「誓え。お前は一生、俺の傍らに居ろ」
オリフェの目の前に立つ男は、怒ったようにそう言った。そんな事を言った理由は、もちろん存在する。

いつものことだ。オリフェはもう数えきれないほど、付き合ってもいないのに束縛をするこの男、ルシファーの目を盗み出掛けていた。ふらふらと目的もなく散歩するのが好きだった。何も言わずに出ていくなとルシファーに三日前も怒られたばかりだというのに、そんなこともすっかり忘れてオリフェは庭園のガゼボに腰をおろす。肺いっぱいにお花の香りを吸い込んだ。ここはオリフェお気に入りの場所だ。
ルシファーが新しい研究をするにあたって、一緒に連れてこられてから、どこへ行くにも何をするにもルシファーがついてまわる。それは確実に好意なのだが、オリフェとルシファーは鈍感だった。一応、ベリアルやルシフェルは恋なのではないかと伝えたことはある。オリフェは「これが恋なはずないじゃない」と笑い、ルシファーは「はぁ。そんな事を伝える暇があるのか?」と溜め息を付きながら一蹴した。オリフェは絵本のようなものを恋だと思っているので、恋をもっと素敵なものだと思っているし、ルシファーに至ってはこの感情を恋ではなく友情だと思っている。友情にしては行き過ぎている感情なのは言うまでもない。周りから見てルシファーが恋をしているのはわかるが、オリフェの方はわかりにくかった。こうして度々ルシファーの言いつけは破るし、仕方なく一緒にいる感じがするからだ。実際のところは何も考えていないだけなのだが、その態度がルシファーを不安にさせ、苛立たせている原因だった。
 きちんと出掛けてくる、と声をかけてみたこともあるけれど、言ったら言ったで書類を片付けろだの、肩を揉めだの、雑用を言いつけて外には出さない。言っても無駄なのだと悟ったオリフェは、結局何も告げず出るほかなかった。
 と、色々合ったがルシファーだけが悪いわけではない。オリフェには致命的な欠点があった。
「あの花には触るな、と言ったはずだ。ベリアルがお前を見つけなかったら死んでいたんだぞ」
「触ってないわ」
「ベリアルが見つけた時、その花がオリフェの手に握られていたと聞いたが?」
「気の所為じゃないかしら?」
「……。」
明らかな証拠があるのにも関わらず、嘘を付くことだった。一体いつからだったか、その原因はやはりルシファーなのだが、とにかく彼女は嘘吐きだった。そういう癖があることをルシファーは知っているので、いちいちとやかく言わなくなった。
問題が有りすぎる彼らを外野はもう傍観に徹することにしている。最初はベリアルが野次馬をしていたけれど、ルシファーの態度を見ていたらそんな気をなくしてしまった、とのこと。触らぬ神に祟りなし、ルシファーへオリフェの話をする人は彼らをよく知る人か、新参者か、はたまた命知らずか。
今回はそう、運悪く命知らずが来てしまったのである。名目上、オリフェはルシファーの秘書官であるため、研究のこともある程度は把握している。ルシファーに目を通しておけ、と渡された研究の報告書をガゼボで読んでいる時、一人の男が近付いてきた。
「やあ、オリフェさん、だっけ。こんにちは」
「ええ……こんにちは。」
オリフェに話しかけてくる人は数少ない。驚きつつも、笑顔で応えるオリフェ。男は図々しくもオリフェの隣へ座った。
「何読んでるんですか?」
「研究の報告書よ。」
「おっと…邪魔しちゃいましたかね
「いいえ、大丈夫よ。何か用かしら?」
男は少し恥ずかしげに、いや、一人で居るのが珍しかったので、声かけちゃいました。と正直に言う。確かにオリフェの隣にはルシファーだけでなく大体誰かがいる。そのせいで一人になりたくこうして出てくるというのに。
「オリフェさんって、ルシファー様の秘書官って聞いたんですけど。恋人なんですか?」
「違うわ。腐れ縁なだけよ。」
「言うじゃないか。そこでお前が故友などと言えんから、いつも俺が苦労するんだ。」
昔から知っている、居るはずのない声がオリフェの真後ろから聞こえて、オリフェと男は固まる。
「失せろ。俺はこいつに話がある」
ルシファーはオリフェの頭を掴み、男に吐き捨てた。ルシファーがどんな顔でそれを言ったのかオリフェにはわからないが、とても冷たい声だったので、彼が怒っていることは理解した。男は顔を真っ青にして、逃げるように庭園から出ていった。呆然と走っていく男の背中をオリフェは見つめながら、ルシファーの手に力が込められているのを感じる。
「頭が痛いわ、ルシファー」
「痛いならもっと痛がったような声で言え。」
隣に座って無茶を言うルシファーに、オリフェは小さくため息をつく。
「仕事熱心なのは結構なことだが、上司の言うことは聞けないのか?」
ならいっそクビにしてくれても構わないのだけれど。そう言おうとして、やめる。これでは売り言葉に買い言葉ではないか。それに、ルシファーを更に怒らせることになる。面倒だなと思ったオリフェは口を噤む。オリフェが言い返さないのはいつものことなので、ルシファーは気にせず問い詰める。
「もう三日前に言われたことを忘れたのか」
「忘れてないわ。」
「……お前は俺のことが嫌いなのか?」
違うわ。そう答えようとして、詰まった。違うからと言って、では好きなのかと言われると、ソレはそれで困ってしまう。かと言って別に嫌いなわけではない。
「嫌いなわけないでしょう」
「…そうか」
ルシファーはたったそう言ったきり黙ってしまった。沈黙が気まずいと思わないくらい、きっと二人は二人で長く居すぎたのだ。
「ならば誓え。お前は一生、俺の傍らに居ろ」
オリフェの持っていた書類を奪い取り、そう言う”友人”にオリフェは笑う。
「ずいぶんと強引ね。」
「異論があるのか?」
こうなったルシファーに意見しても無駄なのは知っている。
「無いけどぉ」
「ふん、まあ合ったとて認めんがな。」
誓ったってわたしが破ることだって知っているくせに、相変わらず自分勝手だなあ、と自分のことを棚に上げて思うオリフェだった。


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