「つるまるさん」


障子を挟んで呼ばれた名に、思わず肩が揺れた。
たった今廊下の板の上に置いたばかりの白のつつじをどうしたものかと眺めながら、そっと姿勢を正して立ち上がる。
今日で二週間ほどになるであろうか、この小さないたずらもどうやら終息せざるを得ないようだ。この時間は部屋にはいない筈であるのに、ご丁寧に明かりまで消しているあるじに思わず苦笑が漏れた。


「ばれてしまったか、はは、存外長かったような気もするな。どうだ?この少しの期間、きみに新鮮な驚きは贈れたかい?」


お手上げだ、と両手を掲げて笑ってみせると、ほんの少しの躊躇いとともに障子が開く。暗い室内に潜んでいたらしい我が主は、俺を一瞥してからそっと白のつつじを手に取った。
花びらをつまみ、くるりと回して眺めた後に手のひらの中へとつつじを収め、ぽつりと声をこぼす。


「…誰かと思ったら、鶴丸さんだったんですね」

「おやおや、見当くらいは付いていたんじゃないか?」

「見当は…ううん」


「置いて行くものが可愛らしすぎて短刀の子かなって」と続いた言葉に、ぐうと喉が鳴った。
あまり気取った物でも面白くはないと、今のように花であったり時には蜻蛉玉を三つであったり、菓子を小さな箱に詰めてみたりと、一日たりとて被るもののなかった物たちを覚えているだけ思い出してみても、なるほどそれは子供の精一杯の品と言えばしっくりくるような物ばかりであった。
全くもって意識していないところを「可愛らしい」などと称され、自覚すると共に増す恥ずかしさのなんという居心地の悪さ。


「…あまり気取った物だと俺だとばれそうだろう」

「たしかに!あはは、だまされちゃいましたねえ」


月明かりを背に受けているおかげで俺の恐らくはほのかに赤いであろう頬には気がつかず、あるじはくすくすと笑いながらもう一度つつじを一撫でし、座りなよと床を叩いて部屋へと戻って行った。
明かりでもつけるのかと首を伸ばして様子を窺うと、何やら文机の上の箱に手を伸ばしているようである。
「なんだ、お返しでもくれるのか?」などとからかってみれば、「違いますう」との笑い声。
何やらごそごそと動いた後にその箱を抱えて戻ってきた姿に、明かりはつけないのだなとぼんやりと思いながら座り直すと、我があるじはいたずらっ子のような瞳で箱を俺の目の前に置いて、開けた。


「…こりゃ驚いた」


たいして大きくもない箱にぎゅうぎゅうに詰められていたのは、そう、まさに俺が毎夜毎夜この廊下へ置き去りにしていった物たちであった。
花は押花にされ、菓子は包み紙が丁寧に畳まれ。折り紙、蜻蛉玉、美しい帯留め、髪紐、全てが大切に敷き詰められている上に、先程のつつじがちょこんと鎮座している。


「…きみも、俺に劣らず可愛らしいことをしているじゃないか」

「鶴丸さんだってわかってたら、お菓子の紙は捨ててたかも」

「おおっと、傷ついたぜ」

「おおっと、それはごめんなさい」


俺の口調を真似してみせながら箱の蓋を閉めると主はそそくさと姿勢を正して座り直し、口篭りながら己の指と指を絡めて俯いた。さらりと落ちる髪が月光を反射するのを見つめて、己には備わっていない色彩はいつ見ても美しいものだと感嘆する。


「ご丁寧に着替えまでしてきたから、影だけだと一瞬誰かわからなかった」

「はは、それにしては見破るのが早かったな」

「鶴丸さん以外だったらわからなかったってば」

「お…照れるねえ」

「もう、からかわないでください…というか、いつまで続けるつもりでいたんですか?」

「無論、きみにこうしてばれるまでのつもりだったが」


どうやら予想通りの答えであったらしい。だろうねとでもいった風にやわらかく苦笑され、月明かりのもとで髪が揺れた。


「どうしても気になってこうしてみたけど、少しだけ勿体無いなあとも思っててね、何かのおとぎ話みたいだったんだもの」
「…!」

「初めて部屋の前に贈り物が置いてあった時、真っ先に『何か動物を助けたっけ』って思っちゃった」


素敵だった、ありがとう、と俺の手を取るその瞳に息が詰まった。
俺のなんとも稚拙な行動の真意を、この娘はきちんと受け止めてくれていたようだ。それがどうにも嬉しく、同時にくすぐったく、頬が緩む。


「…まさしく真似事のつもりだったからなあ」

「えっ…うそ、当たってた?」

「大当たりも大当たり。俺の名にお誂え向けだろ?鶴の恩返し、ってな」

「それは少し違うんじゃないかなあ」


鶴の恩返しはねえ、と人差し指を立ててみせたその手首をそっと掴んで止めてやる。
ひとのことを細い細いとうるさい癖に、きみの方が手首はこんなにも細いんだよなあ。悠々と手のひらへ収まる手首の細さはいつ実感してもこのまま握り込めば折れてしまいそうだとゾッとする。そのままわざとらしく焦れったく手を滑らせて指を絡めれば、泳ぐ視線と染まる頬。


「なああるじよ、俺はきみに恩返しがしたいんだ」


このまま手を引いてこの腕の中にしまい込んでしまうのも捨て難いが、それは今は我慢することとした。
からかうなとでもいうように力を込められた指にすまんすまんと笑い、不服そうに続きを促される声を飲み込むように、そっと息を吸い込んだ。


「俺はこうして、この姿で、ここへ立てることがとても嬉しい。毎日生き返るような心地だ」

「そんな、大袈裟な」

「大袈裟ではないさ。…だからこその恩返しってやつでな。ただ、単に贈り物をするだけじゃあ少しばかり面白みがない」


だから、少しばかりの驚きと共に、誰からかわからない小さな小さな幸福を毎日届けてみたかった。
そんなこっぱずかしいことは言えるはずもなく、「なかなかの趣向だったろう?」と代わりの言葉を紡ぐ。
あるじはといえば相当お気に召していたようで、箱を撫でながらひとつ頷いてくれた。


「…さて、ここで突拍子もない質問で悪いが、俺がこの姿になり最も嬉しいことは何だと思う?」

「ええ?……お、驚きを味わえること…?」

「ああ…惜しいな」


予想通りの返答に苦笑をしながら、握っていた手を引き寄せて、額をつける。瞼を下ろした闇の向こうの娘の表情を思い描きながら、何かを言おうとするのを遮って声を放った。


「ありがとう」


たったそれだけの言葉に、あるじの手はわかりやすく震えた。
顔を上げ、目を開き、視線を絡めてもう一度。今度は黒の瞳とまつげがそっと震えた。


「この言葉を、贈ることが出来ることだ」

「…え」

「刀というものは、人に造られ人に使われ、人に壊され、人に捨てられ、そして守られ、愛されもする。そうして俺たちの原点である…なんだ、魂のようなものがうまれるだろう?」

「…」

「だが、当たり前だが声はない。動けもしない。伝えようがない。それが俺にはもどかしかった」

「…うん」

「…なああるじよ、俺は沢山のところを渡り歩いてきて、それはそれは沢山の感情を覚えたものさ」


喜び、幸福、憎悪に悲哀、数えるように口にしていくたびに、あるじの表情が曇っていく。
そんな顔をするなともう片方の手で頬を撫でてやれば、なんとも弱々しいこえで、つるまる、と呼ばれた。


「…その中でも、思えば、俺が最も伝えたかったことは感謝だと、そう感じる」

「…」

「だから、きみにこそ…こうして俺をここへ呼び、沢山のものを与え、側に置いてくれているきみにこそ、飽きるほどに伝えたいと思っているんだ。…ありがとう」


だからと言って馬鹿の一つ覚えのようにありがとうありがとうと言い続けては俺の方が飽きてしまうし退屈だから、新鮮さを忘れずに伝えていきたい。今回のはその一貫である、と続けるうちに、堪えきれないとばかりにふきだされてしまった。


「そこで満足しないのが本当に鶴丸さんらしいなあ、もう、好き」


あまりにも自然に贈られてきた最後のひとことが耳に届いた瞬間に全ての機能が停止する。
静まり返って数秒、自分の言葉に気がついたあるじの耳が色づききるのを見る前に、俺はその身体ごと腕の中へと収めていた。
ああそうか、その言葉もあったのであった。
すきだ、と噛み締めるように呟けば降参だとばかりに深い溜息の後に全体重が預けられる。
髪から覗く耳が赤い、ほのかに体温が上がった。風呂上りだろうか、石鹸の香りがする。そんな風にして与えられた五感全てを使いながら、それを与えた張本人を抱きしめ、明日からはこの無性にかゆく温かく甘い感情も共に伝えなければなあと決意した。


「ああ、本当に、伝える術があるということは有難いものだ」


明日はどうやってこの気持ちを伝えようか、たったそれだけを考えるだけでこの胸は疼き、指先まであたたかななにかで満ちていくような気がする。
きっと大袈裟だと笑われてしまうだろうが、どうにも俺にはそれが楽しくて堪らないのだ。
小さく形にしてみた「ありがとう」を余すところなく箱へとしまってしまうようなあるじにこの感情を贈ることが出来るということに、また一つ感謝の言葉を胸の内で叫びながら思い切り抱きしめてやると、お叱りの言葉と共に容赦無く背中を叩かれてしまった。



くちびるから愛をうむ



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150521
240326 加筆修正


Rondat