ヒトの身を得て、まず最初に不要だと思ったのが痛覚とやらであった。
己を振るうためには最も適当なのが人間の男の形であることは理解に難くなく、さらに主が年頃の女だというのなら尚更。
ヒトの身となった自分の見てくれについてはイマイチ価値がわからなかったものの、反応を見るに、随分と良く仕立てられているのだなと面白い心地であった。上から下まで全てが都合の良い作り物である恩恵は、正直、驚くほど多くて満足していたのだ。そう、痛覚以外は。
日常生活の中でもそこかしこで襲い来るこの痛みとやらは、元来はヒトが危険察知したり不調を自覚したりするための生きていく上で大切な機能であるという。ヒトの身のおまけよろしく付いてきたこれは、なるほど随分と強烈なものであった。
痛みというものはその実、恐れと隣り合わせであると身をもって知った時、ガンと目の前が暗くなる心地で、怒りがふつふつと沸いた。俺たちは戦をするために生まれたはずである。だというのに、こんな機能は役割を邪魔するだけのものだろうと、静かに苛立った。

戦闘中や中傷より上にいけばいっそ痛みもなくなるからいいものを、存外、軽傷の時が最も苛つく。
出陣から帰還して即、中傷の者を手入れ部屋に送り、軽傷の俺がざっと報告を行った。
無傷ではないのだからと手入れ待ちとなって少し、鼓動と同じ間隔で痛む傷をぼんやりと眺める。こんなもの、刀剣男士なるものから何より早く無くすべきものであろうに。何百と思ったことを今日もまた思う。


「鶴丸さん、先に手入れしちゃいますか?浅い傷の方が中途半端に痛いでしょう」

「……いや、大丈夫だ。軽傷でも短刀の奴らを優先してやってくれ」


せめて止血だと布が当てられる手をそっと押し留めて、まだらに血で染まる自分の袖で抑えた。
久々に随分とやられて帰ってきてしまったからか、あるじの顔色はほんのり青く、その様子に思わず、きみ、いい加減慣れなくっちゃなあと苦笑した。
手入れをされれば傷も服も全てが美しく治るたび、驚きと共に、己がヒトを形づくっただけのモノであることを思い知る。神と呼ばれはしているものの、それにしたって俺たちは人間に近い形をしすぎていて、人間のような機能を備えすぎていて、同時にモノの自覚がありすぎる。
付喪神というものはモノが神へ格上げされたものであるとも、神になりそこなったモノの末路であるとも耳にしたことがあるが、ああ、はて、俺はどちらだろうかと目を閉じた。
襖ひとつ向こうで手入れ中の連中はただ無様に負けたわけではないことをきちんと報告しなくてはならないことを忘れぬよう頭に刻む。戦場での自分の非を強く胸中に刻む。悔いは悔いとしてしっかりと残し、だが次に引きずらぬように、次に活かすようにと頭を回す。
切り傷、擦り傷、打撲の全てがうっすらと責めるように鳴り響く中、一等深い切り傷にあるじの手が触れ、つるまる、と声が落ちた。


「おいおい、謝るんじゃないぜ。俺が惨めになるだけだ」


肩を揺らして笑って見せれば、つられて笑う顔は半分泣きそうな空気を宿している。
キスしたら痛覚は鈍るらしいと続く言葉に今度こそ心から笑って肩が揺れ、全身の傷が痛んだ。きみなあ、それは戦闘中に興奮していて痛みがないのと同じだろうに、触れるだけの一度で魔法のように無くなるわけじゃないだろうよ。返す言葉に「それはそう」と笑うその指先が俺の血で薄らと染まっている様はひどくうつくしく、ひどくおぞましい。
試しにやってみるかと口づけた唇の震え。相変わらず痛む全身も、たった一瞬だけでも軽くなったような気持ちも、それら全てがまるで本物のようで眩暈がする。
痣も傷も瘡蓋も、切れた髪も汚れた服も、手入れの順番が回ってくれば何もかも無かったことになるのだ。そのたび、俺はあくまで刀剣男士なるものであるという現実が静かに全身を浸す。

きみ、せめて愛されるのなら、完全な神様にそうされたらよかったのになあ。
果たして俺はどこまで神様で、どこまでモノで、そしてどこまであいしたものを守れるのだろうか。
ああでも、たしかに、人間の娘を愛するのならばきっと、この姿の全てが正解であるのだろう。冷たい指先をゆるく擦ってやりながら、俺は大丈夫だと、心の底から笑って見せた。

恋とやらに落ちて、まず最初に不要だと思ったのも痛覚とやらであった。
俺は戦場にあることを第一とされ、第一としているのだから、この程度の傷など当たり前の身だ。だというのに、いつまでたっても驚くほどに慣れやしない。
戦場でならいっそ派手で景気のいい赤も、本丸の中では隠せもしない。好いた女を泣かせるものなどひとつたりとてない方がいいに決まっているだろうに。なんて、俺もまた随分と人間らしくなったよなあ。

驚くかい?驚くんなら、なあ、いとしい子、どうか笑っておくれ。



その恋、全治せず


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230709


Rondat