐く。
「つまり三郎を捕まえればいいんだな!」
「いやちょっと待ってください七松先輩趣旨が違いますから」
三郎に躙り寄る小平太を後目に長次が文次郎と留三郎の動きを制した。
「確かに、あの鳥の子は三郎が投げたものじゃなかった」
「なんだぁ?妙な気配が多いな…二つ、いや三つか」
焙烙火矢が投げて寄越される。三郎が放ったものではない。
「まて、これは…!」
焙烙火矢に見せ掛けた鳥の子。いつぞやに仙蔵が使っていたものだ。周囲が再び煙に包まれる。この競技、思ったよりも単純なものではないらしい。
「…まあ、プロ忍者の一日を割いて下さるんだからな」
留三郎のボヤきに、立候補したものの想像以上に厄介な相手をしたのかもしれないと溜息を零した。

**

「雷蔵助かった!」
食堂を抜けて校舎裏で陽動班の面々と落ち合うと、雷蔵が苦笑いを浮かべた。
「喋ってよかったの?」
「どちらにせよあの場面ではバレていた。三郎、後でもう一度変装を」
兵助が物陰から煙幕の方を伺う。さすがの先輩方もあの煙の中では下手に動けないらしい。
「折角なら麻子の罠場で遊んでもらった方がいいんじゃないか?」
「ほら、長屋の方は範囲外だし…」
物音を聞き付けてか気配が此方に向かってくる。
息を止めて気配を消すと逆方向から新しい気配が悠々と歩いてきた。
「尾浜勘右衛門」
声の主は小平太だ。全容を掴むべく六年はまた散り散りになっているらしい。
「本当にこっちに辰弥さんが来たのか」
「間違いないです。姿を見かけたので」
小平太の尋問に笑顔を返す勘右衛門に見ている五年生は冷や汗を流す。
「御堂の方に影を見つけました!」
勘右衛門の助け舟にと兵助が小平太の前に躍り出た。
「よし、見に行くぞ!」
他の六年に合図のようなものを出して走り去った小平太に皆息を吐いた。
「勘右衛門…」
「ごめんごめん。利吉さんはやっぱ騙せなかった」
頬を搔く勘右衛門に雷蔵は顎に手を添えた。
「望ちゃんとたまに話すんだ。利吉さん、辰弥さんの事となるとかなり一生懸命だから」
「食えないあの人相手じゃ苦労しそうだもんなー」
三郎の軽口に兵助が首を傾げた。
「確かに今回の策は辰弥さんが練ったからか先輩方が陽動に乗せられている」
「俺は何となく苦手だけどね」
勘右衛門の苦笑いに、三郎と雷蔵は顔を合わせた。
「勘右衛門も苦手があるんだ」
「俺をなんだと思ってるんだよ」
「しっ、そろそろ出よう。先輩達は俺達全員が対処に当たってることを知らない。雷蔵は引き続き姿を隠して、あとは三郎頼んだ」
兵助の言葉に改めて変装の微調整を終わらせた三郎がにやりと笑った。
「心得た」

**

「いいんですか?辰弥さん」
庄左ヱ門の問いかけに肩を竦める。
「一年は組の良い子達が手伝ってくれて助かったよ」
「まあ実際外にいるのは乱太郎、きり丸、しんベヱだけですけどね」
団蔵が頭の後ろで腕を組んで笑っている。学園の見取り図を見ながら、状況を整理しようと座り直した。
「ちなみに、どうやって先輩達を騙したんですか?」
金吾が興味津々に地図を覗き込んできた。
「私のやることは日没まで姿を晦ましておくこと。でもそれじゃあ折角の競技が台無しでしょう?」
折角範囲を学園内として貰ったのだ。建物の中も有効に使わなければ。
元より、校舎の影に潜んで演習場の方へ向かう算段だった。その情報を撹乱させる為に第一目撃者としての勘右衛門を置く。
偽りである食堂の方は建物が密集していて見通しが悪い。そこに変装した三郎が。万が一、三郎が捕まっても援護出来るように兵助と雷蔵を置いた。
こっちの罠は元々六年生用で利吉に通じると思っていない。なので乱太郎、きり丸、しんベヱに演習場の方へ向かう姿を見せた。
演習場の奥には鬼城の忍者を使って侵入者を作る。飛んできた秀作を繋ぎ止める役として八左ヱ門を。
あとは演習場の入口付近で利吉が来るのを待ち、三人組に分からないよう気配を消して出てきてからこの一年は組の教室に潜り込んだという訳だ。
体力の温存は十二分に出来たが、そろそろ此方の目的に利吉も六年生も気付く頃合だろう。
「つまり最初から辰弥さんは逃げ回るつもりは無かったってこと?」
伊助の言葉に頷いてはにかむ。
「体力が持たないからね」
「確かに、六年生の先輩と利吉さんに追い回されるのはキツイかも」
「虎若がキツイんなら僕らは皆無理だよ」
兵太夫に皆同意するように一様に頷いた。
「はにゃ〜!利吉さん、運動場にもどってきちゃった!」
喜三太の報告に立ち上がる。日没も近い。
「ほら、良い子達は、寝る準備をして早めに休むんだよ」
「辰弥さんはどうするんですか?」
三治郎が首を傾げて問う。
「最後くらいはちゃんと相手してあげなくちゃね」

**

散々走り回らされてたどり着いたのは、最初に向かった演習場だった。
「お疲れ様」
夕陽の赤に照らされて、その中央で嫋やかに微笑む人。
「最初から情報を撹乱させる作戦だった、と」
「当たり前だよ。皆の頑張りが掛かってるんだから」
自分の為にここまでする人ではない。だからこそこの手の行事に一年生や五年生を巻き込むとは思わなかった。
「六年生は?」
「まだ食堂の辺りを彷徨いてるんじゃないかな、勘右衛門と八左ヱ門もあちらに合流しているし」
真っ向勝負なら確かに五年生は六年生には敵わない。しかしそれが攻める側と陽動する側となれば話は違ってくるようだ。
「人を見る目がおありのようだ」
手裏剣を打つが全てひらりと躱される。
「こう見えても忍頭なものでね」
クナイを手に懐に潜り込むと同時に日没が来た。
ゴーンと鐘が鳴る。終わりの合図だ。
思わずその場で蹲って長い息を吐いた。
「お疲れ様」
ぽん、と頭に手を乗せられて相手を睨み上げた。
「一対一なら、もう少しちゃんと取り合ってくれましたか?」
はあ、と短い溜息が聞こえて顔を上げる。
「頑張ったご褒美に明日は空けてあるよ」
顔を上げてぱちり、と大きく瞬いた。ずっと逃げて来た彼が本当に?と疑問符ばかり湧いてくる。
「何その顔は。一日戦術の話でもするかい?」
「い、いえ!一緒に、出掛けたいです」
くす、と笑みが降ってきて立ち上がる。
「なら買い物に付き合ってもらおうかな」
学園長先生が六年生を連れて演習場に入ってきた。
「この勝負、辰弥の勝ちとする!」
高らかに宣言された言葉に辰弥も胸を撫で下ろしているようだった。
遠くできり丸の笑い声が聞こえる。
散々な一日ではあったが収穫はあった。それが何よりも喜ばしくて彼のくれた言葉を何度も胸の内で反芻した。

**

「はあ、やれやれだ」
競技大会と銘打った学園長先生の思い付きが終わった日の夜、半助は職員室でひとり肩を落とした。
「土井先生、お茶をお持ちしました」
「ああ、ゆやさんどうぞ」
戸を開けてゆやが入って来た。文机に湯呑みが置かれて微笑む。
「ありがとう」
「お昼から随分大変そうでしたね」
ゆやの言葉に頷いて参ったよと肩を竦めた。彼女は片付けや明日の仕込みであのやり取りを目の当たりにしていない筈だ。
「辰弥さんに攻撃を当てるのに火縄を持ち出すと山田先生が仰って」
「火縄ですか…?!」
ゆやが目を見開く。無理もない、半助ですら本気かと問うたほどだ。
「辰弥さんは…ご無事なんですか?」
「利吉君は牽制の為だけに使っていて発砲はしてないよ」
ほ、と彼女が胸を撫で下ろす。幾ら機敏だからといっても心配は心配だろう。
辰弥はゆやの友人として、弟の想い人として、半助にとっても同僚を超えた友人のような仲のいい相手だと思っている。万が一にでも怪我をさせたら後悔の程は計り知れない。
「ちなみに辰弥さんが勝ってらっしゃったなあ」
「流石ですね」
「その合間に一年は組の良い子達に今回の策の全容も教えてくれていたみたいだ」
学園長の思い付きから五年生と乱太郎達を巻き込む事を決めて、授業のような模擬戦に仕立てあげた。手負いの忍を追う際にもし周りに仲間が居ればという限られたケースにはなりはするものの、追っていた六年生にも、陽動した五年生にもいい経験になっただろう。
「あの人、本当に字読めないのかなあ」
思わずボヤいたのは今回策をみる限り兵法について色々と話が出来そうだと感じたからだ。
「半助さん?」
「何でもないよ。しかし本当に皆怪我がなくて良かった」
ゆやの花の綻ぶ表情に胸の内が暖かくなる。
「抱き締めても…?」
「えっ?」
答えを聞くよりも先にゆやを抱き寄せた。
「や、山田先生が戻って来られるのでは…?」
「もう少しだけ、このままで」
耳元で囁いてこの温もりを肌で感じる。疲れが癒えていくと同時に良くない欲望が頭を出す。
「いきなりごめんね。またどこかで二人の時間がゆっくり取れたらいいんだけど」
腕を離して赤くなった頬を手の甲で撫でる。
「ふふ、お忙しいですからね。でも楽しみにしています」
はにかむ笑顔のまま頷いてゆやは立ち上がった。
「それでは私は失礼しますね」
「うん、おやすみ」
「おやすみなさい」
彼女と入れ違いで入ってきた伝蔵に顔を上げる。
「報告お疲れ様です」
「全く、仲がいいのはいいことだが良い子達の前ではやめなさいよ」
「あはは、すみません。疲れが溜まっているみたいでして」
ゆやのお陰で疲れは癒えた。また明日からの授業に気合いを入れようと改めて文机に向かった。

**

「兵助、食券預けて置くね」
「ありがとうございます。何処かお出かけですか?」
一夜明けて翌日、学園長先生から貰った食券を渡すと兵助は不思議そうに辰弥の格好をみた。
「うん。なんと言うか、私の発言で迷惑掛けてしまったからね…久々に女の子するんだけど似合うかな」
「凄く似合ってますよ!」
声を聞いて出てきたのか八左ヱ門に褒められて笑みを返す。
「兵助も八左ヱ門も、昨日はありがとうね」
「いえ、色々勉強になりました」
「気をつけて行ってらっしゃい」
二人に見送られて手を振る。学園の外にでると校門の前に彼の姿があった。
「お待たせ」
「また…久々ですね、女装」
嫌だったかと肩を竦めると、顔を覗き込まれた。
「嬉しいです。さて、行きましょうか」
出された腕を絡めると、浮ついた顔を見上げた。
「今日は君の奢りかな?」
「結局負けたんですからその位はしますよ」
ならば折角なので色々お世話になった五年生と一年は組に土産を買ってもらうことにしよう。
勝手に想い人を借りてしまったくのたまの双華にも詫びの菓子折りが必要かもしれない。
お土産のことをつらつらと考えているとポツリと利吉が零した。
「一日と言わず、一生涯でも私は構いませんからね」
「君ってかなり重いよね」
「あ、今更気付きましたか?」
その笑みに薄ら寒いものを感じて背を震わせる。
「悪いですが、もう逃がしてあげられませんよ」
「捕まえられない癖に?」
うっ、と言葉に詰まる利吉に思わず笑みを零す。泡沫の夢を見ているような錯覚すら覚えてしまう。
「私が奪ったと言うのなら君の心を返してあげられたらいいのにね」
これは本心だ。利吉が辰弥に執心する理由が辰弥が心を奪ったからだと言うのであれば、いつでも返してあげるつもりでいる。
「貴方以外に渡す気はありませんから。そのつもりで持っていて下さい」
「嫌だよ、重たい」
「まあそう言わず」
彼は知らない。何故自分が人と深く関わることを避けるのか。
「君を蝕む悪鬼に大切な物を渡しちゃいけないよ」
彼に何をしたか、彼自身よく覚えているだろうに。
「貴方が何者であっても、私は貴方以外ではもう駄目なんです。だから辰弥さん、貴方もいい加減諦めてください」
これだから二人の想いは平行線なのだ。きっと交わることは無い。これからもきっとずっと。
「ほら、町が見えてきましたよ」
利吉の言葉に顔を上げる。先ずは少し腹ごしらえしよう。
「諦めないからね」
そう告げて、馴染みの町の食事処へと足を向けた。

穏やかな日常