[よゐこわるいこわらわぬこ]


 突然なのだが。あ、いや自己紹介が先か。松野家の真ん中松野名松です。
 突然なのだが。俺は常にどんなときでも黒色のリストバンドをしている。例え寝るときだろうが何だろうが。本当に突然どうしたお前って感じだが、まあ聞いてほしい。


 松野家の中で俺の担当かカラーは黒。身に着ける物は何でも黒かった。当時は厨二で俺かっこいい(゚∀゚)とか思っちゃってたわけだ。今もぶっちゃけ思ってる。汚れてもあんま目立たないし。
 で、だ。リストバンドの件なのだが、少しだけ理由を説明する前に弁解させてもらいたい。俺は別に好きでリストバンドを嵌めている訳でもないし、その下に隠れているものを好きでやってしまった訳ではない。そもそも痛いことは嫌いなのだ。だから、本当に、自分からリストカットをした訳ではないんです…!!!


「……名松」

「…」

「名松、こっち向け」


 ぐい、とカラ松が俺の両頬を手で包んで無理やり目線を合わせようとして来る。こういう時十四松のあの焦点合わない技が使えたらなと全力で思う。



 リストバンドをいつもつけている理由は至極単純で、俺の手首には無数のリストカットのような傷がついているからだ。それを隠すために常備している。おそ松たちには言えるわけないし言う必要もないだろうと思っていた。そもそもこの傷は故意に付けたわけではないのだし、隠してさも意味深にすることもないのだが、当時厨二全開だった俺の思考回路は非情に残念だったためにこういう結果に落ち着いてしまった。手首の傷が如何にして出来増えたのかと言えば、それは俺のうっかりミスだ。
 丁度高校入学と同時に(人生二度目の)厨二を拗らせた俺は常に孤高であろうと一匹狼を気取っていた。今思い返したらあの時の自分を地面に埋めたくなる。そしてぼっち飯を嗜もうと場所を探していたとき、何となしに無意識に動かした腕に激痛が走ったのだ。手首を見ればそこは血まみれ、何とコンクリートから鋭い大きい釘がむき出しになっているではないか。ぽたぽたと俺の血が滴り落ちているのを見て背筋が寒くなったのを覚えている。しかも学習能力がない俺は何度もあそこで手首や腕を傷つけた。大きな傷から小さな傷まで、気が付いたら「あいたっ!あ、ここ釘あったんだちくしょう!!」という状態に陥っていたのだ。バカス。しかも加えて乾燥肌な俺はそこから皸のように裂け冬は大惨事だった。

 それでまあ、時が経てばなんとリスカの痕のようになってしまっていたという訳。こりゃダメだと踏んだ俺はリストバンドをいつしか手放さないようになった。でも元々松野家になってから第二の人生やりたい放題無茶しちゃったから全身傷だらけなんだよね。それで手首だけ隠しても「アッハイ」みたいな感じだけど。…というか、アレ下手したら破傷風とかヤバいことになってただろ、当時の俺本当頭弱いな。


 そして今何故カラ松に迫られているのかというとまあバレたから。カラ松はこれをリスカの痕と勘違いしているのだろう。兄弟の中で一番家族想いな奴だ、たとえ不愛想な鉄仮面の俺でも今では彼の"弟"なのであって、そんな弟がリスカしてました〜テヘペロ(・ω<) ☆とか言ったら心配になるよね。言ってはないけど。俺ならキレるけど。

 ちゃんと説明をすればいいのだが、如何せん恥ずかしいという思いが勝ってどうにも行動に移せない。それにどうにもこの松野カラ松という男、俺への信用が全くないらしい。高校時代、一人で自転車で下り道をブレーキ無しで突っ走り盛大に転がり落ちて怪我をして帰った時にただ自転車で転んだだけだと何回も説明したのに頑なに俺の事を疑っていた。そんなに俺信用ないですかね。俺が怪我をして帰ればカラ松は何度も何度も俺に理由を聞いてきた。その度ちゃんと説明するのだが、どこか納得がいっていないようで疑わし気な視線を向けてこられた。
 だから今俺が何かを言ったところで決して彼ははいそうですかと納得をすることはまずないだろう。しかし説明しないことにはこの状況を打破することは不可能だ。そろそろ作業に移りたいのだが。


「名松、この傷は何だ?」

「…」

「…まさか、リストバンドをした頃から、ずっと…?」



 Yes I am。I am yes。ザッツライトなんだがカラ松兄さん一つだけ君は勘違いをしているだろう。これはリスカではない。断じて。そんな真剣な顔をする必要はないんだマイブラザー。


「……このこと、おそ松兄さんは───」

「!!」



 その言葉を聞いて俺は素早くカラ松の口を両手で塞いだ。その名前は呼んではいけない。


 この松野家の中で一番厄介な男、それは間違いなく長男である松野おそ松だ。彼は普段は小学生クズを素で行く男だが、ふとした瞬間に"お兄ちゃん"になる。それはどういうことか、つまり、恐ろしい程に兄弟のことをよくわかっているのだ。
 例え本音を滅多に言わない一松のことでさえ何も言わなくてもちゃんと理解している辺り、本当に彼は知られたくないことを持っているときは厄介である。そんなおそ松お兄ちゃんも大好きです今度新刊出しますね。

 名前を呼んだだけで来るわけないだろう、と高を括っていてはいけない。彼は本当に脈絡のないことを仕出かす天才なのだから。今この瞬間に畳の下から「オッス俺おそ松!(バァーン!!)」とか言って登場することも無きにしも非ずなのだ。油断はできない。
 長男の彼に真相を知られたくない俺は驚いているカラ松の顔下半分を震える手で押さえつける。



「誰にも、言わないで」



 取り敢えずカラ松は口が堅いし、弟からのお願い事に弱いから多分大丈夫だとは思うが…。一先ず彼以外の人間には知られないように最大限の注意を払っておかねばならない。
 学習せずに釘で何回もリスカ風に傷付けちゃいました〜みたいなこと知られたら恥ずか死する自信がある。

 暫くお願いしますという思いを込めて俯いていたら、小さくカラ松が「……分かった」と呟いた。ほっとしたのもつかの間、急に両手を取られてカラ松の胸にダイブする。カラ松兄さんの胸筋やっべえ。


「ただ…辛くなったら、俺の所に来い」

「……カラ松兄さん…」

「俺が全部受け止めてやるから。今度こそ、逃げたりしないから」


 そう、切なそうに笑ってカラ松は俺の頭を撫でた。良いお兄ちゃんしてるカラ松ってホントシコこれ以上言ったら怒られるからやめよう。
 辛くなったらって、アレですか。人生に迷ったらってこと?でも俺とカラ松を含めた松野家男児は現在人生迷いに迷いまくってメイズ・ランナーもびっくりな迷い加減だけど大丈夫?

 ありがとう、という気持ちとお前も頑張れよ、という思いを込めて俺はカラ松の服の裾をぎゅっと握った。
 お互い頑張ろう。割と本気で。























(side_karamatsu)




 気が付けば、あいつはいつも左の手首を真っ黒のリストバンドで覆っていた。それはあいつの表情がなくなってしばらくした後だったと思う。


 俺達七つ子が成長すると同時に始まったのは自我の生成だ。小学校も終われば自然と兄弟でいる時間は減り、他の友人と遊び段々と個性が出てくるようになる。兄弟との会話が少なくなったことにあいつ、名松はいつも少しだけ寂しそうな顔をしていた。「一緒に遊びたいけど、いつも忙しいからって断られちゃうんだ」 そう寂しそうに笑った名松の言葉に同意半分、諦め半分の感情を表す言葉を俺は投げかけたんだと思う。実際に俺自身、部活や友人関係や勉強で忙しいのも事実だったからだ。

 俺達がまだ悪童だった頃も名松はいつもにこにこと笑顔の優しい子供だった。例えば、おそ松兄さんが無茶を言えばそれは俺に流れてきて、自然と俺はそれをチョロ松に流す。当然チョロ松も嫌だからと名松に放り投げる。そのまま誰か下の弟に放ればいいのに、名松は律儀に一つ一つ拾っては自ら嫌な役を買って出た。年の差はないとはいえ、兄として下の弟三人にさせるのは忍びなかったのだろう。あの時代は何だかんだでリーダーはおそ松兄さんだったが、一番振舞いが年長者だったのは名松だったような気がする。
 そんな名松がある日突然三日間程姿を消した。その時は大騒ぎで、俺も皆も必死に思いつく場所すべてを探し回った。それでも見つからなくて泣いていれば、警察から名松が見つかったと連絡を受け、その場所が病院だと知って急いで向かったのを覚えている。やっと名松が帰ってきた、とあの時は安心と嬉しさで一杯だった。だが、それは名松を一目見た瞬間に消える。


 全身傷だらけで目は光を失っていた。着ていた制服は破れてよれよれになっていたし、何より酷かったのは足の傷だ。切り傷と擦り傷、何かで殴られたような痣。警察や俺達が何があったのかと聞いても何も答えず、ただずっと真っ黒な瞳で俯いていた名松。
 医者からは「誰かに乱暴をされた恐れがあります」だとかなんとか言っていた。その時、医者は俺達という子供がいたから言葉を濁しただけだったのだろう。本当は、本当はもっと何か酷いことがあったのではないか、と大人になった今思うようになった。


 名松が変わった日から段々とあいつは学校でも孤立していった。元が笑顔の奴だったので、変わり過ぎたその雰囲気に周りも困惑していたのだろう。変わらず根はやさしいが常に真顔なので、どう反応すればいいのか、というものだったのだと思う。そして思春期が集まる学校という場所に一度変わったことが起きると一瞬で注目を浴びる。その注目の浴び方が陰か陽かで周りの反応は大分違ってくるのだ。名松は陰の方だった。
 名松に目を付けた目立つグループがあいつを陰でこそこそといじめ始めたのだ。おそ松兄さんや俺たち兄弟がいた時にはなかったが、あいつが一人になると決まってちょっかいを掛ける。帰り道なんかに襲われたりしたようで、偶にぼろぼろになって帰ってきた名松。問いただしても「自転車で転んだ」「階段から落ちた」「滑った」と嘘ばかり言う。さすがに滑ったはないだろう兄弟。

 しかし、表情が全く変わらない上日常会話でも特に辛そうな部分は見つからなかったので、名松本人はいじめに関してはあまり大事に捉えてなかったのだろうと思っていた。


 そう、思っていたのだ、あの瞬間まで。




「……名松」

「…」

「名松、こっち向け」



 壁際まで追い詰められた名松は気まずくなったのか顔を逸らす。その顔を出来るだけ力を入れないようにそっと自分の方へ向かせれば、あの日から全く変わらない真っ黒な名松の瞳と目が合った。


 偶々。本当に偶々だったのだ。忘れ物を取りに帰ってきた俺は玄関で名松だけの靴があるのを見て少しだけラッキー、と思ってしまった。あいつも何か忘れ物か、それとも今日はもう家にいるのだろうか、それなら俺も今日は予定を変更しようか、何て呑気に機嫌よく考えて居間の障子を開けた。
 中では案の定名松一人だけがいた。あいつは何か作業をしようとしていたようで、きょとんとした表情(微々たる変化だが)をこちらに向けていた。そんなところも可愛いな、と思いながら珍しくさらけ出している手首に視線を写せば一瞬で思考回路が停止する。 その白い手首には無数の傷が付いていたのだ。それも、自分で付けたであろう横長の痛々しい痕が。


 俺の視線に気づいた名松はすぐさま部屋から出ようとしたが、俺は素早くそれを阻止して壁際まで追い詰めた。そして上記へと戻る。



「名松、この傷は何だ?」

「…」




 出来るだけ優しく聞くが、名松は俯いていて答えない。どうみても自ら傷をつけたであろうそれは痛々しく痕が残ってしまっている。それも一つや二つではなくいくつも付いていて、中には手首だけではなく肘のほうにまで伸びている傷もあった。
 "リストカット" "自傷行為" そんな言葉が頭によぎる。

 そんな、どうして名松が?という思いと共に、スッと何の違和感もなく一つの言葉が俺の心に圧し掛かった。


─『自殺』─


 なぜ、今まで気に留めなかったのだろう。学校を卒業して数年も経っているからか?ならばなぜ学校へ行っていたときに確かめなかった?学生時代に道徳の時間で散々言われたはずだ。「いじめの被害者は何年経ってもされた行為を忘れることはない。逆に年を追うごとに鮮明に記憶される」と。

 名松は今までずっと一人で耐えてきたのだろうか。助けを求めることもせず、泣くこともせず、表情を変えずにひたすらに耐えて…そして、この行為を思い付いて、自分で自分を傷つけて。 いくら兄弟だとはいえ、学校生活での干渉はお互いあまりしないようにしていた。それが逆に名松を傷つけてしまっていたのではないだろうか。


 名松の腕についている痛々しい傷は、まるで自分のことしか考えずに弟が苦しんでいるのに目を背けて逃げた弱虫な兄だと嘲笑っているように見えた。



「……このこと、おそ松兄さんは───」



 それを口にした瞬間、今まで何もアクションを起こさなかった名松が初めて俊敏に動いた。俺の口を押さえつけている両手は小さく震えている。俯いているその表情は見えないが、何かを必死に耐えているようだった。


「誰にも、言わないで」



 小さく小さくぽつりと呟かれた言葉はまるでガラス細工のように壊れそうな音だ。今まで無表情だった名松が表情を歪めてまで放った言葉は、懇願に似た拒絶。俺達兄弟への拒絶だった。

 これはきっと罰だ。兄弟を捨て、兄という役目を捨て、自分の保守に徹してしまった俺への。目の前のたった一人の弟を笑顔にすることすらできない、弱虫で泣き虫な俺への罰は酷く残酷だ。
 しかし、きっと名松の方がもっともっと酷い目にあってきている。ならば、こんなことくらい耐えてみせよう。耐えなければならない。

 昔、耐えて耐えて、最期には心を壊してしまった弟を想えば、これくらいはどうとでもない。



「分かった。


ただ…辛くなったら、俺の所に来い」


 受け入れなくてもいい。信じ切ることができなくてもいい。それでもいい。お前が、たった一人で耐えてきた長い歳月を棒に振ってしまうくらいなら、俺は一人でお前からのすべてを受け止めよう。


「俺が全部受け止めてやるから。今度こそ、逃げたりしないから」


 今度こそ間違えたりしない。
 絶対に、お前の手を離したりしない。だから、頼む。



 どこにも行かず、ここに居て。



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