[花丸を貰えた愛しいキミへ]

※happyend



 人は死んだらどこへ行くのだろうか。答えは“無”だ。
 何も残らない。何も残らないのだ。今まで残してきた跡はすべて時間が経てば無に還る。誰も、俺が生きていたことなんて忘れてまた忙しい日常の波にのまれていく。俺はその波の中に沈み、取り残されるのだ。死、とは、そういうものなのだ。


 大切な物、大切な人、大切な思い出…すべてを遺してすべてを捨てて、人は無に還る。何もかもを忘れて真っ新になって消えてなくなる。それでいいんだ。遺されたものはまだ歩みを進めなければならないが、止まったものはいつまでもそこに居続けるわけにはいかない。いっそのこと綺麗さっぱり消えてなくなった方がずっとずっと幸せだ。
 何よりも大事にしてきたことをすべて忘れ、消えてしまわなければならないんだ。


──「にいちゃん!」
──「名松にいちゃん!」

──「おーおー、どうした」


 ふいに、懐かしい声が聞こえた。
 真っ暗だった視界にふわりと光が差し込む。見れば、そこには幼い弟とまだ学生だった頃の自分が笑ってじゃれていた。

 まだまだあどけなかった弟たちと自分。服が汚れるのも気にせずに転がりまわったり走り回ったりして、その顔は土で汚れてはいるがとてもきれいな笑顔だった。


「……あの、一人一番元気がいいのがおそ松か」


 一人でぴょんぴょん跳ねている元気な男の子。六つ子は小さい頃は本当に見分けがつかないレベルでそっくりだが、俺は兄だったのでちゃんと見分けられた。


「その後ろにいるのがカラ松で…あ、十四松がこけた…で、相変わらず一松が十四松の面倒見てんだよなぁ…」


 懐かしい風景に目を細める。びーびー泣いている十四松の頭を一松と俺が撫でている。そんな俺の両腕をチョロ松とトド松が引っ張って早く構えという風にじゃれついていた。
 俺ははいはい、と二人の頭を撫でてから十四松を抱き上げ、裏の空き地に行こうと弟たちに促した。弟たちは皆が一斉に僕も抱っこ!と俺の足元に群がっている。そんな風景も次には泡沫のようにふわりと消えてしまった。ああ、なんだ、あれは走馬灯か。死ぬ瞬間に見たのを覚えていないから、今見せてくれているのだろうかと思った。
 次は俺の後ろに光が灯る。振り向くとまたワンシーンを切り取ったかのような映像が流れだした。俺は無言でそれを見つめる。



──「カラ松がぶったー!!!」

──「男のくせになくんじゃねえぞ十四松!」

──「こーらカラ松!お兄ちゃんが弟殴るとは何事だー?」

──「いでででで!!離せ名松!!」

──「お・に・い・ちゃ・ん・だ・ろ・う・が!!!!」

──「ぎゃー!!!!」


 あれは確か弟たちが中学に入ってすぐ、俺へのお兄ちゃん呼びをやめた時期だ。あの時はかなりショックだった覚えがある。何せ六つ子揃って俺の事を「名松」としか呼ばなくなったのだ。夜中に母さんと父さん巻き込んで「これが思春期と反抗期か…辛いな…大人は……」と咽び泣いた筈。そうは言っても、やはり年の差もあり力技ではまだまだ俺に敵わなかった六つ子。汚い言葉遣いをすれば教育的指導と称してプロレス技をかけるなんてしょっちゅうだった。

 年を取るにつれて落ち着くなんてことはなく、変わらずに寧ろもっとうるさくなる我が家にうんざいりしながらも、やはり居心地は最高に良い我が家だった。目を細めてその光景を見守っていると、また光は消えた。
 次々と灯っては消えてを繰り返した後、ぶわりと灯った次の光に俺は本能的に違和感を感じた。今までの温かみを全く感じないのだ。


 映像をじっとみていると、それは弟たちが高校生の時で、俺がとっくに社会人になっていた頃のものだった。
 あのころから六つ子は少しずつ変わった。ひたすら卑屈になった一松に、徐々に会話が成り立たなくなった十四松、ケータイを手放さずあまり話さなくなったトド松。がらりと性格が変わったカラ松、あまり家に居たがらなくなったチョロ松。そしてそれを見て見ぬふりをしたおそ松に、どうすればいいのか分からずに呆然と見ていただけの俺。


 次いで映像は切り替わる。光が消え、また新しい光が灯ればそこには泣いている家族が映った。いつものように泣き喚くのではなく、静かに涙を溢している姿に俺は息が詰まりそうになった。
 違う、こんなの違う。俺が見たかったのはこんなのじゃない。



 そこで俺はようやく気付いた。これは走馬灯なんかじゃない。そんな生易しいものではないのだ。

 これは、俺の“後悔”という思いが繋ぎ止めて必死に取り繕っただけの欠陥品。言うならば、ただの未練。「楽しかった思い出を無にしたくない」「もっともっと弟たちと話がしたい」「自分一人だけこんなところで死ぬのは嫌だ」そんな、人間のエゴの塊にような醜い感情が固まってできた産物。
 虫の良すぎる感情を容赦なく突き付けてくるそれに、俺は目を逸らした。勝手に死んだくせに今更何を言っているのだろう。弟を遺してきたくせに。親より先に死んだ親不孝者のくせに。


 変わっていく弟たちを見ていることしかできなかった臆病者のくせに。


 



 そこで俺は今まで自分を支えていたものが一気に崩れ落ちるのを感じた。ふっと身体が浮遊感に襲われたかと思えば、急に落下の感覚が全身を包む。ザザザというノイズ音と共に視界も段々と狭まってきた。俺は必死に手を光に向かって伸ばす。大切な家族へ向かって。


「待ってくれ!俺は、俺、まだ死にたくない…!!」


 見苦しく浅ましくもがく様はきっと不格好で大変無様だろう。それでも形振り構っていられなかった。ついさっきまで、死んだら何も残らないだなんて知った風な口をきいていた俺が。つくづく人間ってのは勝手だなと思う。でも、俺は死にたくない。


「まだ弟たちに何も残してやれてない!明日は、十四松たちと野球するって約束したし…チョロ松とトド松と一緒に買い物にも行こうって言ったんだ!!」


 まだ終われない。こんなところで一人で死んでいくのなんて絶対に嫌だ。誰か、だれか、だれか。俺に気付いて。
 何度も何度も空気を掻き、光に向かって死にもの狂いで手を伸ばす。届いて、届け。


「まだ…───まだ生きていたい!!」



 最期の力を振り絞ってぐっと手を伸ばした。


 その時、テレビの音が消えるようにブツン、と耳元で音が鳴り、俺の視界は闇に染まった。







































「…───な?クッソ怖くね?」

「「「「「「縁起でもねえ!!!」」」」」」


 スパン、とチョロ松が持っていたスリッパで俺の頭を叩く。病人相手にそれはねえよチョロちゃん。ただ俺が眠ってた間に見た夢の話をしただけなのに何故そんなキレられなきゃいけないんだ。


「何で今!?何で今そういうこと言っちゃうの!?あんた死にかけたんだよ!?」

「ほんっと名松って空気読めないよね!?イッタいねー!!?」

「え、俺松野家では結構まともな方なんだけど…」

「…」

「ちょ、待って一松待ってリンゴ口に入れようとしないでお兄ちゃんそんな口大きくないから無理だから待って待って待って」


 ぎゃーぎゃー騒ぐ弟たちを後目に俺は口から何とかリンゴを引っこ抜く。

 どうやら冬の冷たい湖に沈んだ俺は普通に救出されたようだった。ただまあ結構危ない状態だったみたいだが。


「もうちょっとさぁ…こう、しおらしくできない?」

「おそ松にそれ言われちゃ俺おしまいだよ…」

「失敬だなオイ」

「でもほんと、目覚めてよかった…一回心臓止まったんだよ?」

「え、マジ?」

「「マジマジ」」


 兄組三人衆に事の顛末を詳しく教えてもらった。

 あの日、盛大に池ポチャした俺が助かったのは偶々通りかかったイヤミがすぐに通報してくれたからだった。偶にはいい仕事するなあいつ。体温が下がりに下がっていた俺はすぐに救急車で運ばれて治療室へと速攻だった。その間に家族へと連絡がいったらしい。途中で一度心肺が停止し、医者は最期を悟って俺と家族を面会させてくれたようだ。弟たちや母は泣き、父はなんとかならないのかと医者に縋った。いや、心臓止まってるんだから無理だと思う。しかしそこで何がどうなったのか、微かにぴ、ぴ、と再び心拍数が刻み始めたのだという。
 その時カラ松は俺の手を握っていて、確かに自分の手を握り返してくれたのだと話していたがごめん、お兄ちゃん全く覚えてねーわ。

 こりゃ驚きとお医者さんはまたすぐに治療に専念し、見事俺は一命を取り留めたという訳だ。まあ、三日間くらいずっと眠ってたんだけどね。目覚めたら酷い顔が並んでるもんだから「は!?何!?寝ろよ!!ベッド貸すよ!?」と第一声を上げて自分の腕に刺さっていた点滴を引っこ抜いて一松と十四松からプロレス技を決められたんだが。


「はー…なるほどねえ。ミラクルだね」

「まあお医者さんも奇跡だっつってたしね」

「奇跡の男、名松」

「何それ!?かっけー!!」

「だぁろー?お兄ちゃんいつでもかっこいい系目指してるから!」


 二人あやとりを強要してくる十四松に付き合いながら、俺は病室でわらわらと好き勝手にする弟たちの顔を一人ひとり盗み見た。
 誰も泣いていない。ちゃんと皆笑っている。俺はここへ帰って来れたんだ。

 それだけでもう何も望まない。俺の心は十分に満たされた。


 かんせー!と嬉しそうにしている十四松の頭を撫でてから俺は財布をおそ松に投げ渡す。何?と表情で訴えてくるおそ松に笑いかけた。


「何か食って来いよ。奢ってやんよ」

「マジで!?ひゃっほーう!!」

「ちょっとおそ松兄さん!病院で騒がないで!!」


 ばたばたと六つ子の一番上の背中を追いかける弟たち。…おそ松のことは兄さん呼びなのにね…。
 途中看護師さんから注意されている声が聞こえたが、そんなのは気にならなかった。


 ふと、カララ…と控えめな音が聞こえてそちらを向けば、おそ松がひょっこりと顔だけを出していた。


「? どうした?早く行けよ」

「名松は?何喰いたい?なかったら適当に買ってくるけど」

「俺はいいよ。お前らがたらふく食って来い」


 俺が眠っている間、まともな食生活してなかったみたいだしなと手をひらひらとふる。しかしおそ松は下がらなかった。


「えーだって目の前で食べたら名松絶対欲しがるじゃん!適当に軽めのモン買ってくるからな」

「は?」

「コンビニ行ったらすぐかえってくるから」

「へ?」


 おそ松は悪戯が成功したときのようにニッと笑った。


「ここで食べるよ俺達。ちゃんと兄弟揃ってね。だからちょっと待ってて、兄ちゃん」


 パッと引っ込んでおそ松はまたばたばた駆けて行ってしまった。

 ポカーンとしていた俺は徐々に頬が緩んでくるのを感じながら、母が何か入れていただろうかと思い備え付けの冷蔵庫を開ける。





 心は先ほどよりもずっとずっと満たされていた。



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