[03.b]
(side_osomastu)
名松は幼いころはとても可愛らしかった。…いや、今も十分可愛い弟だ。ただ、昔はもっともっと純粋でコロコロ表情の変わる泣き虫で弱虫な弟だった。
俺たちは六つ子。六人一緒の日に生まれ、一緒に育ってきた大切な兄弟。そんな兄弟にもう一人、新しい命が増えたのは暖かい日だった。小学校に入ったばかりだった俺たちは学校が早めに終わり他の子供たちが家へと下校する中、兄弟たち全員が全員荷物も家へ置いて来ずにそのまま母と新しい弟が待っている病院へと直行した。皆また新しい兄弟ができるのだとわくわくしていた。特にトド松なんかはいつも末っ子扱いだったので、そんな自分に年下ができることが嬉しくて仕方がないようだった。
すれ違う看護師さんたちに注意されながら俺たちはばたばたと母の病室まで駆けて行き、幼い弟を眺めるという毎日が続いた。小さい弟は本当に可愛くて退院してからも毎日毎日構い倒していた。
だが、時が経つにつれて段々と名松と遊ぶ時間は減った。単純に学校の友人たちとつるむ方が楽しかったし、小さな名松に合わせて遊んでいたらどこか物足りなさを感じたからだ。名松はそんな俺達にもよく後ろをついて回っていた。身体能力と年の差から置いてけぼりが殆どだったが、ああ見えて図太い所もあったので門限までにはケロリとした顔で戻ってきたり、偶に十四松や一松なんかと一緒に帰ってきたりが日常になっていた。可愛い弟には変わりないが、だからと言って毎日四六時中構うというのはまっぴらごめんだったのだ。きっとそれは名松も同じだっただろう。
ある時、少しだけ成長した俺たちは珍しく兄弟全員が揃って遊びに出かけていた。目的は秘密基地を作るため。久々に揃った兄弟に名松も嬉しそうにしていた。裏山には猪が出るとは聞いていたが、その時の俺たちはそんなの気にもしていなかった。どうせ出ないだろう、出ても小さいものだろうしそれなら逆に捕まえてやろう、そんなことを思っていたのだ。だがその考えが甘かった。
興奮している巨大な猪と対峙した時、本能でこいつは危険だと悟った。絶対に勝てない。逃げろ。脳内で響く警報を聞きながら俺は大声をあげて兄弟たちと共に山を駆け下りる。今思えば馬鹿の行為だ。
あの時、どうしてもっと配慮できなかったのだろうと今の今までずっと後悔してきた。それはきっとこれからも変わらない。 小さな名松が、俺達と同じように逃げられるはずがなかったのだ。まだ俺の腰辺りまでしかなかった小さな身体で、猪に追いかけられながら逃げるなんて行為は常識の範囲を超えている。情けないことに、逃げるのに夢中になっていた俺たちは途中で崖から転げ落ちた名松に気付くことができなかった。やっと猪を撒き、肩で息をしながら周りを見るとその小さな存在がいないことに気付いた。俺たちは真っ青になってきた道を逆戻りしたが、結局自分たちの力で名松を見つけることは叶わなかった。
途中で出会った近所のじいさんとばあさんたちから名松が病院へと搬送されたのを聞きつけ、その後に続く言葉も碌に聞かず目的地を目指して走った。やっとの思いで着いた病院は、名松が生まれた時に来た以来だったが全く変わっていなかった。六つ子という珍しい俺達兄弟のことをよく知っている看護師さんから案内された病室へと入れば、そこにはたくさんの看護師さんと医者が一つのベッドを囲む形で忙しなく動き回っていた。うるさい心臓を押さえつけて俺が一歩だけそれに近づけば、弟である名松の姿が見えた。その時のことはきっと一生忘れることはできないだろう。それくらいの衝撃だったのだ。
いつもふにゃふにゃ笑ってびーびー泣いていたハズの名松は苦しそうに胸を押さえ、聞いているこっちが呼吸困難になりそうなほどの息遣いをしながらベッドの中央で小さく身体をくの字に曲げていた。がひゅーがひゅー、と口から洩れる音を聞く度に俺は全身から体温が抜け落ちていく感覚がした。目じりに涙を浮かべて固く瞑っていた名松の瞳が薄らと開き、俺と目が合う。そうすると、苦しい筈なのに名松はいつものふにゃっとした笑顔を俺に向けて弱々しく手を伸ばしてきた。
「…に、ぃ…ちゃ」
俺はその手を取ってぎゅっと握りしめた。他の兄弟も名松の周りに集まっていて、十四松やトド松なんかはボロボロと泣いていた。
「ごめん…ごめん…名松、ごめんなぁ…!」
必死に何度も何度も謝る。そんなことで許されるわけがない。だが謝らずに何といえばいいんだ。幼い子供のように泣く俺たちに名松は声にならない声で言った。「泣かないで」「にいちゃんたちは何もわるくないから」「ぜんぶぼくがわるいんだ」と。
そんな筈ない。全部全部俺たちの、俺の考えが浅はかだったからだ。あの時、何かがほんの少しだけ違えばこんな最悪な事態を引き起こすことはなかったのに。
その後の事はよく覚えていない。両親が来て、医者からの説明を聞いた母が泣き崩れているのを名松の手を握りしめながらボーっと見ていたんだと思う。
名松が病気になってから、名松が退院してから俺達は少しだけ変わった。あの事件で兄弟全員が思う所があったのか、また幼いころのように名松に構うようになった。一番顕著だったのがチョロ松とトド松で、チョロ松は名松が少しでも走ったり運動をするようものならすぐに止めに入り、トド松は女の子と遊ぶ回数が目に見えて減った。一松と十四松が暇さえあれば名松に寄り添い、カラ松は名松の健康管理を欠かさなくなった。
俺は、外にいるときは絶対にあいつの手を離さなくなった。流石に名松が高校生となった今は手を繋ぐなんてことはしていないが、出かけるときには常に隣にいるようにしている。まああいつは自分の好きなこと以外はかなりの出不精なので、一緒に外に出る回数は多くはないのだが。
真夜中、一人で喘息の発作を我慢しているのを見ると、あの時山へ行こうと提案した幼いころの自分を殴り飛ばしたくなる。過去へ戻れるならあんなこと絶対にしていないだろう。ただのたられば話なのだが。
布団の中で丸くなっている名松の隣に行き、優しく背中を撫でるとびくりと震える。喉から空気が漏れる音を出しながら、名松を俺を見ると泣いて縋りながらごめんなさいと謝り続けた。
謝るのは俺の方だ。お前が謝る必要なんて何一つない。こんな兄ちゃんでごめんな。俺は長男なのに。 名松の背中を優しく撫で続ければいつしか落ち着いて眠りに着く。その時の表情はとても安らかで安心しきっていて、それを見て初めて俺たちはやっと眠れるのだ。
「おそ松兄さん、また俺のアイス食べただろ」
「アイス?知らねーけど。トド松じゃね?」
「口元のクリーム拭いてから言ってくんない?」
「え!?俺ちゃんと口元洗ったのに!?」
「やっぱお前じゃねーか!!!」
あれから十年。喘息以外は至って健康的に育ってくれた弟は高校生になった。バイトを始めたというのを聞いた時には心配で仕方がなかったが、今までちゃんと続いているのを見る限り問題なくやれているのだろう。
俺達兄弟は今日も変わらない。ただ末の弟の健やかな日常を祈るばかりだ。
名松は幼いころはとても可愛らしかった。…いや、今も十分可愛い弟だ。ただ、昔はもっともっと純粋でコロコロ表情の変わる泣き虫で弱虫な弟だった。
俺たちは六つ子。六人一緒の日に生まれ、一緒に育ってきた大切な兄弟。そんな兄弟にもう一人、新しい命が増えたのは暖かい日だった。小学校に入ったばかりだった俺たちは学校が早めに終わり他の子供たちが家へと下校する中、兄弟たち全員が全員荷物も家へ置いて来ずにそのまま母と新しい弟が待っている病院へと直行した。皆また新しい兄弟ができるのだとわくわくしていた。特にトド松なんかはいつも末っ子扱いだったので、そんな自分に年下ができることが嬉しくて仕方がないようだった。
すれ違う看護師さんたちに注意されながら俺たちはばたばたと母の病室まで駆けて行き、幼い弟を眺めるという毎日が続いた。小さい弟は本当に可愛くて退院してからも毎日毎日構い倒していた。
だが、時が経つにつれて段々と名松と遊ぶ時間は減った。単純に学校の友人たちとつるむ方が楽しかったし、小さな名松に合わせて遊んでいたらどこか物足りなさを感じたからだ。名松はそんな俺達にもよく後ろをついて回っていた。身体能力と年の差から置いてけぼりが殆どだったが、ああ見えて図太い所もあったので門限までにはケロリとした顔で戻ってきたり、偶に十四松や一松なんかと一緒に帰ってきたりが日常になっていた。可愛い弟には変わりないが、だからと言って毎日四六時中構うというのはまっぴらごめんだったのだ。きっとそれは名松も同じだっただろう。
ある時、少しだけ成長した俺たちは珍しく兄弟全員が揃って遊びに出かけていた。目的は秘密基地を作るため。久々に揃った兄弟に名松も嬉しそうにしていた。裏山には猪が出るとは聞いていたが、その時の俺たちはそんなの気にもしていなかった。どうせ出ないだろう、出ても小さいものだろうしそれなら逆に捕まえてやろう、そんなことを思っていたのだ。だがその考えが甘かった。
興奮している巨大な猪と対峙した時、本能でこいつは危険だと悟った。絶対に勝てない。逃げろ。脳内で響く警報を聞きながら俺は大声をあげて兄弟たちと共に山を駆け下りる。今思えば馬鹿の行為だ。
あの時、どうしてもっと配慮できなかったのだろうと今の今までずっと後悔してきた。それはきっとこれからも変わらない。 小さな名松が、俺達と同じように逃げられるはずがなかったのだ。まだ俺の腰辺りまでしかなかった小さな身体で、猪に追いかけられながら逃げるなんて行為は常識の範囲を超えている。情けないことに、逃げるのに夢中になっていた俺たちは途中で崖から転げ落ちた名松に気付くことができなかった。やっと猪を撒き、肩で息をしながら周りを見るとその小さな存在がいないことに気付いた。俺たちは真っ青になってきた道を逆戻りしたが、結局自分たちの力で名松を見つけることは叶わなかった。
途中で出会った近所のじいさんとばあさんたちから名松が病院へと搬送されたのを聞きつけ、その後に続く言葉も碌に聞かず目的地を目指して走った。やっとの思いで着いた病院は、名松が生まれた時に来た以来だったが全く変わっていなかった。六つ子という珍しい俺達兄弟のことをよく知っている看護師さんから案内された病室へと入れば、そこにはたくさんの看護師さんと医者が一つのベッドを囲む形で忙しなく動き回っていた。うるさい心臓を押さえつけて俺が一歩だけそれに近づけば、弟である名松の姿が見えた。その時のことはきっと一生忘れることはできないだろう。それくらいの衝撃だったのだ。
いつもふにゃふにゃ笑ってびーびー泣いていたハズの名松は苦しそうに胸を押さえ、聞いているこっちが呼吸困難になりそうなほどの息遣いをしながらベッドの中央で小さく身体をくの字に曲げていた。がひゅーがひゅー、と口から洩れる音を聞く度に俺は全身から体温が抜け落ちていく感覚がした。目じりに涙を浮かべて固く瞑っていた名松の瞳が薄らと開き、俺と目が合う。そうすると、苦しい筈なのに名松はいつものふにゃっとした笑顔を俺に向けて弱々しく手を伸ばしてきた。
「…に、ぃ…ちゃ」
俺はその手を取ってぎゅっと握りしめた。他の兄弟も名松の周りに集まっていて、十四松やトド松なんかはボロボロと泣いていた。
「ごめん…ごめん…名松、ごめんなぁ…!」
必死に何度も何度も謝る。そんなことで許されるわけがない。だが謝らずに何といえばいいんだ。幼い子供のように泣く俺たちに名松は声にならない声で言った。「泣かないで」「にいちゃんたちは何もわるくないから」「ぜんぶぼくがわるいんだ」と。
そんな筈ない。全部全部俺たちの、俺の考えが浅はかだったからだ。あの時、何かがほんの少しだけ違えばこんな最悪な事態を引き起こすことはなかったのに。
その後の事はよく覚えていない。両親が来て、医者からの説明を聞いた母が泣き崩れているのを名松の手を握りしめながらボーっと見ていたんだと思う。
名松が病気になってから、名松が退院してから俺達は少しだけ変わった。あの事件で兄弟全員が思う所があったのか、また幼いころのように名松に構うようになった。一番顕著だったのがチョロ松とトド松で、チョロ松は名松が少しでも走ったり運動をするようものならすぐに止めに入り、トド松は女の子と遊ぶ回数が目に見えて減った。一松と十四松が暇さえあれば名松に寄り添い、カラ松は名松の健康管理を欠かさなくなった。
俺は、外にいるときは絶対にあいつの手を離さなくなった。流石に名松が高校生となった今は手を繋ぐなんてことはしていないが、出かけるときには常に隣にいるようにしている。まああいつは自分の好きなこと以外はかなりの出不精なので、一緒に外に出る回数は多くはないのだが。
真夜中、一人で喘息の発作を我慢しているのを見ると、あの時山へ行こうと提案した幼いころの自分を殴り飛ばしたくなる。過去へ戻れるならあんなこと絶対にしていないだろう。ただのたられば話なのだが。
布団の中で丸くなっている名松の隣に行き、優しく背中を撫でるとびくりと震える。喉から空気が漏れる音を出しながら、名松を俺を見ると泣いて縋りながらごめんなさいと謝り続けた。
謝るのは俺の方だ。お前が謝る必要なんて何一つない。こんな兄ちゃんでごめんな。俺は長男なのに。 名松の背中を優しく撫で続ければいつしか落ち着いて眠りに着く。その時の表情はとても安らかで安心しきっていて、それを見て初めて俺たちはやっと眠れるのだ。
「おそ松兄さん、また俺のアイス食べただろ」
「アイス?知らねーけど。トド松じゃね?」
「口元のクリーム拭いてから言ってくんない?」
「え!?俺ちゃんと口元洗ったのに!?」
「やっぱお前じゃねーか!!!」
あれから十年。喘息以外は至って健康的に育ってくれた弟は高校生になった。バイトを始めたというのを聞いた時には心配で仕方がなかったが、今までちゃんと続いているのを見る限り問題なくやれているのだろう。
俺達兄弟は今日も変わらない。ただ末の弟の健やかな日常を祈るばかりだ。