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(side_osomatsu)


 チラリと見たGPSの発信元。それは依然として同じ場所を示していた。最後に見た時から三十分くらいは経っていると思うのだが、場所を移動する気配のないその点に焦りが募る。
 成人男性相手に何をと思うかもしれないが、名松は少しだけ特殊なのだ。

 数年前の誘拐事件で名松が見つかったらしい場所が付近にあるのも心配の一つである。電車を乗り継いで早足でその場所まで近づくにつれ、人通りが少なくなっていることに気づいた。
 どこにでもよくある普通の住宅街っぽい場所でこんな真昼間だと言うのに子供はおろか、主婦の一人さえ見つけられない。不審者情報が広まっているせいなのだろうか。なら名松はどうしてそんな場所へ?
 最近夢見が悪かったらしい名松は日常生活の中でも雨ではないのに、時折足を引きずる動作をしていた。それと何か関係があるのか、ないのか。


「…ここ?」

「ここ。というか、この先」


 名松がいるであろうGPSの発信源に近づくには木々の生い茂った場所を突っ切るしかなさそうだった。名松はその性質上写真は撮るがあまりこういうところに長居はしないタイプなのだが。

 弟たちも何とも言えない不安を抱えているのか、段々と口数が少なくなってきている。俺を先頭にして目的の場所まで進んでいくが、あるものを発見して俺は走り出した。後ろでチョロ松が驚きの声を上げているが今は構っている余裕はなかった。



「……これ…」



 見つけたそれを手に取る。どう見ても名松の愛用している一眼レフだった。その近くにはスケッチブックも無造作に捨てられていて、誰かに踏まれたのか泥が足型なってについていた。

 やっと追いついた三人は俺の手元を見て目を見開く。



「…それ、名松のカメラ…」

「こっちのって名松兄さんのやつ、だよね?」



 一松がスケッチブックを広げて中を確認する。綺麗な風景画が描かれていて、俺たちの家の窓から見た風景もあったので間違いなく名松のものだ。
 一体なぜ? 名松は?  あいつは自分の大切な道具たちを放ってどこかへ行くなんてことは絶対にしない。特にこのカメラはひと際大切にしていたものだ。決して安くないからというのもあるのだろうが、この中にあるメモリーカードにはたくさんの思い出が詰まっているんだと前に教えてくれた。



「名松にいさぁ―――ん!!!!」

「!? ちょ、十四松っ?」

「近くいるかもしれないでしょ? 探そうよ!」

「でも…」

「探そう」

「おそ松兄さん…」

「何かあったにしてもなかったにしても、これをあいつが放っておくわけが…――――」



 そこで俺はとあるものを視界に入れてしまった。


 少し離れたところにあるそれに近づき拾い上げる。後ろから十四松が覗き込み、はた、と動きを止めた。



「……名松の、携帯…」



 急いで電源を入れれば、俺たち兄弟のトークルーム画面になり、一番下にある自分の発言入力場所に一言だけ入力され、それが発信されないままになっていた。



 ―たすけて―

 たったそれだけのシンプルな言葉。
 全身から力が抜けるような、しかし言いようのない煮えたぎった熱がずくずくと湧き出てくるような、よく分からない感覚がした。今俺はどんな表情をしているのか自分でも分からない。


「おそ松兄さん」


 チョロ松の冷たい声が響いた。あいつもどうやら高が外れてしまったらしい。普段は常識人ぶってるくせに、こういう時はサイコパスも裸足で逃げ出すくらいえげつないことをするのがこいつだ。それとカラ松も。


「一先ず辺りを探せ。隈なく。なんかあったら即連絡。 それとカラ松とトド松にも言っといて」


「あいあい」

「分かった」

「…」



 それぞれがそれぞれの反応を示して散り散りになる。十四松は進行方向にあった木を「邪魔」とだけ言ってなぎ倒していた。バットを持たせずに来て本当によかった。


 さて、可愛い可愛い弟を探さなくては。
 踏み出した拍子に木に置いた手は気づけばめり込んでしまっていた。






***










「あーあ…」



 腕の中で気を失った名松は安心したのか安らかな表情をしている。余程泣いたのか頬には涙の後ができ目元は赤く腫れている。

 汚い液体で汚れてしまった名松の顔を袖で拭いながら転がっている男を覚めた目で見つめた。



「チョロ松ぅ〜もうちょい我慢な?」

「黙れよ」

「いやいやいや切れんのはわかるけどちょっと待てって。先にやっちゃうとカラ松が暴れるんだからさぁ」



 今にも人を五人ほど一気に殺しそうなチョロ松に静止の声を掛けるが止まる様子はなかった。ぶっちゃけ別に殺しちゃってもいいんだけど、一瞬でやっちゃうと色々と納得できないから待ってほしいだけだ。


「ひひ、デカパンからくすねた奴使ってみよ…」

「それなーにー?」

「硫酸みたいなもんらしいよ。こいつのケツの穴にぶち込もう」



 あっちはあっちで少々ぶっ飛んだ会話をしている。邪魔するのはよそう。

 拭っても拭っても綺麗にならない名松の身体。窮屈そうな縄と首輪を素手で引き千切りながらすっかり赤い痕のついてしまった首元を撫でる。
 どうやら薬を使われてしまったようで、その刺激だけでも名松はぴくりと反応し小さく声を出す。 あー…普段の中での反応なら最高だったのになぁ。


 そのうちチョロ松の方からやばい音が聞こえてきたので仕方なしに名松を抱えたまま止めに入った。


「チョロちゃんチョロちゃん、ストップストップ」

「お前も殺されたいの」

「こえーなー。そうじゃなくてさ、たぶんそろそろカラ松とトド松が」



 来るから。そう言おうとする前に半分壊れかけていた扉が今度こそ粉々に壊された。扉に罪はないってのに…それにこのボロ小屋の中でそんな衝撃を出してしまって崩れないか心配だ。
 音のした方を見ると、カラ松が到底他人には見せられない表情で立っていた。真顔と言えば真顔なんだけど、どす黒い影がかかっていて外で何人か殺してきましたみたいな顔をしている。兄弟揃って粒揃いなんだよなぁ。

 カラ松は既に半分血で濡れて床に転がっているものを見て一言「それか」と呟いた。ゆっくりと一歩一歩踏みしめるように近づいてくるカラ松に最後の手段とばかりに名松を差し出す。


「今ここでお前に暴れられちゃたまんないって。先に名松連れて帰ってて」

「どけ、おそ松」

「いいからお兄ちゃんの言う事聞いてくれない?お前の取り分残しといてやるからさ」


 カラ松は暫くじっと俺を見つめて(睨みつけて)いたが渋々と言った風に名松を優しく抱き込んだ。途端に表情は先ほどよりも柔らかいものとなる。

 壊れた扉からトド松がひょっこりと顔を出した。



「おそ松にいさ〜ん、面白いもの見つけた〜」

「面白いもの?」

「うん、ちょぉっと、後で来てよ」



 ね?と普段通り可愛らしく小首を傾げたトド松。完全に目が据わっていて女子に見せられる顔ではない。


「じゃあカラ松と…チョロ松、名松のことよろしく」

「は?なんで俺?」


 一人称が無意識のうちに"俺"に戻ってしまっている。怖い怖い。瞳孔が開ききったチョロ松に睨まれるがお兄ちゃんなので動じない。


「名松のこと洗ったげてよ。チョロ松の役目でしょ」

「……チッ」



 家族一の綺麗好きで名松に対して少々度が過ぎた潔癖症の症状があるチョロ松。ああ言えば大人しく引いてくれるだろう。
 二人が名松を抱えて小屋から出ていくのを見届けてから汚物に向き直る。カラ松とトド松に車持って来させておいてよかった。


「さて、やばい奴の一番手と二番手がいなくなったからちゃちゃっとやるか〜」

「えーおそ松兄さん正気ッスか?」

「正気の沙汰ではないよね」

「これで正常ならびっくり」

「何だよお前ら揃いも揃って」


 松野家の弟組がクスクスと笑いながらこちらを見ていた。さながら女子高生のようなやりとりに俺はむっと眉を潜める。


「いやいや〜やばい奴の一番手って、   どう考えてもおそ松兄さんじゃん」



「……あは、やっぱわかっちゃう?」



 左手に握ったノコギリがキラリと反射した。



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