眠いだけがいい

それなりの大学へ4年通い、それなりの会社へ入ったつもりの社会人2年目のOLが、バイトを始めた頃からコツコツと貯めてきた貯金をはたいてぬるま湯のような実家から出て、夢の一人暮らし生活が始まった。
最寄駅まで徒歩5分圏内、家賃もそこそこ安く、オートロック機能は付属していないが、治安も良いと聞くし大家さんのお登勢さんという方も、初めての一人暮らしで緊張していた私に「大家さんなんて大そうなもんじゃないから、お登勢さんでいいよ」と気さくに接してくれた。
2階以上の日当たりの良い部屋、少し歩けば昔ながらの商店街が顔を覗かせるところにひっそりと建つこのアパートの一部屋。今日からここが私のお城だ。
実家から持ってきた大きなクッションのようなソファの上にダイブして、これからのやることリストをまとめたスマホのメモをぼんやりと見つめる。ええと、ダンボールを開けて必要最低限のものを出しておく、買い物に行く、服をしまう、あと、あと…。
ダメだ。やることが多すぎて眠気が襲ってくる。あー、お隣さんにも挨拶しなきゃ、でも男の人か女の人かもわかんないしな…。実家を出るとき、心配性の母から何度も隣が男なら女の一人暮らしで挨拶へ行くのは危険だと口酸っぱく言われ、すっかりと身に染みてしまった。
とりあえず昼寝しよう。まだ日曜日の13時だし、1時間くらいなら、と考えているうちに瞼が閉じてきたので、そのまま心地よい眠気に身を委ねた。

ドッカン、バキバキッ
外から聞こえる爆音に驚いて飛び起きる。スマホを見るとまだ30分程度しか経っていなかった。
そろりとドアに近づき聞き耳を立てると、お登勢さんと男の人が大声で怒鳴り合っている声が聞こえた。ま、まさか、強盗とか…?さっと顔が青くなる。ここに来て初めて優しくしてくれたお登勢さんを見捨てるなんてできない!いざとなったら戦う決意を固め、玄関に立てていた傘を手に取り勢いよくドアを開ける。
「お登勢さん!!大丈夫ですか!!!」
「この腐れ天パ!!いい加減家賃払いなァ!」
「待てババア!今からこの金で三倍、いや五倍にしてくるから!頼む新台が入ったんだ行かせてくれェェ!!!」
「どうせ0になるんだからそのはした金さっさと寄越しな!!」
「え、えーと…」
ドアを開けた先には、お登勢さんに殴られたであろう男の人が左頬を抑えながら地面に座り込み、その人をゴミを見るような冷たい目で一瞬見た後に、男の人から奪ったであろうお金を一枚一枚数えているお登勢さんの姿があった。お金を数え終わったあと、傘を持ってオロオロしている私の姿を見たお登勢さんがにこりと笑いかけてきた。
「ああ、名前。うるさかったかい?このモジャ毛のせいで悪かったね」
「い、いえ」
「誰がモジャ毛だ白髪染め必死ババア」
ガツン
お登勢さんの左ストレートが綺麗に男の人の顔に入る。わあ、強いんだなあ。
「てか、あんた誰?なんで傘?」
両頬を両手で労るように抑えながら、男の人が私に目を合わせながら呟く。そういえば自己紹介してなかったな。
「名字名前です。今日からこのアパートの205号室に引っ越してきました。これからよろしくお願いします!あの、傘は…」
なんだか恥ずかしくなり、ごにょごにょと喋り始める。爆音と怒鳴り声を聞いて強盗と勘違いしたこと、いざとなったら傘で戦う気持ちだったことを二人に話すと、少し笑われた。
「俺は坂田銀時。206号室に住んでるから、隣同士だな」
「あ、お隣は坂田さんだったんですか!ご挨拶ができて良かったです、どうしようか迷っていたので…」
「女の一人暮らしならやたらと挨拶に回らなくていいんじゃねえの?204号室は空き家だし、はいこれで挨拶終了な〜」
ゆるく喋りながらポケットをまさぐっていた坂田さんが、一枚の小さな紙を目の前に差し出してくる。
「これは…」
「ん、名刺」
「ばんじやぎんちゃん?」
「よろづやぎんちゃん」
「へえ〜!何でも屋さんなんですか?」
「そ、金くれれば大抵の依頼は引き受けるから良かったらご贔屓に。あと坂田さんじゃなくて銀さんで良い、堅苦しいの苦手なんだよな〜」
「わかりました、さか、…銀さん?」
「よろしく名前チャン」
パンパンの両頬で微笑みながら、ふらりと階段を降りていく銀さんとお登勢さんの背中を見送り、静かに自室のドアを閉める。
うん、めちゃくちゃ殴られてたけど良い人そうだな。何かあったら頼ってみよう。名刺を机の上に置き、再びソファの上に寝転がって昼寝を再開した。