アルバイト(仮)



 とりあえず、二、三日は安いカプセルホテルに泊まりその間に不動産屋に行ってこれまた安いけど割と良物件のアパートを契約させてもらった。いやあ、可愛いって得だね本当に。素性も知らない私に大家のおばさんもにこにこしながら対応してくれたし、私が身一つの家具などがないと知るともう使っていないという布団を一組差し出してくれた。本当にありがたい。いつか恩返しをせねば。
 最初からあった丸い机とマット、それと小さな棚と布団以外は本当に何もないこの部屋。絶対に毎日使う生活用品以外は無駄のない綺麗な部屋に、寂しさよりもこの綺麗な状態をどれだけ長続きさせられるかと私は緊張していた。他人の部屋や共同場、公共の場所などは綺麗に使いたい綺麗好きを気取っていたが、私自身の部屋は自分しか使わないので遠慮がなくなり一ヶ月ほどではちゃめちゃになるなんてザラだったのだ。ここではお金もないし余計なものは一切買わないようにしておこう…。



「口座がこっちでも使えて本当よかった…」



 実家暮らしだったため、親への家賃や税金などしか大きな出費はなかったのでとりあえず貯蓄は微量ながらあったのが幸いした。何故なのかはこの際深く考えない。 しかしそれでもさっさとバイトなりなんなりで就職先を見つけないと拙い。
 この際我儘なんて言ってられない。もう私に職場はないのだ、フルタイム、むしろ時給の高い深夜にでもシフトを入れてもらってでもお金を稼がなければならない。バイトの掛け持ちになってしまうがまあ仕方ないだろう。背に腹は代えられん。

 大丈夫きっと大丈夫大丈夫。この世界での私の顔面偏差値はどうやら割と高い部類に入るようで、"可愛いは正義"を地で行く二次元の世界ならなんとか就職先にありつけることができるはずだ。……できるはずだ。
 ただ心配なことがある。 私は自他共に認めるクソコミュ障だ。他人の目を見て会話をすることが満足にできない、発言の初めに必ず「あっ」等がつく、言葉の節々にどもりが発生するという何ともまあ救いようのないコミュ障なのである。
 あの時おそ松やチビ太とまとも(?)にお話ができたのは奇跡と言っても過言ではない。恐らくはキャラクターとして事前にある程度のことを知っていたからというのが大きな理由なのだろうが。

 しかしいくら二次元と言っても自分たちの意志で動いて考えて結果をもたらすこの世界。リアルと違う事と言えば造形だけの現状で、果たしてゼロスタートの私はきちんとやっていけるのだろうか。不安だ。



「……そうだ、外行こう」



 取り敢えず何か行動をしないことには何も始まらない、そう思った私は近所を散策してみることにした。



 外に出ると周りは平和そのもので、いくら二次元とはいえうろちょろと楽しそうに動いている子供も、井戸端会議中の奥様方も本当に生きているんだなぁと今更ながら感動と共にしみじみ感じてしまう。

 …それと同時にプレッシャーが押し寄せてくる。今、あの"チビ美ちゃん"という美少女の顔を借りて(?)いる私はちゃんと分不相応の行動ができるだろうか?
 かわいい子は何やってもかわいいだなんてそんなの幻想だ。確かにある程度までなら許せるが、やはり許容範囲というものがあって、そこから逸脱してしまえばすべてが水の泡だ。美少女"チビ美ちゃん"のイメージをがくんと落とすこととなってしまう。

 別に誰に見られている訳でもないのだが、いちコスプレイヤーとしてあまりイメージにそぐわない行動を取るのは極力慎みたい。私のくだらないゴミみたいなプライドである。

 ハァァ…と重たい溜息をついたとき、顔面にべッと何かが張り付いた。
 「ひょほぁ!!?」なんて意味不明な悲鳴を上げながら慌ててそれを引き剥がす。…早速醜態を晒してしまったおうち帰りたい…。


 手に取ったそれはチラシでどうやら風に乗ってここまでやってきたらしい。なんだよもう、迷惑な話だ。しかし一度取ったそれを再び地面に捨てるのは憚られたので、近くのゴミ箱かコンビニまで持っておこう。


「……ん?」


 折角だからとチラシの中身を確認すると、そこにはでかでかと『バイト募集中だス!!』とプリントされていた。

 …だス、って、まさか…。


 そう思いながら立ち止まって内容を読み進めていくと、どうやら思った通りデカパン研究所のバイト募集のチラシだった。一体なんて偶然…。
 内容は『労働時間9:00〜15:00までのどこか二時間程。仕事内容は主に書類整理や雑用だス!』となっており、時給はどこにも書いていなかった。
 しかし松ラーの私から見ればデカパン研究所で働けるなんて「何それご褒美ですか?」状態である。これは就職先が決まったようだ。 …今も募集して且つ採用されたらの話だけどね…!

 とにかく善は急げとばかりに私は裏面に書いてあったひょろひょろとした地図を頼りに研究所へ足を進めた。



***




「こ、ここか…」



 ごくりと生唾を飲む。緊張で手汗がヤバい。……あれ、これ履歴書とかいるのかな?というか、私こっちで戸籍とかあるんだろうか…どうしよう今になって心配になってきた…!
 なんで今更?とか思うけど…だ、だって部屋借りる時とか保証人だとかその辺全然聞かれなかったんだもん…!なんでか知らないけど…!

 研究所の扉の前で叩くポーズのまま静止している私は滑稽だろう。ああ…あああ…身分証明書とかいるのかなあ…まだ印鑑とかも買ってないし…というかこういう時って面接の予定を入れてもらうところから始めないといけないんじゃ…今日はやめとけばよかった…!
 いつもの一旦はまったら中々抜け出せないネガティブ思考がぐるぐる回る中、ふいに目の前の扉がウィーンと音を立てて開いた。…あれ、私まだ何もやってないよね?


「ホエ?チビ太君?どうしただスか? というより、そ、その姿は…」

「あっ、は、はじまっ、はじめまして!」


 突然のことに冷静な思考回路を失った私は声を裏返しながら目の前の人物、デカパン博士に挨拶をする。声の音量を間違えた。デカパンがびっくりしたように目を剥いている。すみません…。


「わたっ、みょうじなまえって言います! ああああの、ち、チラシを見て…バイト募集の…っ!」

「お、落ち着くだス、深呼吸深呼吸」


 目に見えて混乱の域に達している私を見かねてデカパンは優しく言ってくれた。他人に迷惑かけてるって分かると本当に死にたくなる。
 私は言われた通り深呼吸を一度し、うつむき加減にデカパンを見やった。


「…あの、ごめんなさい…バイトの、チラシを見て、ここまで来たんですけど…」

「チラシ…ああ!もしかしてバイト希望だスか!?」

「え、あ、一応…はい…」



 あああ…気を使われているのだろうか…!ほんと受け答えポンコツですみません…!!こっちにきてから私謝ってばっかだな…!


「いや〜助かっただス! 募集は掛けたはずなのに一人もこないからもう諦めてたんだス!」

「ふぇ、ふぇあ…」


 意味不明な返事をしてしまったはまったく突っ込まれなかった。いい人だ。「知り合いに随分似てるだスな〜」と言っていたが、うん私もそう思う。むしろチビ美ちゃんリスペクトみたいな感じだからね。

 デカパンは「さ、入って入って」と促してくれる。あれ…面接とかしなくてもいいのかな…。 アポなしで急に来たのに受け入れてくれるのはありがたいが、もう少し警戒心を持った方が…いや私が言える立場じゃないかもしれないけど…。


「さて、えーっと…なまえちゃんでいいだスか?」

「は、はいぃ…!」

「ああ、そんなに固くならなくていいだス!もっとリラックスして!」



 あのデカパン研究所内で、あのデカパンを前にしてリラックスなんてできるわけがない。無駄に肩に力が入りまくっている私にデカパンはにっこりと笑いながら手を振ってくれた。あばば…可愛い…!


「それで、うちのバイトに入ってくれるだスか?」

「は、はい! あの、そちらが良ければ、ですが…!」

「全然良いだス、むしろ大歓迎だス! 他の従業員もきっと喜ぶだスよ〜」

「他の…?」



 って、ダヨーンだよね?結構、今日までの道行く先々で見かけたような気もしないこともないんだけど…。いやでもアレ大量生産されてるしなぁ…。話変わるけど班長一松ってなんかそこはかとなく雰囲気アダルティじゃないですか?


「君の他にもう一人従業員が…あ、丁度来ただス」

「へ…――だっ」

「ホエ?」

「あ、な、んでも、ないです!!」



 やっぱりダヨーンだった。しかし服装が、服装が…!! なんでメイド服…!?
 思わず声が出そうになってしまった。ビビった。似合ってるのがなんか悔しい。

 ダヨーンはお盆を持っていて、そこにはオレンジジュースと思わしきジュースが乗っていた。ダヨーンはにこ、と人好きのする良い笑みを浮かべてそれを私に手渡してくれる。


「…!あ、あ、ありがとうございます…!!」

「だよ〜ん」



 ダメだダヨーンが癒し過ぎて辛い。この人こんなヒロイン紛いのキャラだったのか…。デカパンは私たちの様子をみてホエホエと笑っていた。



「それじゃあなまえちゃん、シフトの希望なんかはあるだスか?」

「えっと…特にない、です…すみません…」

「いやいや、こっちも助かるだス」



 無計画の愚鈍さを思い知った私。計画性のある人間になりたい。

 デカパンはダヨーンの持ってきたカレンダーとにらめっこをし、やがて私に一つの月を見せてきた。



「基本的には平日か休日かを選べるんだスが、どっちがいいだスか?」

「両方で」

「両方!? い、いやいや…!流石にそこまでの労働を強いるつもりはないだス!」

「え?」

「え?」



 私がきょとんとした顔を向けるとデカパンも同じような顔をしてきた。何それ可愛い…。



「あの…その、本当に…朝から晩までフルタイム年中無休でもいいです…!」

「そこまで!? ちょっと落ち着くだス!若者が時間を労働だけに割くなんてもったいないだスよ!」



 逆に労働以外に何をしろと…?二次元だからこそここは何をどうしても労働に時間を割いて日常生活を送るキャラクターをひっそりと見守ることが先決なのだから。



「ええと、ち、因みになまえちゃんは今一人暮らしだスか?」

「は、はい、アパートで一人です」

「それじゃあ夏や年末年始は休みが欲しいだスね」

「あ、いらないです…」

「ホエ!!?」



 手を振ってNOを示せばデカパン博士とダヨーンは目を剥いて驚いた。そ、そんな驚くことだろうか…。
 長期休暇なんて友人がいない私にとっては悪夢の時間でしかない。アパートで一人寂しく時間を潰すだけの毎日なんて耐えられない…かと言って外に出てしまえばお金を使わない自身なんてないので無暗に出るわけにもいかない。キャラクターのエンカウントとSTKしかやることがなくなってしまう。それは流石に人として終わっているので回避しなければならない。


「え、え、で、でも実家に帰ったり…!」

「えぁ、じ、えと、実家、は…」



 ない、です…。

 そう気まずげに、最後の方はぼそぼそとした音量になりながら言えば二人はガァァァン!という背景を背負った。あ、すごい…めっちゃ二次元…!あれ私もやってみたいなぁ、どうやってするんだろうか。
 間近で見た二次元構成の一つに心が少しだけwktkしたところで目の前の二人の目から大量の涙がこぼれだした。


「!? あ、ェ、ファ!?」

「し、シフト以外の時間も…遊びに来ていいだスから…!!」

「だっよ〜ん…!」



 盛大に誤解されてしまっているようだ。確かに、年頃の女の子がアパートに一人暮らし、なのに実家がないだなんて悲劇的妄想をしないほうが難しいだろうな。誤解を解こうにも自分のミジンコみたいなボキャブラリー量で、肝心なところを隠してかつ上手い言い訳が思いつかない。


「あああの…!ち、ちが…!」

「もう何も言わなくていいだス…!」



 ひえええ…あらぬ誤解だあぁ…! いくら訂正しようとしても受け入れてくれない、むしろ深みにずぶずぶ嵌っていってしまっている感が否めない。


 結局誤解は解けぬままあれよあれよと私のシフトは決まってしまった。朝の十時から二時間以上なのでお昼を挟む感じになっている。しかも月曜から木曜日までしかないのでかなり暇になってしまった。
 コンビニの夕方から深夜までのバイトを入れてみようか。あの時間帯は時給が高くなるし。

 すっかりオレンジ色に染まっている空を眺めながら何にもないあのアパートへと歩いて帰る。そうだ、この世界には私の原付もないから、自分の足で移動しなくてはいけない。携帯も圏外をさしているので電車やバスの情報を見ることもできない。どうしても見たいなら図書館などに行って無料サービスのパソコンを借りなければいけないだろう。
 …半ばネット依存症の自分としてはきついものがある。何せ今まで癒しだった自分の部屋がなんの暇つぶし道具もないただの寝泊りするだけの空間へと変わってしまったのは痛手だ。ただの単身赴任用一人暮らしのアパートなので固定電話も存在しないし。一応ネット回線はついているのだが。


 お金を稼ぐまでは我慢だな…と思いながらとぼとぼと歩く。そう言えば時給聞いてなかったんだけど、何円だったんだろう…。
 そんなことを思いながらもうすぐ自分の住むアパートだと足のスピードを速めたところで、曲がり角で誰かとぶつかってしまった。

 どん、と軽くも重くもない音がして身体がよろける。しかし相手はそんなにスピードを出していなかったのか、あまり強い衝撃は来なかった。


「あ、ご、ごめんなさい…!」

「い、いえ…」



 よそ見しててすみません…! ペコペコと謝っていると相手も返事をしてくれる。それはかすれたような低い声で、聞き覚えのある私はバッと顔を上げた。



「…っ!!」

「! お前…」



 そこに立っていたのは紫のパーカーを来た猫背の彼、松野一松だった。
 すんげえ偶然…! うわあ、本当に本物の松野一松だ…!!

 彼は私を見た瞬間怪訝そうな顔をした。まあそうなるよね。しかし今日の私は何と言っても服装が違う。ツインテールはもうチビ美ちゃんのアイデンティティのようなものなので崩していない(どうせそのうち崩れるだろう)が、服装はあの可愛らしい余所行きのものではなく普通のラフな格好をしているのだ。カチューシャとリボンだってこの格好には似合わないからしていない。


「…あ、あの…お怪我は…」

「えっ、あっ、な、なぃ…です…?」



 そう言えば一松もコミュ障なんだっけ。コミュ障とコミュ障が会話したらこうなるのかぁ…。訪れた痛い沈黙に私の胃は早々と悲鳴を上げる。私本当一対一で対峙した時の沈黙苦手なんだよなぁ…! 相手は何とも思ってないんだろうけど、居た堪れなくなるって言うか…!


「え、っと……で、では…」

「あ、は、はい…」


 お互いぎこちなくぺこりとお辞儀をしてすれ違う。

 あああああ私のバカ! 憧れのキャラに会ったのならもうちょっと会話くらいしてけばいいのに!! まあ無理なんですけどね! 普通に考えて初対面の人と話すことなんて全然ないよね今この状況とか特にそうだよね!
 ハァ…行動力のある人間になりたい…。 ……ちゃんと人の目を見て話せる人間になりたい…っ。


 せっかくのエンカウントを無駄にしてしまった私は肩を落としながらすぐ目の前にあるアパートへと帰っていく。
 おそ松のコミュ力が欲しいなァ…。


 …あ、明日コンビニ探さないと…近場の…。 ハァ……。

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