[花丸を貰えなかったキミへ]

※鬱。死ネタ。








 パチリと目が覚めた。俺は暫くボーっと虚空を見つめ、ややあって気怠げに上半身を起こしてからまた暫し何をするでもなしにじっとしていた。

 おれ、なにしてたんだっけ。少しだけ呂律の回らない声で呟くが応える人は誰もいない。周りは既に薄暗くなっており、人っ子一人見当たらなかった。もう夕暮れ時で良い子は家に帰る時間帯だ。俺は別に良い子ではないので急いで帰る必要はないが、今日は何か嫌な予感がして早く帰ろうとやっと重たい腰を上げた。いつもの公園で寝てしまっていたようで、周囲の見知った遊具たちはまるでさっさと帰れとでも言う風に無機質な表情で地面を見つめているようだった。何だか気味が悪い。少しだけ背筋を震わせてから俺は小走りで帰路につく。

 そういえば、今頃家にいるはずのニート六つ子は今日の職安はどうだったのだろうか。まあ聞かなくても大体結果は見えているが。どうせ全員見事に不発だったのだろうな、と小さく笑う。両親と優しい優しいお兄様がいるうちはいいが、歳順に考えて最後に残るのはあいつらの方だ。このままで大丈夫だろうか。年明けまでには仕事を見つけてもらわないと…因みに俺は母や父からさっさと嫁を探せと言われているが、あんな手のかかる弟たちがいたら探すものも探せないだろう。


 空に向かって静かに息を出せばそれは白く変化した。冬の日に外で居眠りしてたって俺すごいな。下手すりゃ凍死する。段々と寒くなって来て手を擦るが全く暖かくならない。さっさと家に帰って暖かいものが食べたいな。おでんとか鍋とか。今日の夕飯は何だろうかと考えながら足を速める。すぐそこの曲がり角を曲がればもう家だ。鼻歌を歌いだしそうな勢いで俺はパッと角を曲がり家を見る。


「……ありゃ?」


 いつもは温かそうな明かりが灯っている筈の我が家。しかし今日はその明かりがなかった。窓は真っ暗で外灯もついていない。おかしいな、外灯はいつもつけておくのに。頭にクエスチョンマークを浮かべながら俺は玄関をガラガラと開ける。


「ただいまーお兄様のお帰りだぞー」


 そう声を張り上げるが、家の中はしーんとしており人の気配が全くしなかった。それにどの部屋にも明かりが灯っていないのか、真っ暗だ。余計に寒く感じる。
 俺は玄関を足で閉めながら(皆は真似すんなよ)もう一度声を掛ける。


「おーい、お兄ちゃん帰ってきたんだけどー!!」


 誰も何も反応がない。うっそ、待ってコレ俺だけ置いてけぼりで外食行かれたフラグ?待て待て勘弁してくれ俺めっちゃ腹減ってんだけど。ふと下を見ると靴が六つ、ちゃんと並んでいた。…なんだよ、あいつらはいんのか。


「母さんと父さんはどっか行ってんのかな?」


 この歳になっていちいち外出先を逐一報告するなんてことはしない。それに両親は偶に急に近所付き合いだとかで夜出掛けることもあるのだから、今家にいなくても特に不思議ではない。じゃああのニート六つ子はどこにいるのだろうか。
 靴を脱いでぺたぺたと冷たい廊下を歩く。…ホントさっむいんだけど、何なの?温度マイナス行ってない?両手で自分の身体を抱きしめるようにしながら居間の方へ進む。障子は空いているが、明かりはやはり灯っていなかった。なんだよーやっぱ皆いないのか?


「…なんだよ、いるんじゃん」


 中に入ればそこは月明りのお陰か廊下よりは明るかった。そしていないと思っていた六つ子の次男と三男がそこにはいた。


「おいおい、真っ暗ん中何やってんだよお前ら。他の奴は?」


 電気を付ける為にスイッチをぱちぱちと押すが、全く反応しない。はれ?停電だったのもしかして。


「ブレーカー落ちてんのか…?おいカラ松」


 カラ松に話しかけるが俯いていて全くこちらを見ようとしない。何、機嫌悪いの?カラ松がここまで怒るの珍しいな。こいつはおそ松と俺、つまり"兄"に対して顕著に怒りを露にすることは滅多にない。チョロ松は膝を抱えて小さくなっている。


「おーいチョロちゃん?お兄ちゃん帰ってきたよー」


 …返事がない。屍ではないが反応がないのは寂しい。お兄ちゃん泣いちゃうよ。何でこの二人は俺に対して全くの無反応な訳?俺なんかした?


「ハァ…まーいいけど。ちょっと俺ブレーカー見てくるな。寒いだろうけどもうちょい我慢しろよ」


 まあ会話がしたくないなら今はそっとしておこう。もしかしたら兄弟同士で大規模な喧嘩があったのかもしれないから。年に一回程度の頻度で起こる六つ子ファイナルに巻き込まれたら最期、血反吐を吐くまで収まらないから厄介だ。俺はブレーカーついでに他の弟を探しに行こうと寝室へと向かった。
 いつも使っている寝室を覗けばやはり暗かったが、そこには残り四人のうち三人がいた。六つ子の弟組である四男、五男、六男が眠りこけていた。なにこれ癒しなんだけど。にやにやと頬を緩ませながら三人に近づき、ふと見れば壁に背を預け五男と六男に膝枕をしてやっている四男の瞳だけは開いており、眠っている二人を見下ろしていた。


「うぉ!?お前起きてたのかよ…ビビった…」

「…」


 やはり四男、一松も口は聞いてくれない。時折五男十四松と六男トド松の頭を撫でるが、それ以外のアクションは特に起こさなかった。非常に癒される光景なのだが俺を認識してはくれまいか。本気でお兄ちゃん泣いちゃうよ。
 悲しみの溜め息を漏らして二人を起こさないように声を潜め一松に話しかける。


「何か電気通ってないっぽいけどさむ…くはないよな、二人と毛布があってあったかそうでいいな。お兄ちゃんは羨ましいぞ一松。
ちょっとブレーカー上げてくっから待っててな」


 それでも反応のない一松にやはり六つ子ファイナルが起こってしまっていたか…と肩を落としてから俺は寝室を出る。早い所仲直りのセッティングしなきゃなぁ…十四松が一番怖いんだよな喧嘩に関して。あいつは滅多なことじゃない限り兄弟相手にまず怒りをぶつけないから、今回のことは何か余程のことがあったのだろう。加えてこう、チームのようなバラバラになってる辺りタッグ戦でもあったのだろうか。やはり安定の長男、おそ松がぼっちということにもう驚きはしない。あの子本当は要領いい筈なんだけどなぁ…如何せんIQが圧倒的に足りてないしなぁ…。
 そんなことを思いながら俺の部屋も一応見ておこうと足を進めると、障子が開いていた。出かけるときは絶対閉めていくから誰か入ったのか?と中を見ると、そこには赤いパーカーを来た六つ子の長男であるおそ松が俺の布団を占領していた。


「おいおい…おそ松くーん、そこお兄ちゃんの唯一の安息地だから退いてくんなーい?」

「……」


 こいつも無反応と来た。最近の若い子はイラついたらすぐに無視する。まあ悪いことではないけど時と場合によっては反応してくれないと困っちゃうよ。

 深い溜息を吐いて俺はおそ松の隣に移動して座り込んだ。


「なにさ、まぁた六つ子ファイナルやらかしちゃった訳?成人しても仲がいいのは結構だけど、それで俺の布団使って籠城はやめてくんないかな」

「…」

「皆大分怒ってる…てか俺まで無視されたんだけど。俺への飛び火大分大きいよね?業火だよホント」

「…」

「カラ松をあそこまで怒らせるのに何をやってのか聞きたいとこだけど…こんなとこじゃ寒いだろ。ほら、居間行こうぜ。お兄様が特別にホットココア作ってやるから」


 一言も言葉を発さないおそ松。眠っているのだろうか。だとするならば俺今まで独り言べらべら言ってる痛い奴じゃん。痛いのはカラ松だけで十分だ。


「おそちゃーん。起きてくださーい。朝ですよー」


 仕方なく揺さぶって起こそうと彼の肩に手を置く。







 すると、それは質量に触れることなくするりとすり抜けた。




「……は?」



 何が起こったのか分からない。おそ松に触れようとしたら、すり抜けた。…いや、この場合は“俺の方が”すり抜けた、のか?一体どうなっている?

 俺が混乱で固まっていると、ふいにおそ松がピクリと動いた。ハッとして彼を見ると、僅かに肩が震え時折鼻を啜る音が聞こえてくる。布団に鼻水付けないでねおそ松さん。


「兄ちゃん…兄ちゃん……っ」


 久々に弟の口から聞こえた「兄ちゃん」呼びにほんの少しだけ感動したが、そんな場合ではない。どうした?と声を掛けてもやはりおそ松は無反応。どくどくと心臓がうるさい。冷や汗も出てきて、嫌な感じが全身を包む。

 家に帰ってから、弟たちは俺に全く目を向けないし反応もしなかった。それは、一体何故?怒っていたからとか、そんなレベルの問題じゃないのではないだろうか?本当は、本当は








「なんで、なんで死んじゃうんだよぉ…!」







 おそ松のその言葉にガツンと頭を殴られたようだった。急に頭痛がし、フラッシュバックのようにたくさんの情報が頭に流れ込んでくる。



 俺はほんの数日前、公園に来ていた。ただの散歩だ。そこで偶々、凍った池で遊んでいる子供を見つけた。危ないなーと思いながらもその場から離れようとすると、凍っていたはずの池に亀裂が走り、子供が水の中に落ちてしまった。俺は急いでそちらへ駆け寄り、冷たい池の中に飛び込み子供に向かって泳ぎ腕を掴んだ。その子供を分厚く凍っている部分へ上げてやれば、その子は泣いてお礼を言いながら氷に這い上がる。早く陸へ行け、と背中を押すと子供は必死に走って陸へと向かって行った。
 さて俺も這い上がろうとぐっと力を入れれば再び氷は割れて俺は池の中に沈む。俺が走って子供が走った氷だ。それに割れた拍子に四方八方に亀裂が入り大人の俺が体重を掛けるとすぐに割れてしまう。寒さでもう手足の感覚もなく、泳ぐことも這い上がることもできないまま俺は自身の最期を悟り、目を閉じた。意識も視界も真っ暗になり、ごぽりと耳に水が入った感覚を最後に俺の意識は闇に沈んだ。








「……そっか、俺…」

「名松兄ちゃん…!帰って来てよぉ…!」

「…ごめん…ごめんな…おそ松……」


 幼い頃のようにぐしゃぐしゃに泣き続けるおそ松を抱きしめるが、それは俺がすり抜けてしまいできなかった。泣いている弟を慰めることもできないなんて、兄失格だな。本当に、最期の最期までダメな兄だった。ごめん、ごめんな皆。


 いくら明かりに近づいたって、いくら自信を抱きしめたって温かくならないのは当たり前だった。だって、俺は死んだのだから。冷たい冷たい水の底で。
 段々と足元から俺の姿が消えていく。 自分ですら、自身の存在を認識できなくなっていくのだ。いっそ一思いにやってくれればいいのに、薄くなっていく身体はゆっくりとした速度を保っていた。


「…おそ松、ごめんな…こんな兄ちゃんで、本当にごめん…」


 触れないとは分かっている。けれど、彼の頭を撫でずにはいられなかった。喧嘩もしたし言い合い何てしょっちゅうだった、だけど、俺の愛した弟の泣いている姿だけは見たくなかった。


「皆を、よろしくな。お前含めて、兄ちゃんがいなきゃてんでダメな奴ばっかだけど…俺がいなくなった今、お兄ちゃんはお前しかいないんだ」


 こんなことを頼みたくはない。俺は兄だ。松野家の長男なのだ。弟が全員婿に行くまで、嫁をもらうまで、実家から独立するまでは面倒を見てやるつもりだった。だが、今となっちゃそれは叶わない。


「でも、お前が辛くなったらいつでもここに来い…俺に相談しに来い。兄ちゃんはいつでもお前の、お前らの味方だから」


 足が消え、腹が消え、胸が消え、腕が消える。もう、もう本当に最後なのだ。俺は、こいつらにさよならをしなければならない。
 じんわりと目元が熱くなるが、ぐっと堪える。兄が、弟の前で泣くなんてこと、してはいけない。弟が俺の分まで泣いてくれているのだから、俺は弟の分まで笑わなければいけない。


「じゃあな、おそ松…。…───大好きだ。今までも、これからも」

















「…───にいちゃん…?」


 ふと、おそ松が顔を上げる。


 しかし、そこには何もなく、薄暗い空間が広がっているだけだった。











 さようなら。大切な大切な、俺の弟たち。



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