来世はきっと幸せに
※11話後
ポートマフィア地下にある懲罰房に続く階段を一段ずつ降りていくと、淀んだ空気が肌に纏わり付くのを感じる。
嫌に冷たい其処に、ナマエのヒールの音が高く響いた。
「ご苦労様」
見張りの部下に声を掛けると、男は背筋を伸ばして応える。
「申し訳ありません。まだ全て吐かせられず…」
「いいの、それは私の仕事だから」
手で制すと、その場に居た部下数名が下がって行く。
それを横目で確認しながら、ナマエは目の前の厚く重々しい扉を改めて見つめた。
ギィ、と鈍い音を立てて扉をゆっくり開ける。
狭い部屋の中には壁に鎖で四肢を繋がれた一人の男が居た。
ゆっくりと男に近付くと、拷問の跡が所々に見受けられ血生臭さが鼻を刺激した。
ナマエの気配に気付いていないのか、其れとも気付いていても顔を向ける気力も無いのか男はピクリとも動かない。ナマエは表情を変えず、黙って男を見降ろしていた。
目の前の男は約二年前からポートマフィアに入り、主に貨物輸入に携わり輸送管理をしていた。
しかし、彼は三木により潜り込まされたスパイだった。
マフィアが海外から買い付けた薬を三木に横流しをし、利益を得るという大胆かつ完全なる裏切り行為を働いた男。
本来ならば即刻始末する所ではあるが、横流しのルートや残りの薬の在り処が判明しておらずこの懲罰房で拷問を受ける結果となった。だが尾崎の部下の拷問にも口を割らず口を閉ざしているという。
何時もは此処で太宰の出番になる所だが、ナマエが首領に自分が話をする、と申し出た為彼女がこの場に現れたのだ。
男の目の前に膝をつくと、静かに声を掛けた。
「宮永啓介」
「……」
「うちの拷問は生温く無いと思うのだけど、其れでも口を割らない貴方の根性は買うわ。やってくれた事は褒められた物じゃないけれど」
ナマエの声にも反応を見せず、依然黙ったままの男。
でもナマエはこの男が其処までして口を閉ざす理由を知っていた。
拷問部隊にも、首領にも伝えていない理由を。
「…三木は死んだ」
「っ…!!」
「私が、殺したわ」
そこで初めてナマエと男の視線がかち合った。
殴られた跡だろうか、片方の瞼からは血が流れていたが、ナマエが発した言葉を信じられないと云った様子で、これでもかと云う程目を見開いていた。
「何故…三木を、」
「貴方が流していた薬を三木がドラッグパーティーを開いて売りさばいていたの。その噂を聞いて、潜入したのよ」
「………そう、か…彼奴が、死んだ…のか」
うわ言のように繰り返す男の表情は嬉しいでも悲しいでも無く、ただ無の表情だった。
何か、悟っているかのような顔でナマエを見上げる。
「…その様子だと…全てをご存知の様ですね、一条様」
「ええ」
「…そう、ですか」
「三木が人質にとっていた貴方の家族だけれど、」
「貴方が間者として動き出したと同じ頃、既に殺されていたわ」
ナマエの言葉を聞き、男は特段驚いた様子も無く、ただ静かにナマエに目を合わせる。
「…驚かないのね」
「……きっと、そうだろうと思っておりました。妻から届いていた手紙の筆跡が微妙に変わった辺りから、そうでは無いのかと」
「なら何故、」
「最後まで諦められなかった」
何故間者のまま潜入を続けていたのか、というナマエの問いかけを遮り男は語る。
何時死ぬやも知れない瀬戸際の仕事を続けながら、マフィアの目を欺き続けた理由を。
「どんなに汚れた仕事を続けても、私と家族に成りたいと云ってくれたのです。私に愛され、愛したいと。いつか娘と陽の下で暮らせる事を信じて待つ妻が、娘が、生きていると諦められなかった」
表情無く話していた男が、柔らかく微笑みナマエを見つめる。
「薬の流通については輸送管理専用のパソコンにデータが。私の家にあるパソコンからアクセスした時のみ隠しフォルダを見る事が出来ます。三木に流していない残りの薬は、港の第三倉庫に」
「…そう、」
「一条様」
この部屋に入った時からナマエの右手に握られている物に視線を向けながら、男は最後の言葉を口にした。
「貴方に終わらせて頂けて良かった」
その言葉にナマエは返事をせず、男の額に照準を合わせ引き金を引いた。
硝煙の匂いが狭い部屋に充満する。
何時も髪に匂いが付く事を気にするナマエだが、何故かその場から動く気にならなかった。
「いやあ見事だね、まさかこんなにあっさり吐いてくれるとは」
何時から居たのか気付かなかった事に内心驚きながら、ゆっくりと声の主に顔を向ける。
「…太宰、」
「ナマエにその才能まで有ったとは知らなかった。これで私も楽が出来そうだ」
「今日だけよ」
そう云うと再び息絶えた男に向き直るナマエ。
すると背後から太宰の腕がするりと伸び身体が密着する。
この非道く寒い部屋の中で唯一感じる人の温もりに、ナマエは何故か寂しさのような感情を抱いた。
「一寸、だざ」
「人払いはしてあるよ」
「…治、離して」
「如何して?」
「どうしてって、」
「彼を助けてあげられなかったから?」
核心に触れるような一言に、ナマエは身体を強張らせた。
「彼の裏切りに早く気付いていれば妻と子どもは助けられた?いや違う。彼はマフィアを裏切った。その事実は変わらない」
「…治、」
「彼が三木に付け込まれたのは彼自身の弱さだ。誰も救えない。誰もこの結果を変えられない」
「治やめて」
「裏切り者には罰を。歯向かう者には制裁を。マフィアで生きる事を選んだ彼は知っていたんだ、掟を。知っていて裏切った。つまり彼の死は彼自身が望んだ事だよ」
「治!」
思わず出してしまった声が響き、ナマエはハッと目を見開いた。
太宰の手がゆっくりと拳銃を握る自分の右手に絡んだのを感じながら、目線は変えず前を見つめる。
「ねえナマエ。ナマエは裏切り者に罰を与えた。正しい事をしたんだ。それに彼の望みまで叶えてあげた、素晴らしい優しさじゃあないか」
「…違う、優しさなんかじゃない。私は」
「優しさだよ。三木の事や家族の最後の事、彼に教えてあげる為に態々来たんだろう?」
「それ、は」
「うふふ、今なら君の考えている事が手に取るように分かるよ」
予想通りの反応をするナマエを見て、太宰は口角が上がるのを我慢出来なかった。
「今君が生きているのは彼のような犠牲があるからだ。彼のように望んだ、犠牲のね」
「誰も、望んでない。…みんな、私が、」
「殺した?そう、そうかもしれないねえ」
ピクリと肩を揺らし、息を飲むナマエ。
耳元で甘く囁く太宰の声が脳に響き、痺れるような感覚に陥る。
「彼を楽にした所で君の過去が消え去る訳じゃない。否、消す必要が何処にあるんだい?ナマエは今此処に居て、私の腕に抱かれている。それが全てで良いじゃないか」
ゆっくりと肩に手を回しながら、ナマエの身体を反転させる。
見下ろしたナマエは困惑と不安が入り混じった表情をしていて、太宰は目を細め彼女の頬に手を添えた。
「…おさ、む」
「彼を救っても、彼はナマエを救ってくれるのかい?其れは無理だ」
「ナマエを救えるのは私だけだからね」
太宰のその言葉を聞き、ナマエの右手から拳銃がすり抜け床に落ち、重い音が響いた。
同時にナマエは太宰の背中に腕を回し、縋りつくように抱き付いた。
その行動も予想していたかのように、太宰もナマエを受け入れる。うっとりとした表情を浮かべ、彼女の髪を優しく撫でた。
(嗚呼、もっと堕ちてしまえばいい)
(私が居ないと生きていけない位に)
自分の歪んだ感情を胸の奥に秘めながら、太宰はナマエに撃ち抜かれた男を感情の無い目で見下ろした。
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