11


三木に案内されたのはホテルのVIPルームと思われる部屋で、広い室内を見渡すと一級品の家具や調度品が揃い、上品な空間だった。


「入りなさい」


そっと背を押され、入室する。
扉が閉まる前、ナマエは片方のピアスを外し静かに廊下に落とした。


「寛いでいると良い。飲み物を用意しよう」
「まぁ、それなら私が」
「いや、良いんだ。女性への持て成しは当然の事だろう?」
「そうですか…では、」


御言葉に甘えて、と持っていたバッグをソファに置き、窓際に移動する。

夜景を見るフリをしながら、窓に映る三木の動きを観察するナマエ。
わざわざ此方に背を向けてワインを準備する三木を見て、ナマエは目を細めながら言葉を発した。


「夜景をこんなに綺麗だと感じたのは初めてだわ」
「そうかね?この程度のホテル、君の主人なら幾らでも手配出来るだろう」
「…主人は私の事を飾りとしてしか考えていませんもの。私の為に使う時間も金も、あの人の中には存在しません」


それに、と伏し目がちに続ける。


「私、知ってしまったんです」
「…何をだね?」
「あの人、ポートマフィアの一員なんです」


ナマエから発せられた言葉に、三木のグラスを持つ手がピクリと反応する。


「私の両親はポートマフィアに殺されました。いつか仇を取ろうと思いながらも…私は無力です。親を殺した組織の一員である主人を憎みながら、私はこれからも…」



そう云いながら窓の外に視線を移すナマエに、三木は静かに歩み寄る。
その口元に笑みを浮かべているのを、窓越しにナマエは見逃さなかった。


「…失言でした。今の話は忘れてくださいな」
「私が仇を討ってやる、と云ったら君はどうする?」
「…え?」


三木に渡されたグラスを受け取り、ナマエは信じられないと云った表情で男を見つめる。


「私は仲介業者を買収して、マフィア連中が海外から密輸した薬を私の組織が押収している。今に奴ら密輸ルートを全て潰し、壊滅させてやるさ」


自信に満ち溢れた表情で語る三木を、ナマエは冷やかに見つめながらある種の同情の念を抱いた。


嗚呼彼はマフィアの本当の闇を知らない。

そしてこの後の自分の末路も_____



「無理ですわ。奴らに敵うはず、」
「まぁ落ち着きなさい、まずはこの善き日に乾杯をしよう」


静かにグラスを合わせると、チンと高い音が広い室内に響いた。
三木に促されるまま、ナマエはグラスに口をつけ赤い液体を体内に流し込む。


(…睡眠薬か、筋弛緩剤ね)


予想通り、口に含んだ瞬間混入された薬の気配を感じたがナマエは構わず飲み干す。
ナマエが気付かず飲み干したと思っている三木は、にやりと笑う口元を隠す事なく自分もワインに口を付けた。


「心配は無用。私にはとっておきの切り札がある」
「切り札、ですか?」


「マフィアの中に間者を潜ませている」




間者、という単語を聞き今回の真相の全てがナマエの中で一本の線で結ばれた。
自慢げに饒舌になる三木を見やり、そろそろ頃合いかとグラスを床に落とした。


「…っ!」
「おっと、すまないな。此れでも私は用心深い人間でね。少し盛らせて貰ったよ」


なに、人体に影響は無いさ、と倒れこむナマエを受け止めると其のまま抱き上げ、ベッドルームへと足を進める。

上質なシーツにナマエを寝かせ、その身体の上に跨る三木。それを見上げ、ナマエは吐き気すら覚えたが、この男にはまだ聞きたい事がある為表情には出さず演技を続けた。


「三、木様…」
「怖がる事など無い、少し身体が動かなくなるだけだ。私に全てを委ねていれば良い」


獣のように荒くなる呼吸音が耳に響き、思わずナマエは眉間に皺を寄せた。

ドレスの留め具を外し、真っ白な柔肌が露わになると三木はあまりの透明感に息を飲んだ。
ナマエが抵抗しない事を確認しながら、滑らかな肌に舌を這わせながらドレスの裾をたくし上げていく。


「…本当に、同じ男として考えられない。こんなにも美しい妻を持ちながら何故君の主人は興味を持たない?」
「は…っ、あ」
「手中に収めた一級品には傷すら付けたくないのか、…実は君に何か秘密があるのか」
「駄目です三木様…、やはり彼らを壊滅など、無謀です」
「…何だ、まだ心配していたのかね?」
「間者を潜らせても…いずれ露見します。そうしたら三木様にもマフィアの手が、」
「問題無い」


ナマエの脚をゆっくりと撫でていた三木の手が止まり、身を乗り出した。
顔の横に両手を置き、ナマエの顔を覗き込んで口を開いた。


「輸送管理班に潜らせている間者は裏社会の中で薬物取引や密輸に精通した男だ。マフィアの連中に感づかれる可能性は無いに等しい。それに、万が一露見した所で私に奴らの手は届かない」


ナマエの首筋に手を添えながら、三木は汚い笑みを浮かべ言葉を続けた。




「間者の男の妻子の命は私が握っている」




三木の発した言葉に、ナマエは目を見開いた。

彼女の反応に気を良くしたのか、三木は口角を上げながら饒舌に語り始めた。


「あの男には任務の失敗は家族の死に繋がると教え込んでいる。多少の無茶をしてでも任務は遂行するだろう。もし仮に仕事が滞ったならば、奴は自ら死を選ぶ。つまり、組織の事はもちろん私の事などマフィアが知る術など無くなる訳だよ」
「…流石、三木様ですね」


ふわりと笑みを浮かべるナマエ。




「それならば」


「貴方を殺しても問題は無いですね」




ナマエの口から発せられた言葉を理解出来ず、三木は呼吸する事も忘れ硬直した。

そして瞬きをした瞬間、首筋に激痛が走り我に返る。

視線を下ろすと、何時の間にかナマエの右手には小さなナイフが握られており、怪しく光を反射させる刃には鮮明な赤が滴っていた。
ナイフに付いた血が、真っ白な彼女の肌に飛び散った血が自分の物だと気付くのに予想以上に時間がかかった。状況を把握出来ず、血と共に汗が噴き出す。


何故だ、何故、


「…なっ、」
「何故動けるのか、と仰りたいようですが、混乱で達者な口が回らないようですね」


一瞬のうちに男を押し倒し、今度は三木がベッドに仰向けになる。

そこで三木は初めて気が付いた。

自分の身体が動かない事に。



「私はあらゆる薬物に対する訓練を受けています。故に、薬は効きません」

ベッドから降り、三木に背を向けて歩くナマエ。

「今貴方の身体が動かないのは、このナイフの刃に毒が塗ってあるからです。嗚呼、でも御心配なさらずに。死に至る量じゃありませんわ」

血で濡れたナイフを床に落としながら、ゆっくりとソファに近付き先程置いたバッグを手に取る。


「貴、様…!何者だっ…!?」
「あら、失礼致しました。言葉が足りませんでしたね」


そう云いナマエがバッグの中から出したモノを見て、三木は目を見開いた。



「申し遅れました。ポートマフィア特別幹部の一条と申します」


言葉と同時にサイレンサー付きの拳銃を付きつけるナマエを見て、三木は驚愕の表情を浮かべた。


「幹部、だと…!?真逆、初めから全部…!」
「用心深い人間だ、と貴方は云ってましたけど」


三木の言葉を遮り、ナマエは声を発する。

乱れた纏め髪を下ろし、銃口を三木に向けたままゆったりとした足取りで再びベッドに近付く。



「会場の受付でのボディチェックも無し。この部屋にも見張りは無し。自信過剰なのも結構ですが、それでは足元を掬われますよ」


ああでも、とナマエは男に跨りながら銃口を額に合わせる。


「もう掬われる足元も無くなりますね」


言動や行動からは想像も出来ない、綺麗な笑顔で自分を見下ろすナマエからは恐怖しか感じず、三木は口を震わせた。


「た、…助け…!!」
「三木様」


すっと目を細め、氷の様な冷たい瞳で濁った三木の目を見つめる。
そして近くにあった枕でその視界を塞ぎ、顔を覆った。




「そう助けを請うた間者の男と家族に、貴方は何と仰ったのですか?」




独特の発砲音と共に枕に詰まっていた羽毛が飛び散った。

ふわりふわりと舞う羽を、ナマエは静かに見つめていた。





「オイ、計画と違うじゃねぇか」


何時の間にか部屋に入ってきていた中原が、三木の首を掻き切る筈だったナイフを仕舞いながら声を掛けた。

当初の計画であれば、ナマエとの情事に興じ隙の生じた三木を中原が仕留める算段だったが、中原がナマエのバッグに仕込まれた盗聴器から聞こえる声と気配に違和感を感じ、暫く身を潜めていた。
結果、ナマエの独断で標的の男は自分が始末する間も無く事切れたのだが、緊急時以外は計画通りに任務を遂行する彼女にしては珍しい変更だった。


「どうした、らしくもねぇ」
「…うん、ごめん」
「兎に角ずらかるぞ、太宰の野郎がコイツの連れを足止めしてる」


乱されたままだったドレスを直してやり、中原はベッドからナマエを降ろす。
しかし未だ動きの鈍いナマエの表情を見て、中原は彼女の頬を両手で支え視線を合わせる。


「重ねるなよ」


中原の言葉に、やっと二人の目線が交わる。

何と、という部分はあえて聞かなくても理解していた。


「此処が俺達の生きる世界だ。こういう奴は殺しても蛆虫のように湧いて出てくる。消える事は無ェ」
「中也、」
「強者と弱者は必ず生まれる。そういう所だ」


まるで幼子を宥めるようにナマエの両手を握り、額を合わせる。
ふわりと鼻をかすめる中原の香りが、先程まで同じ距離にいた男の忌々しい匂いを浄化してくれる感覚をナマエは覚えた。


「前に云った事、覚えてるか」
「…忘れる、わけないじゃない」



"生きるのが辛いなら、俺が一緒に生きてやる"



「なら手前が抱えきれないモンを無理に背負うんじゃねぇ。お前は今此処に生きてる」
「…私、大丈夫よ?」
「鏡見てから云え馬鹿。ったく、女ってヤツは何でこう過去に拘るんだよ」
「ふふ、そういう女は嫌いなんでしょう?」
「…一人の例外を除いてな」


行くぞ、と繋いだ手を放す代わりにナマエの背中に手を添え歩き始める。
同時に、入口の扉のロックが外される気配を感じ、二人は身構えるが、現れた人物を確認すると肩の力を抜いた。


「終わったかい?」
「太宰手前…足止めはどうした」
「だってあのオバサン纏わり付いて離れないんだもの。適当に飲ませてボーイに預けてきたから此処には来ないよ」
「…どいつもこいつも、」


計画書通りに動けねぇのか…とぼやく中原を余所に、太宰はナマエを優しく抱き締め肩に顔を埋めた。


「嗚呼可哀想にナマエ。あんな下種な男に良いようにされて、私の立てた計画とはいえ不愉快極まりない時間だっただろう」
「大袈裟よ、それに何時もの事でしょう?」
「君のこの柔肌を愚劣の極みのような男に汚されたと思うだけで虫唾が走る。あと百回は刺し殺したいね」
「オイ現場を無駄に散らかすな」
「物の例えだよ。中也だってそう思うだろう?」
「当たり前だろうが」


二人の様子を見ているうちに、ナマエは少しずつ意識が現実に戻っていくように感じ、無意識に肩の力が抜けていった。
しかしナマエには最後の仕事が残っていた。



「却説、最後の積めといこう」



太宰が目印の為に廊下に落とされたピアスをナマエの耳に付け直しながら目配せをすると、バッグからスキットルを取り出し、中身のウォッカを動かなくなった三木の身体にかける。

冷ややかな目で見下ろし、手をかざして最後の言葉を掛けた。



「地獄でもう一回殺してあげる」



一瞬のうちに炎が男の身体を包む。

スプリンクラーが作動するが、ナマエが更に手を振りかざすと部屋中が火の海になった。



「さぁ、行こう」


差し出された太宰の手を取り、既に廊下に出ていた中原と共にエレベーターに乗り込む。


けたたましい非常ベルの音や、騒ぎを聞きつけた参加者達の悲鳴を聞きながら、三人は静かにホテルを後にした。






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